妹のイノリと下校するのは、小学校からずっと変わらない習慣だった。
それがいつ頃からなのかはハッキリと覚えていないけど、物心ついた頃にはそういうものだった。
だから、こうしてイノリと並んで帰るのは、俺にとっては生活の一貫でしかない。
とはいえ、思うところがないわけでもなかった。
『今日“は”じゃなくて、今日“も”だろ?』
『彼女がいるんだから、俺たちに構ってる暇なんてないんだよー』
クラスメイトたちから言われたことがふと浮かぶ。
そのことをどうこう思ってはいない。周囲からどう見られていようと、そう見えるんだなくらいの感想しかなかった。
でも、イノリも同じなのかと思うと、少し気になりもする。
前で手を合わせて、楚々とカバンを持って隣を歩いているイノリに訊いてみる。
「毎日迎えに来なくてもいいんだぞ?」
「え……」
言った瞬間、ぴたっと立ち止まって見上げてくる。
見るからにショックを受けた顔で、さっきまでの笑顔との落差に俺まで驚いてしまう。
他愛ない世間話の一貫だったんだけど、こうも劇的な反応をされるとは思ってもみなかった。
さっきまであれほどうるさかったセミの声が、やけに遠くに聞こえる。
「一緒に帰っては、……いけないでしょうか?」
「違う違う、そういうことじゃないからっ」
うるっと夜空のような黒い瞳が潤んで焦る。
俺なりの気遣いのつもりだったのが、イノリには拒絶したように聞こえたのかもしれない。
イノリがふるふる小刻みに震える。
そんな小動物のような妹の額に、汗で張り付いた前髪に触れて、指先で流す。
「炎天下で待ってるのも心配なんだよ」
「……そう、なんですか?」
「そうなの」
頷くと、ほっとしたように笑って、「ごめんなさい」と謝ってくる。
俺も胸を撫で下ろす。
「もう子どもじゃないんですよ?」
「昔よりは丈夫になったろうけど、病弱なイメージは拭えないんだよ」
「健康です」と、イノリは半袖のシャツから伸びる白い腕に力を込める。
だけど、力こぶなんてできず、透明に見えるくらい白い肌と、華奢な細腕が強調されただけだった。
嘆息する。
「やっぱり、心配だな」
「どうしてですか!?」
自覚のないところが余計に心配になるポイントだ。
校舎を出る前に自動販売機で買ったペットボトルのスポーツドリンクを渡す。
不満そうに剥れるけど、受け取ってちゃんと飲んでくれる。
水分補給は大事だ。
「それに、たまには友達と遊びに行きたいんじゃないのか? 毎日俺と帰らないで」
「……兄さんが気にかけてくれるのは嬉しいですけど、大丈夫」
イノリは歩き出して、俺の手をするりと握ってくる。
「わたしは兄さんがいれば、それだけでいいんです」
振り返り、無邪気な笑いかけてくる。
「行きましょう」とそのまま手を引くイノリの後ろ姿を、目を細めて見る。
そういうところが心配なんだけどな。
妹を心配する兄の心はなかなか伝わらないらしい。
☆★☆
「美味しいですか?」
「美味い」
テーブルの対面から、自分の料理には手を付けず、ニコニコしながらイノリは俺が食べるところを見つめてくる。
自分の作った料理を食べてくれるのが嬉しいのか、俺がある程度食べるまではいつもこの調子だった。
俺の好物である唐揚げは大皿にてんこ盛りで、2人で食べ切れる量ではない。明日のお弁当になるのが常だったが、にしても作りすぎな気がする。
「でも、量はもう少し減らしてもいいんじゃないか?」
「兄さんにはお腹いっぱい食べてほしいですから」
「お前は俺の母さんか」
「お母さんはお父さんと一緒にお仕事でいませんよ?」
ボケをきょとん顔で返されてしまった。
確かに母さんと父さんはしばらく帰ってきてないけど、そういうことを言いたいわけじゃない。
微妙な気持ちになるが、イノリが作った揚げたての唐揚げはジューシーで美味しく、そんな小さな不満もすぐに満ち足りた心に変わる。
「お風呂も沸いてますから、先に入ってください」
「皿は俺が洗うよ」
「洗濯物を畳んだあと、わたしがやるので兄さんは部屋で宿題でもやっていてください」
丸っ切り母と子のやり取りに、微妙な気持ちが『ただいまー』とあっさり戻ってくる。
