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16話 夜更けの王都城下

 ローゼがもしもただの村娘だったら、きっとその場から動けなかった。

 だけどローゼは聖剣の主で、今日はそのための儀式が行われた。今まで開催されていたのだって、新たな聖剣の主のためのお披露目会だ。

 その使命感のようなものだけでローゼは冷たい石の床から立ち上がって進む。だからといって衝撃が消えたわけではない。誰と会い、何を言い、どこをどう通ったのか分からないまま、気がつくとローゼは輿こしの中でレオンの声を聞いていた。


【お前が二家にけの当主と話してたとき、俺はあいつのところにいたろ? そのときあいつは、妙なことを言ってたんだ】


 レオンの言う“あいつ”が誰なのかは分かるが、問い返す気分にはならない。


【王都を避けてた? とか、会ったら運命だと諦める? とか。ほかにも誰かが王都へ来るとか来ないとか。で……】


 少し口ごもり、レオンは続ける。


【あいつが話してた相手は、あのデカイ神殿騎士だ】


 ローゼは聖剣に視線を向ける。

 次に、輿の前の方にいるジェラルドへ。



   *   *   *



 大神殿の控室に戻ると、仕度をしてくれた女性神官たちが現れた。彼女たちはねぎらいと労りの言葉を述べながら、ローゼの装飾品をはずし、衣装を脱がせ、次に浴場へ案内しようとする。

 しかしローゼは彼女たちを止め、頭を下げた。


「どうしても急ぎの用事があるので、ここまでにしてください。今日は本当にお世話になりました。ありがとうございました」


 彼女たちは湯浴みの後に軽食を出してくれるつもりでもいたようだ。ローゼの衣装を脱がせながらそんな話をしてくれていた。心遣いはありがたいし、断ってしまうのは申し訳ないが、ローゼにはどうしてもしたいことがある。

 女性神官たちは互いに顔を見あわせた。だけどローゼの表情に何かを感じ取ったのだろう。


「お疲れさまでした」

「ごゆっくりお休みくださいませ」


 そう挨拶をすると、何も聞かず控室を出て行った。

 ローゼは遠ざかる気配に向かってもう一度頭を下げ、いつもの服に着替えると白い鞘のままの聖剣をいて部屋を飛び出す。人が多くざわつく中を駆けぬけて目指したのは神殿騎士の居住区だ。

 ただ、ローゼはジェラルドの部屋を知らない。いざとなったらその辺りの誰かを捕まえて聞くつもりでいたのだが、それより先にジェラルドの方がローゼを見つけて声を掛けてきてくれた。


「ローゼちゃん、こんなとこでどうしたよ?」

「ジェラルドさん!」


 どのように訴えたらいいのか分からないが、とにかくローゼは言葉を探す。


「アーヴィンが変だったんです。たぶん大神殿には戻って来てない。貴族の女の人と、どこかへ行った気がするんです」


 それを聞いたジェラルドは舌打ちをする。


「くそう。奴め、女をひっかけたか。先を越されたぜ」

「そうじゃなくて」


 これを言ってしまうと後が面倒かもしれないと思った。だけどローゼは他に言うべきことを思いつかなかった。


「どうしてアーヴィンは王都を避けてたんですか? 運命ってなんですか? 誰が王都に来るんですか?」


 それを聞いてジェラルドは少し首をかしげるが、しかしすぐに思い至ったらしくハッとした表情になる。


「そういうことか。でもローゼちゃん、なんでそれを知って――」


 言いながら視線を落とす。


「……まさか、聖剣」

「その話は今度いくらでもします。だからお願いします、教えてください。アーヴィンがどこへ行ったのか、心当たりはありませんか?」


 小さくうなったジェラルドは、ローゼを見ながら思案している。しかし行先を考えているというよりは、教えても良いのかどうかを悩んでいるように見えた。しばらくして覚悟を決めたらしく背後のほうを示す。


「まずは馬屋へ行こう。そしたら城下へ向かう」

「城下?」

「ああ。あいつがいるかもしれねえってところに心当たりはある。だけど外れてたり、いなかったりしたらごめんな」


 ローゼは首を横に振った。自分だけでは何の検討もつかないのだ。心当たりを教えてもらえるだけでもありがたい。

 ふたりで馬屋へ向かい、互いに自分の馬に騎乗する。


「はぐれないようにな」

「はい」


 ジェラルドが大神殿を出たのでローゼも彼の後を追う。大柄な彼が着る白い鎧は夜でも良く目立った。

 城下には多くの明かりがともっており、行きかう人も多い。王宮から屋敷へ戻る見事な装飾の馬車を多く見かけるのはお披露目会の後だからだろう。ジェラルドが向かったのはそんな馬車が吸い込まれていく先だ。王都の中だというのに壁と門があって、さらには護衛らしき兵までいる。どうやらこの先は貴族の屋敷がある地区のようだ。


