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第3話 おかしな妹、おかしな友達

 あのキスはなんだったのか。

 悪ふざけにしても度がすぎているし、イノリはそういうことをする性格でもなかった。


 まだ唇に触れ合った感触が残っていて、確かめるように触れると、体温が上昇する。


 昨日までは変なところなんてなかったのに、急にどうしたんだ。

 沸騰しそうになる頭を悩ませていると、朝食の準備を終えたイノリがエプロン姿でキッチンから出てくる。


「はい、義兄にいさん」

「あ、ありがとう」


 朝の出来事が頭を占領していて、イノリの顔が直視できない。「どうしたんですか?」と小首を傾げてくるけど、それを言いたいのは俺の方だった。


 イノリから目玉焼きやサラダの載ったプレートを受け取りながら悶々としていると、エプロンを取ったイノリがそのまま隣の席に収まる。

 ……え、なんで?


「イノリの席は正面だろ?」

「?」


 これまでの慣習に則った、真っ当な指摘をしたのだけど、どうしてか不思議そうな顔をされる。


「なにを言っているんですか? わたしはいつも義兄さんの隣に座っているでしょ?」

「え、は? いつも???」


 それはどこの世界のいつもなのか。

 覚えのない定位置に戸惑っていると、「もう、変な義兄さん」と笑われてしまう。


 俺からするとイノリの方が変なんだけど……なに、俺がおかしいのか、これ?

 困惑している間にイノリは隣の席に座って、「いただきます」と手を合わせる。


「義兄さんは食べないんですか?」

「た、食べる」


 戸惑いつつも手を合わせる。


 なんだ、この状況。

 凄いおかしいというわけじゃない。でも、ボタンを掛け違えて全体がズレているような、そんな感覚がある。


 ボタンの掛け違いにしては、朝のあれは強烈にすぎるけど。

 目玉焼きとレタスを乗せた焼いた食パンを食べていると、隣からくすりと笑い零した声が聞こえてきた。


「義兄さん、口の端に卵の黄身がついてますよ?」

「ん」


 考え事をしながら食べていたら、口の周りが食べかすで汚れてしまっていたらしい。

 子どもかと自嘲しつつ、テーブルの上にあるティッシュに手を伸ばそうとしたところで、横合いから手が伸びてきた。


「だらしないんですから、義兄さんは」

「そ、そこまでやらんでも」

「口を閉じてくださいね?」


 幼子をあやすように言われて、不承不承唇を結ぶ。


 そのまま丁寧に唇を拭われる。

 ティッシュ越しとはいえ、妹の指が俺の唇に触れていると、どうしても朝のことを思い出してしまう。忘れようにも、衝撃的すぎて脳に刻まれてしまっている。


「はい、綺麗になりました」


 なのに、イノリは意識した様子なんか微塵もなく、満足そうに笑っているのだから、どちらがおかしいのかわからなくなる。


  ☆★☆


「見てたぞー?」

「あぁ゛っ?」


 登校してさっそく友人に絡まれる。

 朝からやけに疲れてしまっていて、こいつのダル絡みを笑って受け流せる余裕はなかった。


 自然と出たドスの利いた声にびびったように友人が身を引く。


「な、なんだよ。機嫌悪いな、なんかあった?」

「……なんでもない」


 まさか、妹におはようのキスをされた挙げ句、子どものように食事の世話をされていたなんて口が裂けても言えない。

 もし知られたら、こいつを樹海に埋めなくてはならなくなる。


「くくくっ」

「こえーよ」


 友人が引きつった顔でどん引きしている。


「で、なにを見たって? 今日の俺に冗談を冗談として流される余裕はないから、言葉には気をつけろよ? 土に還りたくたくなかったらな……!」

「なにも言えなくなるっつーの」


 ならなにも言うなと言いたいが、友達がなにを『見た』のかは気になる。

 唇を真横に結んで冷や汗を流している友達に、「いいよ、話して」と促す。


「お、おぅ。いや、彼女と腕組んであいあい傘なんて、朝からお熱いですねーって茶化したかっただけなんだけど」

「……」

「その虚無の目やめろよ!? 埋める気!? 埋める気なのか俺をっ!?」


 やすやすと俺の逆鱗に触れてくる奴を埋めたくはなる。

 どうしてこうピンポイントで人の神経を逆撫でられるのか、一種の才能ではなかろうか。マイナス方面の。


 というか、あー……やっぱり見られてるよな。


 予報では曇りだったんだけど、朝からにわか雨が降っていた。

 家を出る前から降っているのだから、それぞれ傘を差せばいいのに『一緒の傘で行きましょう?』とイノリに言われて承諾してしまった。


 いや、断った。

 断ったんだけど、『そうですか……』としょぼくれるイノリを見て、前言を撤回するしかなくなったんだ。


 イノリの通う中学校までだったが、高校とは隣同士だ。

 登校時間であれば、クラスメイトに見られていてもおかしくはなかった。


 一緒の傘に入るのもだけど、なんで腕を組んでくるのか。

 妹の言動のおかしさに、謎も苦悩も深まるばかりだ。


「彼女じゃねーよ。妹だ妹」

「わかってるけどさー、あれだけ仲がいいとそう言いたくもなるじゃん?」

「なるな」


 妹は妹。

 彼女にはなりえない。


「でも、だろ? 血は繋がってないんだから、ワンチャンそういうこともあるのかなーって」

「……は?」


 なに言ってるんだこいつ。

 信じがたいものを見る目を友人に向けると、慌てたように手を振った。


「や、義妹だから付き合えるってのは、そりゃゲームの影響だけどさ? 絶対にないってわけじゃ」

「止まれ違う」


 俺が聞きたいのはそこじゃない。


「義妹じゃなくて、実妹だ。血は繋がってる」

「へ? いやだって、コウが言ったんじゃないか」


 困惑した様子で、友達は確認するように言う。


「妹は血の繋がりのない義妹だって」

「…………………………はぁ?」

「冗談だったのか?」と戸惑う友人。

 でも、困惑したいのは俺の方だった。


 そんな話、冗談であってもしたことはない。

 もし仮に、俺が忘れているだけで過去に口にしたことがあったとしても、それを信じ続けさせることはしないはずだ。


 なんなんだ、本当に。

 朝、イノリがキスしてきたことといい、なにかがおかしかった。


「コウ? なんか今日変だぞ?」


 友人から声を掛けられても返事ができない。

 まるで知らない間に鏡の世界に迷い込んだような、そんな感覚に陥って、意識が遠のいていくようだった。


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