どうしてこうなるのか。
最終的に自分から受け入れたとはいえ、一夜を明けると口から憂鬱なため息がはぁとこぼれる。
人間、未来が見れない以上、本当に正しい行いだったかどうかなんて死ぬまでわからない。それでも後悔というのは毎日のように胸を重くする。
動作も緩慢になって、靴を履くのにもいつもの倍近い時間をかかっている気がした。
「義兄さん、どうかしたんですか?」
玄関を開けて登校準備万端のイノリが声をかけてくる。
妹がパッと玄関から手を放す。玄関扉が音を立てて閉まる間もなく、当たり前のようにイノリは顔を近づけてきた。
間近に迫る黒い瞳に、心臓が跳ねるのは何回目だろうか。
「昨日もそうでしたけど、本当に大丈夫なんですか? 無理、してません?」
「平気だから」
顔を逸らして、ぺしっと軽くイノリの額を払う。
大して強い力じゃなかったが、払われた箇所を撫でるイノリは、むーっと唇を尖らせる。子どもが剥れたような、拗ねた顔そのものだ。
こういうところは、相変わらずなんだけどなぁ。
次々と生まれる憂鬱をまた吐き出しそうになって、喉元で押し返す。妹の前で見せる態度ではないよな。
「ならいいですけど」
「それに、今回の悩みは昨日とはまた違うし」
「悩み?」
怪しむようにイノリがジト目を向けてくる。
余計なことを口にしたなと手で唇を押さえつつ、伝え忘れがあったことを思い出したので誤魔化すついでに伝えておく。
「そういえば、今日は放課後、迎えに来なくていいから」
「……!」
言った瞬間、イノリがなにやらショックを受けたような顔になる。
膝から崩れ落ちて、口を手で覆ってうっと嗚咽を零す。
「悩みというのは、わたしと一緒に帰ることだったんですね? そういえば、先日も一人で帰れと言われましたし、義兄さんはわたしと一緒に帰るのがそんなに嫌だったんですか……っ?」
「なんで恋人に別れを告げられたみたいなリアクションなんだよ。違うから」
それも悩みじゃないと言えば嘘になるが、今回は的外れだった。
「なら、どうしてですか?」
「……あー」
潤んだ瞳で見上げられるとどうにも弱い。
妹だからか、それとも兄の贔屓目なしでも美少女だからか。
機嫌をよくするためならなんでもしたくなるが、今日ばかりはイノリを優先するわけにはいかなかった。
正しい選択か否かは置いておいても、俺にとっては死活問題だから。
「天文部に入部したんだ」
「てんもん……ぶ?」
大きな瞳を丸くして、幼い子どものように俺の言葉を繰り返すイノリは、年齢以上に
☆★☆
放課後になって階段を上がる足はどこまでも重かった。
静かな廊下を歩く足音がやけに響いて、頭の中で反響する。
窓の外は灰色。
ここしばらく曇天が続き、そんなわけないのに俺の心境を水面のように映しているような気分になってくる。
その憂鬱さは廊下の突き当りの教室、『天文部』の表札を見上げると胸中では押さえきれず口をつくように吐き出された。
「まぁ、他に選択肢もないしな」
頼れる人も、またいない。
諦めて天文部の扉を開ける。
昨日と同じように得意げな顔で回転椅子に座って、棒付き飴を舐めている
「やぁ、わたしのアイリーン。よく来てくれた」
「違うから」
顔を合わせて挨拶じゃなく、否定から入る相手がどれだけいるだろうか。
そんなヤバい人と関わるべきじゃない。
でも、常識では説明できない現象に巻き込まれている以上、非常識な人間こそ頼りになる……はずだ。たぶん。そうでなきゃ、あまりにも俺が不幸すぎる。
「でも、昨日、君は私のプロポーズを受け入れてくれただろう?」
「過去を捏造するな」
「探偵は真実を明らかにする。しかし、ときにはあえて語らないのも、名探偵の条件さ」
「都合のいい真実」
非難してるのに、ふんぞり返るのはふてぶてしすぎだ。
そのまま、椅子ごと倒れてくれないかなと、小さな不幸を願いながら記入済みの入部届を
「これが婚姻届か」
「破って捨ててやろうか」
ふふっと天文部長は笑って、大事そうに折りたたむ。
「結婚はいずれ。まずは助手君として仲を深めていこう」
「そもそもプロポーズ理由が問題外」
「どこがだい?」
天文部長が首を傾げる。
「不思議な現象に巻き込まれる君の傍にいられれば、私も事件の渦中にいられる。結婚を申し込む理由としては、これ以上ないほど理に適っていると思うがね?」
「愛ってなんだろうなー」
結婚の墓場ってこういう意味じゃないだろう。
わかりやすく肩を落として辟易してみせるも、天文部長は気にした素振りも見せず、むしろ歌うように鼻を鳴らして上機嫌だ。
「まぁ、結婚はともかく」
咥えていた棒付き飴を俺に突きつけて、不敵に、楽しげに。
天文部長はにっと歯を見せて笑う。
「君は不可思議な現象を解消したい、私は謎を知りたい。ギブアンドテイクだ。仲良くしようじゃないか――助手君?」
つまるところ、入部理由はこれに尽きた。