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第2話 実妹との下校、義妹とのおはようのキス

 妹のイノリと下校するのは、小学校からずっと変わらない習慣だった。

 それがいつ頃からなのかはハッキリと覚えていないけど、物心ついた頃にはそういうものだった。


 だから、こうしてイノリと並んで帰るのは、俺にとっては生活の一貫でしかない。

 とはいえ、思うところがないわけでもなかった。


『今日“は”じゃなくて、今日“も”だろ?』

『彼女がいるんだから、俺たちに構ってる暇なんてないんだよー』


 クラスメイトたちから言われたことがふと浮かぶ。

 そのことをどうこう思ってはいない。周囲からどう見られていようと、そう見えるんだなくらいの感想しかなかった。


 でも、イノリも同じなのかと思うと、少し気になりもする。


 前で手を合わせて、楚々とカバンを持って隣を歩いているイノリに訊いてみる。


「毎日迎えに来なくてもいいんだぞ?」

「え……」


 言った瞬間、ぴたっと立ち止まって見上げてくる。

 見るからにショックを受けた顔で、さっきまでの笑顔との落差に俺まで驚いてしまう。


 他愛ない世間話の一貫だったんだけど、こうも劇的な反応をされるとは思ってもみなかった。

 さっきまであれほどうるさかったセミの声が、やけに遠くに聞こえる。


「一緒に帰っては、……いけないでしょうか?」

「違う違う、そういうことじゃないからっ」


 うるっと夜空のような黒い瞳が潤んで焦る。

 俺なりの気遣いのつもりだったのが、イノリには拒絶したように聞こえたのかもしれない。


 イノリがふるふる小刻みに震える。

 そんな小動物のような妹の額に、汗で張り付いた前髪に触れて、指先で流す。


「炎天下で待ってるのも心配なんだよ」

「……そう、なんですか?」

「そうなの」


 頷くと、ほっとしたように笑って、「ごめんなさい」と謝ってくる。

 俺も胸を撫で下ろす。


「もう子どもじゃないんですよ?」

「昔よりは丈夫になったろうけど、病弱なイメージは拭えないんだよ」

「健康です」と、イノリは半袖のシャツから伸びる白い腕に力を込める。


 だけど、力こぶなんてできず、透明に見えるくらい白い肌と、華奢な細腕が強調されただけだった。


 嘆息する。


「やっぱり、心配だな」

「どうしてですか!?」


 自覚のないところが余計に心配になるポイントだ。

 校舎を出る前に自動販売機で買ったペットボトルのスポーツドリンクを渡す。


 不満そうに剥れるけど、受け取ってちゃんと飲んでくれる。

 水分補給は大事だ。


「それに、たまには友達と遊びに行きたいんじゃないのか? 毎日俺と帰らないで」

「……兄さんが気にかけてくれるのは嬉しいですけど、大丈夫」


 イノリは歩き出して、俺の手をするりと握ってくる。


「わたしは兄さんがいれば、それだけでいいんです」


 振り返り、無邪気な笑いかけてくる。

「行きましょう」とそのまま手を引くイノリの後ろ姿を、目を細めて見る。


 そういうところが心配なんだけどな。

 妹を心配する兄の心はなかなか伝わらないらしい。


  ☆★☆


「美味しいですか?」

「美味い」


 テーブルの対面から、自分の料理には手を付けず、ニコニコしながらイノリは俺が食べるところを見つめてくる。


 自分の作った料理を食べてくれるのが嬉しいのか、俺がある程度食べるまではいつもこの調子だった。

 俺の好物である唐揚げは大皿にてんこ盛りで、2人で食べ切れる量ではない。明日のお弁当になるのが常だったが、にしても作りすぎな気がする。


「でも、量はもう少し減らしてもいいんじゃないか?」

「兄さんにはお腹いっぱい食べてほしいですから」

「お前は俺の母さんか」

「お母さんはお父さんと一緒にお仕事でいませんよ?」


 ボケをきょとん顔で返されてしまった。

 確かに母さんと父さんはしばらく帰ってきてないけど、そういうことを言いたいわけじゃない。


 微妙な気持ちになるが、イノリが作った揚げたての唐揚げはジューシーで美味しく、そんな小さな不満もすぐに満ち足りた心に変わる。


「お風呂も沸いてますから、先に入ってください」

「皿は俺が洗うよ」

「洗濯物を畳んだあと、わたしがやるので兄さんは部屋で宿題でもやっていてください」


 丸っ切り母と子のやり取りに、微妙な気持ちが『ただいまー』とあっさり戻ってくる。


