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第3話 大人だった天文部長

 待ち合わせを楽しむかのようにくすくす笑っている天文あまふみ部長の対面に座ると、背中に刺さる視線が強まったように感じる。

 ちらっと後ろを窺うと、さっきの思春期少年たちと目が合って、悔しげに歯噛みされた。


 彼女でもないし、自慢するつもりもないんだけど。

 アイスコーヒーと一緒にやるせない気持ちを飲み込んで、半眼でやけに洒落た天文部長を見る。


「なんで普通に着飾ってるんだよ」

「いつも通りだが?」

「いつもぉ?」


 学校ですら、白衣を着て棒付き飴を舐めてるような女のいつもがこれぇ?

 帽子にコート、パイプと探偵コスプレしていた方が、むしろ想像通りだった。そんなコスプレ女の隣は歩きたくないから文句は言わないけど、えー。


 疑いを深めて目を細めると、すっと銀の瞳が横に逃げた。


「……まぁ? 初めて男性と休みの日に出かけるから? 多少、見栄は張ったかもしれないがね?」

「そのせいでやたら衆目を集めてるんだが?」

「ふふん! 私が美人ってことだな!」


 得意げに天文部長が胸を張る。

 制服じゃなく、夏なのもあって薄手のブラウスなのだが、張った割に胸の起伏は変わらない。日本人離れな見た目の割に、奥ゆかしい体型だった。


「今、とっても失礼なことを考えなかったかい?」

「いいえまったく」


 逆に疑わしげに睨まれたので、目を逸らさないで『この曇りなきまなこが信じられない?』とばかりにじっと見つめ返す。

 1秒、2秒……5秒経つと、すっと天文部長が「なら、いい」と顔を背けた。よし、誤魔化せた。


「だいたい、出かけるって言っても、妹に会いに来るだけだろ?」

「なにを言うんだい」


 呆れた、とばかりに天文部長は肩をすくめた。


「短くとも、男性と2人ででかけるのなら、それはデート、だろ?」


 パチンッとウィンクをされて、辟易した吐息が俺の口から自然と漏れた。


「情緒が女子小学生」

「なんだとー!?」


 がおーっと両手を上げて襲いかかってくるのを尻目に、火照った体をアイスコーヒーで冷やす。


  ☆★☆


「なぁ、本当に妹に会うのか?」


 バスで行って帰って。

 コーヒーショップで待ち合わせついでに小休憩したとはいえ、ほとんどとんぼ帰り。夏の陽に当てられ、体力ばかりが消耗していく。


 それでも、いざ現実と向き合うとなると、疲れも忘れて『やっぱりやめない?』と天文部長を引き留めたくなる。


 俺と天文部長しかいない帰りのバス。

 1番後ろの長椅子で、縋るように彼女の説得を試みるが、帰ってきたのは呆れたようなため息だけだった。


「ここまで来て臆病風にでも吹かれたかい、助手君?」

「臆病でもいい。現実から目を背けていられるなら……!」

「格好いいようで、まったくもって情けない発言だね」


 不甲斐ないという目で見られると、天文部長が相手であっても若干傷つく。

 ぱしっ、とすげなく彼女の肩に縋った手を払われ、傷心は深まるばかりだ。


「そも、助手君も昨日は承諾したろう?」

「そうだけど……」


 詰めるように正論を言われて、反論の言葉が出てこなくなる。

 口の中でもごもごするのが精一杯だった。


 天文部長の言う通り、『実妹が義妹になった』という現象を調査し、解消する上で、最初に話を訊くべきは当事者だ。

 それは俺であり、イノリだった。


 だから、理にかなっている。

 俺も頭ではわかっているから、不承不承だが昨日は頷いた。

 でも、これから直面すると思うと、どうしても二の足を踏む。躊躇してしまう。


「だって、イノリにまで否定されたら本当におかしいのは……」

「降りる停留所はここかな?」


 言われて、知らず俯いていた顔をのっそり上げると、次の停留所は確かに家の近くだった。

 頷くと、嬉々として天文部長が停車ボタンを押す。


 子どもか。

 そう思うも、そういえば出会ったときから子どもだったなと、その天真爛漫さが眩しく見える。


「助手君がなにを心配しているかはわかっているつもりだよ」


 停車ボタンを押すために少し浮かせたお尻をもとに戻して、さっきとは違い落ち着いた声音で話しかけてくる。

 膝に腕を乗せた前屈みのまま、見上げるように横を見ると、天文部長はふっと口角を釣り上げていた。


「天文部部長であり名探偵でもある私がいるんだ。助手君は安心して、どっしりと構えていればいい」

「年上みたいなことを言う」


 なんの根拠もない、虚勢にも見える自信だった。

 だいたい天文部部長で名探偵って、両立するのか。そして、そのどこに安心する材料があるのか。


 まったくもって意味不明。

 けど、さっきまでざわめいていた焦燥が小さくなった。

 なくなったわけじゃない。

 蝋燭の火のようにまだ心の底を燻っている。でも、我慢できるくらいには小さくなっていた。


 それを見越して大見得をきったわけじゃないだろうけど、彼女の頼りがいを見た気がした。

 名探偵はともかく、部長っぽくはあるのかも。


 天文部には俺以外に部員はいないけど、役職というのは人格形成に寄与するのかな。

 なんて考えていたら、天文部長が「ん?」と不思議がるように喉を鳴らした。


「みたいって、私は年上だが?」

「……はぃ?」


 とし、うえ?


「誰が?」

「私が」

「俺より?」

「年上」

「おいくつですか?」

「18」


 頭を抱える。

 これまでの不安が序の口だったみたいに、割れるように頭が痛くなる。


 天文部長が18歳? つまり、高校3年生で俺より1学年上? 年齢だと2歳も年上ぇ?


「こんな、こんな小学生か中2で卒業するべきごっこ遊びに興じてる人が俺より大人ぁ?」

「文句があるなら、私の目を見て言いたまえ? 平手ではなく、グーで応えてあげよう」


 震える天文部長の声が聞こえてくるが、それどころじゃない。

 世の不条理、もっとも不可思議な現象とは天文部長の存在そのものじゃなかろうか。


「なんか、自分の不安がちっぽけに思えてきたわ」

「その不安の解消は不本意なんだがっ!?」


 わーっと天文部長が飛びかかってきてしっちゃかめっちゃか。

 バスの運転手さんに『いちゃつくのはバスを降りてからにしてくださいねー』と微笑ましげにアナウンスされて、いつの間にか停留所に止まっていたバスを、揃って顔を赤くして降車する羽目になった。


 他の乗客がいなくてよかったと、心底思う。

 別にいちゃついていたわけじゃないが、傍からそう見えるやり取りをしていたという事実がなによりも恥ずかしかった。


 で、そんな恥ずかしい思いをしつつ、家に帰ってみれば、


「あ、おかえりなさい、義兄さん!」

「…………なにしてるの?」

「盛り塩です」

「それはわかるんだけど」


 玄関前で盛り塩に勤しむ笑顔の妹の姿があった。

 なんというか、なんというかだ。


「気を失いてぇ」


 これ以上、頭が痛くなる問題を増やさないでほしい。

 まだ星のない空を仰いで、切実にそう願う。


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