「ねえ、アーヴィン」
大広間を進みながらローゼは傍らを見上げる。
「アーヴィンが有名なのってやっぱり、この前の鳥文のせいかな?」
「だろうね。先日の件で少し名が知れたみたいだ。ローゼが嫌なら近づくのをやめようか」
そう言ってアーヴィンが体を離すので、ローゼは上目遣いで彼を睨む。
「嫌なわけないでしょ。そもそもあれは、あたしだって共犯なんだから」
「そうだったかな」
周りの人々がアーヴィンを目にして見せる表情はさまざまだ。顔をしかめたり耳打ちをしたりといった行動をみせるのは、きっと鳥文の件を良く思っていない人。逆に好奇の眼差しで見つめてくるのは、どんな理由であれ興味を持っている人たち。
そして若い女性たちが頬を染めているのは、単純にアーヴィンの顔が麗しいせいだ。それはちょっと面白くない――。
(面白くない? なんで?)
グラス村でもアーヴィンは人気だった。『美形の神官がいる』話は他の町や村にも知られているので、親類を訪ねて来た女性や商人たちがわざわざ彼を見るために神殿へ立ち寄っていく姿もよく見かける。だからこういった場面はグラス村にいたら慣れているはずなのに。
(今日のあたし、本当に変……)
自分で自分に戸惑っていると、アーヴィンが「さて」と言って辺りを見回す。
「せっかくの機会だ、ほかの人たちと交流しておいで」
「『しておいで』? それって……このあと、あたしがひとりになるってこと?」
「ローゼはひとりではないよ」
「アーヴィンも一緒に来てくれるの?」
だけど期待とは裏腹に彼は首を横に振ったので、ローゼは「そんな」と呟いて肩を落とす。
「……あたし、思いっきり場違いなのよ。それに、どこへ行けばいいのかだって分からないし……」
「心配する必要はない。どこかに立っていればいいんだ。それだけで惹きつけられた人が次々にやって来るからね。何しろ、今日ここで一番綺麗なのはローゼなんだ」
「き、きれいって……なんか、今日のアーヴィン、いつもと違う……」
「そうかな。思っていることを伝えているだけだよ」
ふわりと微笑み、アーヴィンは辺りを見回す。
「話す内容だって難しく考える必要はない。それこそ挨拶をするだけでも、相手の方で勝手に喜んでくれるよ」
力づよく言ってもらってもまだ不安だった。けれどもようやく頷くことができたのは、頭の中にニヤつくアレン大神官がよぎったからだ。
(悔しいけどあの男の言う通りね。あたしだっていつまでもアーヴィンの庇護下にはいられないわ)
ローゼだってひとりでがんばる努力をしなければいけない。それで「分かった。やってみる」と宣言すると、「頑張って」と言ってアーヴィンは背を向ける。そのときローゼはまだ礼を言っていなかったことに気がついた。時間が経てば言う機会を逃すのは六年前のあのときに経験済みだ。
「あのっ、アーヴィン、助けに来てくれてありがとう!」
彼が人ごみに紛れる前に急いで言うと、ふと足を止めた彼は振り返り、少し迷って答える。
「……いや。お礼なら私ではなく、聖剣に言うのが良いかもしれないね」
「え?」
「じゃあ、また」
そういえばローゼはまだ、アーヴィンに聖剣を預けた理由を知らない。
(……なにか関係があるの?)
