舞踏会も後半になった。
大広間に少しずつ空間ができてきたように思えるのは、もしかしたら帰ってしまった人がいるためかもしれない。
可能であればローゼも帰ってしまいたかったが、しかし主役である以上は最後まで残る義務があるそうだ。確かに来たときと同様に周囲を取り囲まれて帰るのならそうなるのも道理だろう。
よってローゼはフェリシアに連れまわされつつ、半ば諦めの気持ちを持って貴族たちと会い続けていた。
こちらの人に挨拶をして、あちらの人に会うためまた移動、といった具合に大広間を渡り歩いているうち、不思議なことに男性からダンスを申し込まれる回数が増えてきた。
中央では多くの人が踊っているのだから申し込みが来ること自体に不思議はない。だけど、申し込みをする男性だけで列ができるほどになってしまうというのは奇妙な話だ。
しかもその列の長さときたら、唇を少し尖らせたフェリシアが、
「これではご挨拶まわりは難しいですわね。残念ですけれど、ここで終わりにいたしましょう」
と言って去ってしまうほどだった。
(だけど最初は他の人と話をしながらでも平気なくらいの申し込み人数だったでしょ? 急にどうしたの?)
さすがに訝しく思いながらローゼが断り続けていると、何人目かで正面に見覚えのある大柄な人物が立つ。ジェラルドだ。
にやりと笑う彼が言うことに、どうやらこの大広間では「ローゼが最初に踊る相手は誰か」という賭けが行われているらしい。
「俺は“最後まで踊らない”に賭けてるぜ。頼むな、ローゼちゃん」
と一言つけ加える辺りがジェラルドらしくて、ローゼは苦笑した。
(そういえば別室から見たとき、ジェラルドさんは何か書いてる人と話をしてたっけ。あれって賭けだったんだ)
ローゼだって村祭りの踊りは知っている。だけどさすがに王宮でのダンスは分からない。よってこのあとも誰とも踊るつもりはないから、ジェラルドの勝ちは確定だ。
並んだ人々に対して笑顔は絶やさず、しかし内心ではため息をつきながら断り続けていると、ふと大きな窓が開いていることに気が付いた。
あの場所からは外へ出られる。その先には短い階段があり、花であふれた庭園へ続いていた。
庭園にも明かりは多く用意されているが、室内より暗くて人には見つかりづらいはずだ。人から逃げてしまうには良い場所だろうと考え、ローゼはじりじりと大窓の近くへ移動する。
踊りが終わった人たちに紛れて男性を
日中は暑かったのだが夜はさすがに気温が落ちている。人の多い室内に比べてかなり過ごしやすい温度だ。
ほっと息を吐いて歩き出すと、先ほど「大広間の人数が少なくなってきたのは帰ってしまったからかな」と思ったのが誤りだったことに気がついた。
ローゼの横を、若い男女が仲良く話しながら通り過ぎていく。向こうでは長椅子に座って花を見ているふたり連れもいた。
「なるほど。大広間で互いを知って、気が合いそうだと思ったら『ふたりっきりで話しましょ』って庭園に出てくる人もいるわけね」
【そうらしいな】
「だったらこの場合、あたしはレオンと仲良しの組み合わせってこと? わー、うれしーい」
【……お前はどのくらい本気で言ってるんだ?】
「本気も本気。本気しかないくらいに本気よ」
レオンの呆れたような声に適当に答え、空いていた長椅子を見つけてローゼは腰かけた。
薄暗いせいだろうか、ここは花の香りを特に強く感じる。深呼吸をすると甘い香りが疲れた体を癒してくれるような気がした。大広間からかすかに届く曲も、先ほどまでの陽気なものから優雅なものへと変わっているので、なんとなくゆったりした気分になる。
「あぁ……。今後はもうこんな集まりに出たくないもんだわ……」
【出たくないも何もまだ終わってないけどな。まあ、お前にしては良く頑張ってるぞ】
レオンもね、と言いかけてローゼは止める。
昔のことを口に出して嫌な思いをさせるより、今のことを話して少しでも気持ちを変えてもらった方がいいような気がした。それでローゼはおどけたように言う。
「すごーい、レオンが優しいー。明日は雨が降るかもね」
【なんだそれは。俺はいつでも優しいぞ】
「それ、どのくらい本気で言ってるの?」
【意趣返しのつもりか? もちろん本気しかないくらい本気だ】
その発言に少し笑って、ローゼは座ったまま大きく伸びをする。ちょうどそのとき、近くにある温室から女性と一緒に出てきたチェスターと目が合った。
思わず伸びの姿勢のまま固まったが慌てて居住まいをただし、
「ねえ。あの人たち、こっちに来てない?」
【来てる。逃げるか?】
「今さら無駄よ」
ため息をつくとローゼはさりげなく立ち上がり、さも今気が付いたと言った風にチェスターの方を見る。彼はそのまま女性と一緒に近くまで来たので、ローゼは努めて笑顔を作って仕方なく挨拶することにした。
「こんばんは。良い夜ですね」
ローゼが言うとチェスターは笑みを返す。その顔は確かに若い女性から人気が高いのも分かると思えるものだったが、
「普段着ではないようだな」