甘やかされすぎでは? 俺。
仕事で家を空けがちな両親に代わって、家のことをイノリがやってくれるのは助かっている。
でも、それを当たり前と思うほど横柄でも怠惰でもないつもりだ。
だから、いつだって手伝う隙を探しているのだが、今のように笑って受け流されてしまう。
それでも、無理やり手伝おうとすると『兄さんはわたしにお世話をされたくないんですか……?』と泣きそうになるのだから、俺はどうしたらいいのか。
妹なしでは生きられなくなりそう。
そんな冗談ともつかないことを考えながら、ご飯を食べる。
昔は逆だったんだけどなぁ。
病弱で、風邪をよくひいたイノリを看病していたのはいつも俺だった。
それが今では立場が逆転。
お世話されっぱなしで、このままでいいのかなぁと心配になるほどだ。俺も、イノリも。
妹がいないと生活できないとか、どんな兄だよ。
そんなことを思いながら、つけっぱなしだったテレビに目を向けると、見慣れた地方局のニュースキャスターが今夜の流星群についての話をしていた。
『――今夜から観られる流星群。皆様はどのような願いを、星の祈りますか? 私はそろそろ結婚がしたいので男性偏差値の高い彼氏が――』
地方局だからか、それとも番組の特色なのか。
赤裸々な願望を語るニュースキャスターに呆れつつ、そういえば今夜かと流星群のことを思い出す。
「星に祈ると願いが叶う、ね。皆、夢見がちだよなー」
「兄さんは夢がなさすぎます」
「現実主義と言ってくれ」
というか、周りが現実を見ていないだけだ。
「イノリは信じてるのか?」
「信じてる……というよりは、あったらいいなとは思います」
「ふーん?」
意外な気もするが、イノリも女の子だ。
そうした乙女のような思考をしていても不思議ではないけど……まさか彼氏がほしいとかじゃないよな?
俺の不安を煽るように、テレビではニュースキャスターがいまだに彼氏の願望についてつらつらと語っている。
「なにか、叶えたい願いがある、とか?」
「それは……」
考えるように瞳を上に向けて、イノリはにこっと笑う。
「内緒です♪」
「そ、そうか」
いつもならさらっと教えてくれるのに。
もしかして、もしかするのか?
星に祈るだけで願いが叶うなんて、普段は子ども騙しとしか思わない。
でも、今夜ばかりは俺も星に祈りたくなった。
切実に。
☆★☆
妹に好きな人ができたのか。
そんな不安から昨夜はやけに寝付きが悪かった。
「……いさん、起きてください」
だからか、イノリが起こしに来てくれたのはわかるが、どうにも眠気を優先してしまい、瞼が開けられない。
肩を揺すられているけど、その程度で起きるほど今日の俺の眠気は甘くなかった。
「起きてください、遅刻しますよ?」
「……あと、はちじかん」
「学校終わりますよ」
終わってくれてもいい。
むしろ終われ。
しばらく揺すっても起きない俺に無駄だと思ったのか、肩から手が離れていく。
このままもう1度。
夢の中に旅立とうとしたら、こしょっと耳元で囁かれる。
「……起きないと、キスしちゃいますよ?」
ずいぶんと大胆な戦略だった。
これが妹相手でなければ目も覚めただろうが、残念ながらイノリは妹なのでドキもマギもしない。
とはいえ、こんな起こし方は初めてだった。
大方、アニメや漫画の影響だろうと気に留めず、「やれるものなら、やってみろー」と我ながら眠った声で煽り返す。
「…………いいんですね? 本当にしますよ?」
「かってにしてぇ」
とにかく今は寝たかった。
それに、できるとも思っていない。
だって、俺たちは兄妹なんだから――と、再び眠りに落ちようとしたら、唇になにかが触れる。
暖かく、柔らかい。
いままでに感じたことのない感触だった。
今のは……?
そんな疑問が浮かんで…………………………え。
ガバッと掛け布団を蹴飛ばして起き上がる。
「お、おまっ、……まさか!?」
わなわなと震えながら、ベッドの横で膝をつくイノリを指差すと、妹は頬を赤く染めて薄っすら濡れた唇にそっと触れていた。
「おはようございます――
恥ずかしそうに微笑むイノリを見ているとどうしてか、やけに心臓の鼓動が早くなっていく。