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第2話 妹の会わせたい人は、コーヒーショップの美人客

 土曜日の昼下がり。

 リビングの窓から室内を焼くような日差しが入り込んでくる。


 夏の盛りだと叫ぶようにセミの声がどこかしこから響いてきて、昼食を食べて人心地をついていた俺に夏だなと思わせた。

 実際、学校としても今日から夏休みだ。学生からすれば、今日から本格的な夏だと感じる生徒も多いだろう。


「……(ぽけー)」


 ソファーからお尻が落ちそうになるくらいだらしない格好でだれている。リビングでお皿を洗っているイノリから「さすがにだらけすぎですよ」と苦言が飛んでくるくらいには、傍目から見てもふにゃふにゃなんだろう。


 俺自身、夏休み初日から怠惰にすぎると思う。

 けど、俺がこんな風に腑抜けているのは、別に夏休みが始まったこととは関係なかった。むしろ、夏休みである事実に『夏休みに入ったので、どこか遊びに行きませんか?』とイノリに誘われるまで気がつかなかったほどだ。


 意識はずっと昨日の放課後から続いたまま。

 寝て、目が覚めても意識が連続していて、頭が痛いほどだ。


 点けっぱなしのテレビを観ると、丁度13時になって昼のバラエティ番組に切り替わるところだった。


 もう行かないとな。

 ずるりとソファーからお尻を落とす。ひんやりしたフローリングに頬をくっつけると、このまま寝転がっていたくなるが、そうできない用事がある。


 億劫だ。

 でも、行くしかないとやたらめったら重い体を持ち上げ、のっそりと立ち上がる。


「イノリはこれからどこか出かける?」


 ジーンズ生地の洒落たエプロンを付けたイノリが、丁度よくキッチンから出てきたので確認しておく。

 一瞬、きょとんっとしたイノリだったけど、すぐになにかに気づいたようにハッとする。


「いえ、ないです! ありません!」

「そうか……」


 やたら元気な返事をされて、俺の肩がずしりと重くなる。

 予定があったならしょうがないと断れたのに、とても残念だった。


「義兄さんはどこに――」

「なら、家にいてもらっていいか?」

「――でかけたい……え?」


 声が重なって、イノリの言葉がよく聞き取れなかった。


「ごめん、今、なんて言った?」

「い、いえ。義兄さんからどうぞ」


 どこか焦るように両手を広げて、どうぞと俺に先を促してくる。

 なんだと疑問に思うけど、長い黒髪の毛先を弄り、イノリはどことなく落ち着かない雰囲気だ。


 まぁ、いいか、あとで聞けば。

 ひとまずはこっちからだなと、重い吐息とともに吐き出す。


「――イノリに会わせたい人がいるんだ」

「………………あ、ぇあ?」


 壊れたおもちゃの断末魔のような声が、イノリの口から零れ出た。


  ☆★☆


「あっつぃ」


 家から外に出ると、中で感じていた日差しとは別物で、容赦のなさにさっそく汗が吹き出す。冷房を効かせていた室内との体感温度の差は10℃をやすやすと超える。


 今日も今日とて涼しい顔のニュースキャスターが過去最高気温と淡々と告げていて、もはや風物詩のように耳に馴染んでいた。


 前髪に手を当て、ひさしを作る。

 今日は午後から曇って夜は雷らしく、見上げた空にはカリフラワーのようにもくもくした雲が浮かんでいた。


「イノリ、置いてきたけど大丈夫だったかな?」


 どうしてか壊れたように動かなくなってしまったイノリ。目の前でブンブン手を振っても瞳すら動かず、気を失ったように固まったままだった。

 一応、家を出るときには『い、て……らっしゃ、い』と息も絶え絶えに見送ってくれたが、明らかに挙動不審だった。


「帰ってから確かめるか」


 用事を一つ増やしていると、近くのバス停に到着する。

 土曜日、それも夏休み初日の午後だからか、待っているのは俺だけ。じりじりと背中を焼かれながら待っていると、すぐにバスが到着した。


 車内のぬくい空気にほっと息を吐き、後ろの空いてる席に座る。バス停同様、人の少ない車内はバスの走行音とアナウンスだけが響いている。


 街中にはない、どこか田舎めいた静けさに浸っていると、時間が飛んだようにバスは終点の駅前に着いていた。


 穏やかな心地に浸かるのもここまで。

 駅に降り立つと、湿度の高いむわっとした熱気が襲ってきて、バス車内に引き返したくなる。


 残念ながら振り返ったときにはバスは扉を締めて走り出していた。


「行くかぁ」


 ここまできてやっぱりやめたと引き返すのも不毛だ。

 待ち合わせ場所である駅近くのコーヒーショップに入り、アイスコーヒーを注文する。


「もういるか?」


 受け取ったコーヒーを受け取って店内を見渡すと、俺と同い年くらいの男2人組の声を潜めた、それなのにやけに鮮明な会話が聞こえてきた。


「めっちゃ美人」

「声かけようかな?」

「相手されると思う?」

「しない……」と、勇気を振り絞る前からしょぼくれて、けれど楽しげな話し声にふーんっと鼻を鳴らす。


 見てわかるくらいの美人って、モデルでもいるのかね?


 つい気になって目を向けて、うげっとなる。

 思春期少年たちのこそっとした視線の先。

 そこにいたのが、天文あまふみ部長だったからだ。


 カジュアルな服装ながら、夏の日差しに負けず白く細い腕を惜しげもなく晒すブラウスに、長く細い足を際立たせるスラリとしたパンツ。

 飾り気は薄いが、格好よく大人らしいスタイルが、金髪銀眼と合わさって周囲から浮いていた。よくも、悪くも。


 あれに声をかけるのか、俺。


 2人かけのテーブル席で本を読んで人目を引いている天文部長に気後れしていると、ふと銀の瞳が持ち上がった。

 目が合うと、すぐに彼女は迎えるように微笑む。


「待った、と訊いてくれるかな?」


 中身を知らなければ、夏の暑さよりも熱に浮かされる美人の微笑みだ。

 それを向けられる俺には、対照的に冷たい視線が突き刺さる。


 店内に入ったときよりも寒いんだが。


「……待った?」

「今来たところだよ」


 ただの待ち合わせすら楽しむようにはにかむ天文部長に、ときめいてしまったのは夏の暑さのせいにしておく。


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