彼の発言を聞いてローゼの頬は引き攣った。
【相変わらず嫌味な奴だ】
レオンの言葉に心の中だけで百回くらいうなずき、ローゼはなんとかもう一度笑みを作る。
「そんな冗談を申し上げたこともありましたね」
チェスターの隣にいる女性はローゼと同じくらいの年齢に見えた。髪は茶色だが、瞳はフェリシアと同じ紫色をしている。確か前にフェリシアから「チェスターは王女と内々の婚約が決まっている」と聞いたことを思い出し、万一を考えたローゼは名乗ったうえで頭を下げておいた。するとやはりチェスターから「こちらは王女だ」と紹介があったが、王女自身からは黙礼があったのみで挨拶すらない。
(もしかして、平民の聖剣の主とは口もききたくないってこと? ……なんて、ちょっとひねくれすぎかな)
だけどそんな風に勘ぐってしまうのは、ローゼもレオンに似てきたからかもしれない。
ローゼが知る王族といえばフェリシアと、フェリシアに“いろいろな意味で”そっくりだった彼女の母だ。あのふたりの気さくさはきっと特別なのだろう。
通り一遍の会話が終ったところでふたりが立ち去る。
知らずに入っていた肩の力を抜いたローゼはもう一度長椅子に腰かけようとしたのだが、なぜかチェスターは王女に耳打ちをするとひとりでローゼの方へと戻って来た。何か言い忘れたかのような形を取っているが、それが計算された動きに見えるのは気のせいだろうか。
仕方なく腰を下ろすのを止めたローゼに、戻って来たチェスターは言う。
「ブロウズ大神官の件では借りが出来たようだな」
それはきっと、ブロウズ大神官がアレン大神官と組んでローゼを町へ呼び出したあれだろう。
しかしチェスターとブロウズ大神官の関係は分からない。なんと答えていいのか分からないローゼが黙って微笑んでいると、彼は話を続けた。
「知らなかったか? ああ、でもいつかは分かったろうから構わない。ブロウズ大神官は私の大叔母だ」
そういうことか、とローゼは思った。
ブロウズ大神官とカーライル侯爵家が繋がっているから、チェスターは公に告知される前でもローゼの名や聖剣のことを知っていたのだ。
そして“あの件”のあとに大神殿が「蒸し返すな」とローゼたちに通達したのはカーライル家からの口出しがあったためだろう。ブロウズ大神官の立場が弱くなれば一族が持つ力も弱くなってしまう、カーライル家としてはそれは避けたい、ということなのだ。
以前フェリシアにチェスターのことを聞いた際、カーライル家のことを「アストラン国内でも有数の大貴族」と評していた。建前としては俗世とは別ということにはなっている神殿にもこれほどの影響を与えるのだから、やはりカーライル家の持つ力というのは相当なもののようだ。
「さて。私は借りを出来るだけ早めに返しておきたい
微笑むチェスターだが、相変わらず薄い緑の瞳の色は感情を映さず、何を考えているのか良く分からない。
「……借りは大神殿から返してもらいます。お気遣いいただく必要はありません」
「そういうわけにはいかない。これは私の気持ちの問題だ」
顎に手を当て、しばらく宙を見つめ、チェスターはローゼへ視線を戻す。
「そうだな。特に希望がないのであれば、私の結婚式の招待状というのはどうだろう」
今考えついたかのような雰囲気ではあるが、チェスターは最初からこれを言うつもりだったような気がした。
ローゼは深く頭を下げる。
「お招きありがとうございます、喜んで出席させていただきます。――どうか神々の祝福がお二方に降り注ぎますように」
顔を上げると、チェスターは薄く微笑んでいる。それはどことなく満足そうな笑みにも見えた。
「式はまだ先だが、時が来たら必ず招待しよう」
そう言い残してチェスターは王女のところへ戻る。今度こそふたりで立ち去るのを見届け、ローゼはホッと息を吐いた。
【結婚式の招待状か。断るかと思ったぞ】
「やーね、レオンたら。断るわけないじゃない。大貴族カーライル家の結婚式よ? 行きたくても行けない人が大勢いるに違いないわ。あのチェスターが“借りを返す条件”として出してきたくらいなんだから、この招待は今後の武器になるはずよ」
【カーライル家から見たローゼは、嫡男の結婚式に呼ぶに足る相手だって周囲に印象づけられるわけか】
「そういうこと」
ローゼは再び長椅子に腰かける。大広間からの優雅な音楽が花の香りとともに主と聖剣を包んだ。
【……で? どこまで本気だ?】
「どこまでだろうね」
【本音を言ってみろ】
「決まってるでしょ。どんな感じなのか興味あるのよ!」
レオンがくつくつと笑う。つられてローゼも一緒に笑った。
「さっきも言ったけどね、あたしだってこんな社交の場は性にあわないわ。だから舞踏会とかお茶会の誘いとかだったら断ってたと思うの。でもね、この話は別。だって結婚式なのよ!」
「結婚式? ローゼが?」
レオンとの会話に不快感をにじませた別の声が割って入った。
「もしかして今の男と挙げるのか?」
驚いて見上げると、いつの間にかアーヴィンが横に立ち、チェスターが去った方へ顔を向けていた。