遠ざかる青い背を追いかけて、今の言葉の意味を聞いてみようかと思った。だけど近づいて来るフェリシアの姿が見えてローゼは足を止める。
アーヴィンを追うのをやめ、ローゼはフェリシアに向き直った。聖剣を届けてくれた礼を述べ、続いて二家の申し出を断ったことを伝えると、フェリシアは大きくうなずく。
「見ていましたわ! 本当でしたらわたくしもローゼの味方をしに参りたかったのですけれど、無念です!」
無念です、と言うわりに彼女は笑っている。この笑みはグラス村で開催される“乙女の会”の参加者たちを思わせた。誰かが恋愛に関する話をしたとき、囃し立てる周囲の皆がこの笑みをみせていたはずだが、なぜ今のフェリシアも同じような表情をしているのだろうか。
小さく首をかしげていると、フェリシアがローゼの手を取る。
「ところでローゼ、このあとは何か用事がございますの?」
「ううん。用事ってほどの用事はないよ。ただ、アーヴィンに『ほかの人と交流しておいで』って言われたから、そうしようかなって思ってたとこ」
「まあ、でしたらちょうどよかった!」
フェリシアは晴れやかな表情で手を叩く。
「わたくし、ローゼのことをほかの方々に紹介したいと思ってましたのよ。ぜひ一緒におこしくださいませ!」
「え? でもフェリシアだって予定があるんじゃない?」
「ございませんわ。もしあったとしても、ローゼのことを自慢する方が重要ですもの。さあ、参りましょう!」
「あたしは別に、そんな自慢できるようなもんじゃ……ちょっ、フェリシア?」
こうしてフェリシアに腕を引っ張られたローゼは、あちこちで貴族たちと話をすることになった。
確かにローゼが主役というのは間違いないようで、どこかで話をしていると、近くの貴族たちが輪の中にどんどん加わってくる。できるだけ皆に嫌な思いをさせないよう、失礼がないよう、ローゼは顔に笑み張りつかせてひたすら話し続けていた。
しかし時間が経つにつれて顔が強張ってくるし、話し続けて喉も渇いてくる。さすがに限界を迎えてフェリシアに休憩を申し入れると、彼女はにっこりと笑って向こう側を指した。
「隣の部屋に飲み物や食べ物が用意されてますから、そちらで休んでらして。頃合いを見計らって迎えに参りますわ。続きはそのあとにいたしましょう」
「続き? あの、終わりじゃなくて?」
「終わり? まさか!」
フェリシアが心の底から驚いたように言うので、ローゼはこっそりため息をついた。
喧騒につつまれた大広間とは違い、ほどよく狭い隣室に人はまばらだった。
たくさんの視線にさらされ続けて疲れていたローゼはほっと息を吐く。
豪華な布のかけられた広く長い机には、軽くつまめる食事や、たくさんの飲み物が用意されていた。その中でローゼが最初に選んだのは水のグラスだ。口をつけて一息にあおると、喉を通る冷たさが火照る身体をほどよく冷やす。空になったグラスは控えていた使用人が受け取ってくれた。
二杯目の水は少しゆっくりと飲み干し、そこでようやく落ち着いた。ローゼは三杯目には良い香りの果汁が入ったものを選び、そのグラスを片手に持ったまま、カーテンの陰からそっと大広間の様子を見てみる。
どうやらダンスが始まったところらしい。男性が女性の手を取り、中央へ進み出てステップを踏み始める。その中でも特に目を引いたのはフェリシアだ。貴族の男性と何事かを囁きながら優雅に踊る彼女は、大輪の花のように美しい。
(でもあたしは、旅に出てるフェリシアの方が生き生きとして好きだけどね)
そして踊っている男女の中にチェスター・カーライルの姿を見つけた。「庶民」との声が聞こえたような気がしてローゼは思わず顔を背ける。
(……嫌なもん見ちゃった)
視線の先にあった花瓶の横ではアーヴィンを見つけた。彼は、白いドレスを着た例の女性と話をしているようだ。アーヴィンはローゼに背を向けているのでどんな表情をしているのかは分からないが、女性の方は涙をぬぐっている。表情から見るに嬉し涙のようだ。
今日、何度も感じた「面白くない」の気持ちが心に湧き上がってくるのを感じつつ、ローゼはひっそりとレオンに呼びかける。
「あの人、なんか変わってるよね。白いドレスなんて着てさ」
【しょうがないだろ。貴族っていうのは変なもんだと昔から決まってるんだ】
ローゼは思わず苦笑した。
その先の壁際ではジェラルドが数人の神殿騎士と真面目な表情で話をしている。中のひとりは紙に何かを書きつけているようだ。深く話し合わなくてはならない何かが起きたのだろうか。さすがにこれだけの人数がいると何かあるのだろう。
ローゼは口元にグラスを運ぶ。甘酸っぱいこの味はかなり好みだ。もう一口飲もうとしたところで、ふと後ろから声が聞こえた。
「こんばんは」
ローゼが振り返ると、少し背の低い少年が人懐こい笑みを浮かべて立っていた。