目次
ブックマーク
応援する
いいね!
コメント
シェア
通報

第5話 夜空の星から転校生

 夏休みまで残り2日。

 学生なら指折り数えて待ち遠しくしている時期なのに、俺は朝から憂鬱でしかたがなかった。


 食卓の窓から見える空が、俺の気持ちを代弁するように曇っている。

 焼いた食パンを口に咥える。噛みもせずそのまま止まってしまう。


 はぁ、と何度目かのため息を零していると、今日も隣に座っているイノリが心配そうに横から覗き込んできた。


「義兄さん、昨日から元気なさそうですけど、大丈夫ですか?」

「あぁ、うん、平気」

「本当に?」


 言って、伸ばされた手が俺の額に触れる。


「……熱は、なさそうですけど」

「だい、じょうぶ、だから」


 不意に触れられて、咄嗟に仰け反りそうになったのを必死に堪える。


 だって、実妹であれ、義妹であれ、それは変だ。

 意識しすぎ。

 たかだか熱を計るくらいなんだっていうのか。


 触れた部分から伝わってくる手の感触と冷たい体温に、目が回りそうになる。

「ちょっと上がった?」なんて、イノリが疑問を零すので、「平気」と少しだけ頭を後ろに下げて、妹の手から離れる。


 そのままなんでもない様子を装って、食パンに齧り付く。口の中に溜まった唾液を吸い取るように、食パンはパサパサに乾いていた。


「それならいいですけど、本当に体調が悪いのなら、学校は早退してくださいね? 一緒に病院に行きましょう」

「病院くらい1人で行けるやい」


 子ども扱い。

 ざくむしゃと豪快に食パンを食べ進めると、「もう」と呆れたようにしつつイノリが食べかすいっぱいの口の回りを拭いてくる。


 これは、甲斐甲斐しいで済む行動なのか。

 兄妹なのに。


 これまで意識してこなかったイノリとの距離感が悩ましい。

 結露で濡れたコップを掴み、体の熱を冷ますように水を一気飲みする。そのままぷはっと息をいて、ずっと頭の大部分を占領している悩みを、意識してさらっと聞いてみる。


「俺とイノリは血の繋がった兄妹だよな?」

「義兄さん……」


 黒い瞳が驚いたように丸くなる。


「かかる科は、精神科の方がよさそうですね」

「ごちそうさまでした!」


 現実は非情だった。


  ☆★☆


「夏休み直前だからって、だらけすぎじゃない?」

「うるせーお前に言われたくないー」


 教室の机で溶けていると、普段は俺以上にだらけている友人からそんな言葉を苦言をされる。

 腹が立つが、登校した途端、寝るように机に突っ伏したらそう言われるのも無理はないかもしれない。


 とはいえ、夏休みまでもう間もない。

 だらけているのは俺だけじゃなく、クラスメイトたちは学校の授業よりも、夏休みの予定を立てることに熱心だった。


「旅行、どこ行こっか?」

「海!」

「プール!」

「温泉!」

「……熱くない?」


 元気な声が頭に響く。

 寝不足もあるのだろうけど、頭に残る『義妹』という問題が余計に反響させている気がする。


 目に入りそうになった汗を拭うと、友人がふと声を落として話してくる。


「顔色悪いぞ? あれなら、保健室行くか?」

「そんなに?」

「青い」


 血の気が引いているのだろうか。

 今日はやけに心配される。


 病は気からと言うが、このままだと本当に倒れるかもしれない。

 現状、俺にどうこうすることはできない。

 今は妹のことを無理やりにでも忘れて、気を持ちなおすべきなんだろう。


 それが空元気であったとしても。


「よくはないけど、そこまでじゃないから気にすんな」

「そうか? でも、無理そうなら言えよ? 俺が運んでやる。お姫様抱っこで」

「そのときはドレスも用意してくれ」


 わっはっはと揃って笑う。

 普段はふざけているが、なんだかんだ人に気を遣える友人だ。だからこそ、友人をやれているとも言える。


「コウの体調については置いといて。今日、言おうと思ってた大事件があるんだ」

「大事件?」


 言われてドキリとする。

 妹のことがある。もしかして、他にもなにか起きていたりするのか?


「あぁ」と頷いた友人が「実は今日――」と続きを口にしようとした瞬間、鐘が鳴る。すぐに先生が教室に入ってくる。


「はいはい、皆さん楽しい楽しい夏休みの予定を立てるのは休み時間にしてくださいねー」

「先生はどこ行きたいですかー?」

「合コン」


 わっと湧くように教室中が笑いに包まれたあと、教壇に立った先生が静かになるを待ってから話しだした。


「今日は皆に新しい転校生を紹介します。時期外れ、というか夏休み前に顔を合わせる機会は少ないですが、仲よくしてあげてください」


 入って、と先生が促すと教室の扉が開く。

 足音を立てず、静かに教壇まで歩く彼女に教室中が息を呑んだ。


 夜空のように深い紺色の髪が肩口を掠める。

 ただ前髪の一房だけは白く、まるで尾を引く流れ星を思わせた。


 透き通った肌に、筋の通った鼻筋。

 精巧な容姿に誰もが目を奪われるが、その中でも際立つのは輝く星のような金色の瞳だった。


「……仔星こぼしセラ」


 夏の入口。

 流星群の始まりに、夜空の星のように美しい転校生が教室に落ちてきた。


この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?