 甘やかされすぎでは? 俺。


 仕事で家を空けがちな両親に代わって、家のことをイノリがやってくれるのは助かっている。

 でも、それを当たり前と思うほど横柄でも怠惰でもないつもりだ。


 だから、いつだって手伝う隙を探しているのだが、今のように笑って受け流されてしまう。

 それでも、無理やり手伝おうとすると『兄さんはわたしにお世話をされたくないんですか……?』と泣きそうになるのだから、俺はどうしたらいいのか。


 妹なしでは生きられなくなりそう。

 そんな冗談ともつかないことを考えながら、ご飯を食べる。


 昔は逆だったんだけどなぁ。

 病弱で、風邪をよくひいたイノリを看病していたのはいつも俺だった。


 それが今では立場が逆転。

 お世話されっぱなしで、このままでいいのかなぁと心配になるほどだ。俺も、イノリも。


 妹がいないと生活できないとか、どんな兄だよ。

 そんなことを思いながら、つけっぱなしだったテレビに目を向けると、見慣れた地方局のニュースキャスターが今夜の流星群についての話をしていた。


『――今夜から観られる流星群。皆様はどのような願いを、星の祈りますか? 私はそろそろ結婚がしたいので男性偏差値の高い彼氏が――』


 地方局だからか、それとも番組の特色なのか。

 赤裸々な願望を語るニュースキャスターに呆れつつ、そういえば今夜かと流星群のことを思い出す。


「星に祈ると願いが叶う、ね。皆、夢見がちだよなー」

「兄さんは夢がなさすぎます」

「現実主義と言ってくれ」


 というか、周りが現実を見ていないだけだ。


「イノリは信じてるのか?」

「信じてる……というよりは、あったらいいなとは思います」

「ふーん?」


 意外な気もするが、イノリも女の子だ。

 そうした乙女のような思考をしていても不思議ではないけど……まさか彼氏がほしいとかじゃないよな?


 俺の不安を煽るように、テレビではニュースキャスターがいまだに彼氏の願望についてつらつらと語っている。


「なにか、叶えたい願いがある、とか?」

「それは……」


 考えるように瞳を上に向けて、イノリはにこっと笑う。


「内緒です♪」

「そ、そうか」


 いつもならさらっと教えてくれるのに。

 もしかして、もしかするのか?


 星に祈るだけで願いが叶うなんて、普段は子ども騙しとしか思わない。

 でも、今夜ばかりは俺も星に祈りたくなった。

 切実に。


  ☆★☆


 妹に好きな人ができたのか。

 そんな不安から昨夜はやけに寝付きが悪かった。


「……いさん、起きてください」


 だからか、イノリが起こしに来てくれたのはわかるが、どうにも眠気を優先してしまい、瞼が開けられない。

 肩を揺すられているけど、その程度で起きるほど今日の俺の眠気は甘くなかった。


「起きてください、遅刻しますよ?」

「……あと、はちじかん」

「学校終わりますよ」


 終わってくれてもいい。

 むしろ終われ。


 しばらく揺すっても起きない俺に無駄だと思ったのか、肩から手が離れていく。


 このままもう1度。

 夢の中に旅立とうとしたら、こしょっと耳元で囁かれる。


「……起きないと、キスしちゃいますよ?」


 ずいぶんと大胆な戦略だった。

 これが妹相手でなければ目も覚めただろうが、残念ながらイノリは妹なのでドキもマギもしない。


 とはいえ、こんな起こし方は初めてだった。

 大方、アニメや漫画の影響だろうと気に留めず、「やれるものなら、やってみろー」と我ながら眠った声で煽り返す。


「…………いいんですね? 本当にしますよ?」

「かってにしてぇ」


 とにかく今は寝たかった。

 それに、できるとも思っていない。


 だって、俺たちは兄妹なんだから――と、再び眠りに落ちようとしたら、唇になにかが触れる。


 暖かく、柔らかい。

 いままでに感じたことのない感触だった。


 今のは……?

 そんな疑問が浮かんで…………………………え。


 ガバッと掛け布団を蹴飛ばして起き上がる。


「お、おまっ、……まさか!?」


 わなわなと震えながら、ベッドの横で膝をつくイノリを指差すと、妹は頬を赤く染めて薄っすら濡れた唇にそっと触れていた。


「おはようございます――さん」


 恥ずかしそうに微笑むイノリを見ているとどうしてか、やけに心臓の鼓動が早くなっていく。


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