 ジェラルドは白い鎧を着ているので身分は証明できたが、ローゼはまだ聖剣の主としての身分証は持っていない。どうしようかと思ったのだが、意外にも聖剣を見せるだけで良かった。

 “新たな聖剣の主誕生”は既に知られている。そして聖剣の二家は貴族地区に住んでいて、当主のふたりは出入りする際に聖剣を提示しているようだ。護衛たちはローゼの聖剣を見ながら「お二方ふたかたの聖剣とは違う部分もありますけど、空気感は同じですね」と言って通してくれた。


 地区に入ってすぐの辺りには大きな建物が隙間なく並んでいる。それがやがて隣との境界が少しずつ広がり、庭がつき、立派な庭園を持つ屋敷へと変わっていった。おそらく中へ行くほど持ち主の身分が高くなるのだろう。

 ジェラルドが馬を止めたのは、その中でも別格の広さを誇る屋敷だった。

 厳めしい黒い鉄の柵の向こう側、大きな庭園を挟んで遠くに見える玄関の前には何台もの馬車が止まっている。人が乗るものもあるが荷馬車も多く、見る限りでは出発の準備が万端のようだ。それがローゼに違和感を抱かせた。


(出発するの? こんな夜中に? ……何をそんなに急いでるの?)


 本来ならいるであろう門番の姿が見えないのは、彼らも手伝いに駆り出されているからかもしれない。

 だからといって警戒を怠っているわけではないようだ。屋敷の前にいる幾人かの騎士がローゼとジェラルドに気づき、何事かを話して動き出したときだった。


 ローゼたちが来た方向、王宮から続く道の方から音が聞こえて来る。

 何頭もの馬のひづめの音に加え、馬車の車輪が回る音だ。


 ジェラルドは音のする方へ馬を向ける。


「ローゼちゃん。ちょっと下がってな」


 声だけはいつもを装っているが緊張は隠しきれていない。表情だって見たことがないほど厳めしかった。ローゼは彼の邪魔にならないよう、言われた通りにセラータを下げさせる。

 やがて角の向こうからはまず、馬に乗った騎士らしき人物が何名か姿を見せた。それが護衛なのだと分かったのは、続いて今まで見たことがないほど豪華な四頭立ての馬車が現れたからだ。

 先頭にいる騎士が門の前にいるローゼとジェラルドを見て声を上げ、馬車を止めさせる。続いて馬車の周りにいた数人の騎士が馬を駆けさせた。彼らはローゼたちの少し前で横並びになる。 


「何者か」


 内のひとりが警戒の目つきもあらわに問いかけてきた。騎士たちは皆、剣に手をかけている。不審者が怪しげな様子を見せればすぐにでも攻撃してくるつもりだ。

 ジェラルドは身振りでローゼに「動くな」と告げた。


「俺は大神殿所属の神殿騎士ジェラルド・リウスだ。人を探してここまで来た」

「……ならば早々に戻れ。ここには貴様のような者が探しているかたはいない」

「探している方、ね」


 少しばかり引っかかる言い方をしたジェラルドに騎士のひとりが詰め寄ろうとした。応じてジェラルドも体に力を入れる。

 その緊迫した空気の中を、高い女性の声が通り抜けた。


「お待ちください!」


 騎士は動きを止めたが、声は騎士たちに向けられたものでも、ましてやローゼやジェラルドに向けられたものでもなかった。ひらりと馬車から降りた、ひとりの青年に向けられたものだ。


「行ってはいけません!」


 馬車の中から身を乗り出した白いドレスの女性が必死に呼びかける。しかし青年は構わず石畳を歩み続けた。彼が着ているものは貴族風の服、光沢のある緑の生地が美しく周囲の明かりに映える。ゆるやかな風が吹いて彼の短いマントと、そして長い褐色の髪とをふわりと揺らした。


 対峙する人々の近くまで来て、青年は低い声で何かを言う。少し眉をひそめながらも騎士たちは馬を操って道を作った。その中を更にローゼのいる方まで進んだ青年は、互いの表情が見えるくらいの位置まで来て止まる。灰青の瞳がジェラルドと、そしてローゼを見つめた。


 正直に言うならばローゼは、青年が姿を現したときに「また、元の日々に戻れる」と思った。あの白いドレスの女性の叫びを聞くこともなく歩んできてくれたときには喜びで胸も弾んだ。彼の名を呼び、一緒に帰ろうと誘うつもりでもいた。しかし考えていた言葉のすべては、彼を近くで目にしたことで消えてしまった。

 彼の表情はとても冷淡で、横で剣を抜こうとしている騎士たちのものとよく似ていた。おそらく今の彼はローゼの言葉に拒絶を返すか、でなければ沈黙を返事とするだろう。ジェラルドも同じ感想を抱いたのか、ローゼの横で喉を鳴らした。


 対峙するローゼたちと、青年と。

 ひりつく空気の中で、青年が口を開く。


 果たして何を言うのだろうとローゼは思った。しかし低く穏やかな声が紡ぐのは単なる言葉ではなかった。彼は独特の節回しで何かを吟じる。まるで誰かに語り掛けるように優しく、透き通るような美しさを持って。

 これはきっと歌だ。天上の神でさえこんなに素晴らしくは歌えないだろう、と思えるほどの神秘的な歌。

 状況も忘れてローゼはただ聞き惚れた。そのせいで彼の持つ何かがきらりと銀色に光ったことも、近くでゆるく力が渦巻き始めたことも気がつかなかった。


【ローゼ! 聖剣を抜け!】


 レオンの声で我に返り、ローゼは聖剣を抜く。掲げた刃が近くの明かりを受けて煌めいた。

 周囲の騎士も一斉に剣を構えるが、歌うのをやめた青年がそれを制した。


 互いの緊張で張りつめる中、レオンが厳めしい声を出す。


【俺の娘に危害を加えようとするやつは誰であろうと許さない。――と言いたいところだが、今回だけはお前の事情を汲んで見逃してやる。ただし一度だけだ。二度目はない】


 レオンの話す内容はローゼに向けたものではない。一体誰に話しているのだろう。

 黙り込んでしまった青年を不審に思ったのか近くの騎士が馬を寄せてひそひそと何かを言うが、青年は動かない。


【俺の言葉が単なる脅しだと思うなら続けろ】


 しばらく待っても青年は動かない。それを確認したレオンが「もういい」と言うので、ローゼは聖剣を鞘に戻した。


【ローゼ、引け。理由は分かるな?】

「……うん」


 騎士の警戒する姿は変わらない。青年の態度も変化はない。今の彼が見せている表情は穏やかな笑みではなく、空気さえ凍り付かせるほどの無表情だ。

 そう、目の前にいるのはアーヴィンではない。青年が着ているものは貴族の服であって神官服ではないし、なによりあのときアーヴィンは言ったのだ。「さようなら」と。


 屋敷のほうから蹄の音が近づいてきた。門の前で騒ぎが起きていることに気づいた騎士たちが駆けてきているのだろう。このままではローゼの我が儘のせいでジェラルドを危険にさらすことになってしまう。


「ジェラルドさん、探している人はいないみたいなので、帰りましょう」

「いいのか?」

「いいんです。これ以上探しても、きっと無駄ですから」


 言って馬首を巡らせようとし、ふと思い返す。振り返って騎士を見つめ、馬車の女性を見つめ、だけど青年だけは見ずにローゼはぐっと顔を上げた。


「そういえばまだ名乗っていませんでしたね。あたしはローゼ。聖剣の主、ローゼ・ファラーと申します」


 なんとなく名無しの娘として認識はされたくなかった。

 ローゼは馬上で微笑み、顔が歪む前にセラータを操る。そのまま振り返ることなく、遅れて並んだジェラルドとともに馬を走らせた。


 無言のまま大神殿へ戻り、馬屋へ着いてそれぞれの馬を戻すと、ローゼは改めてジェラルドに頭を下げた。


「遅くまでありがとうございました」


 いや、と首を振るジェラルドは苦い表情だった。


「結局こうなっちまったな。悪かった」

「いいえ。……だけど、あそこはなんだったんですか?」

「うーん」


 尋ねられたジェラルドは腕組みをして見上げた。


「答えてあげたいんだけどよ、このままここでってわけにもなぁ。かといって今から俺の部屋とかローゼちゃんの部屋ってのも問題ありそうだ」


 空はまだ暗く、朝までかなりの時間があることを示している。確かにこの時間から異性の部屋を訪ねるというのは少々体裁が悪い。


「明日になったら俺の部屋に来なよ。フェリシアちゃんが王宮から戻ってきたら、場所を聞けばいいからさ」

「はい」


 ジェラルドはローゼの肩に手を置いて立ち去る。遠くなる靴音を聞きながらローゼは下へ顔を向けた。

 そう、明日でも構わない。どうせ今ここで詳細を聞いたところで、アーヴィンが戻ってくることはないのだから。


【部屋へ戻ろう、ローゼ】

「……そうね……」


 それでもローゼはしばらく肩を震わせ、地面に雫を落としながら立ち尽くしていた。


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