最高気温は35度を超えた夏真っ盛り。
リビングはクーラーが効いているとはいえ、外から帰ってきたばかりで体が熱を放っている。
「初めまして、
「はい、わたしの義兄さんがお世話になっております、部長さん?」
だというのに、やけに寒気がする。
俺の隣に座るイノリも、その対面に座る天文部長もこれ以上ないってほど笑顔なのに、友好の欠片も感じないのも不思議だった。
天文部長は面白がってるだけだろうけど。
猫のように細められた銀の瞳が、俺の認識が正しいことを教えてくれる。
未来予知ではないが、わかりきった反応ではあった。
だから、それはいい……いや、愉しんでいるのは咎めたいけど、一旦置いておく。
「本日はどのような用件でしょうか? これから
問題なのは、笑顔なのにやけに刺々しいイノリの態度だった。
買い出しなんて知らない……行くけど。
イノリは誰に対しても礼儀正しい妹だ。
拗ねたりすることはあっても、怒っているのをほとんど見たことはない。
それが初対面ともなれば初めてで、『暑さにやられたんじゃないか?』と不安になるくらいには異常事態だった。
これも、実妹から義妹に変わった影響……なのだろうか?
冷や汗がつーっと背筋を伝うのを感じながら、なんかしっくりこないなと内心、首を捻っていると、笑顔を牽制し合っていた天文部長が意気揚々と口を開いた。
「助手君に妹がいると聞いてね、少し話をしたいと思ったんだ」
イノリの刺々しい機嫌の悪さを感じていないわけではないだろうが、その空気の読めなさはある意味で尊敬に値する。
真似したいかはともかく。
眉を潜めたイノリがこちらを見て『どういうことですか?』と言外に訴えてくる。
別に怒られるようなことはないんだけど、妹の普段感じない威圧感に気圧されて、『あだ名……みたいな?』というのが精一杯だった。
実際にはあだ名でもなんでもないが、探偵だなんだと説明するのは面倒だ。言って理解できるかもわからない。なにせ、俺も天文部長の突飛な考えを理解しきれていないのだから。
出会って数日では、子どものおもちゃ箱のような彼女の発想を把握できるはずもない。時間をかけてもできそうにないが。
納得したのか、していないのか。
イノリは威圧的だった笑顔を引っ込めると、代わりに下唇を尖らせた。わかりやすい拗ね方に、少しだけ安心する。
笑顔でバチバチやられるよりは、ずっといい。
「わたしは、部長さんと話したいことなんてありませんけど」
「そう言わずに、ね?」
天文部長がくすりと笑みを零す。
「
イノリの肩がぴくりと跳ねる。
リビングに入ってから、吹雪く雪山にいるようなひりついた寒気を感じていて、俺はまともに喋れていない。
天文部長の『義妹』発言に、ヒヤヒヤするばかりだ。
ただの呼称として口にしているのか、探っているのか。
頭よさそうに見えて天然が爆発している彼女なら、前者な気もする。
本当に大丈夫なのか?
一層、肌寒くなって手と手を擦り合わせていると、イノリが膝の上でぎゅっと拳を握ったのが見えた。
「……あなたに義妹なんて、呼ばれたくありません」
固く、絞り出すような声だった。
「君は義妹だろう?」
怒って、拗ねて、意地になって。
よくない方向に転がっているような気がして止めたくなったが、口を挟む間もなく天文部長が言う。
笑って、どこまでも楽しげに。
「……違います」
イノリが否定して、ぎょっととなる。
え、違うの?
「でも、血は繋がっていないだろう?」
「血の繋がりとか関係ありません。わたしは義妹じゃないですから」
「それなら、実妹かな?」
「……そんなわけないでしょう?」
じ、実妹でもないの?
義妹でも、実妹でもなくて、じゃあ俺とイノリの関係はなんなのか。痛くなるくらい目がぐるぐるしている。
俺が胸中で抱いた疑問を察したかのように、天文部長がイノリに尋ねる。
「では、どんな関係なのかな?」
途端、顔を真っ赤にしたイノリがガッと椅子を蹴飛ばす。
そのままバタンッと大きな音を立てて椅子が倒れると、肩を震わせて叫んだ。
「~~……っ! わたしと部長さんは赤の他人! 妹ではありません! 義兄さんは、わたしの義兄さんです……!」
リビングに反響するような叫びだった。
しんっとリビングが静まり返る。
夏が帰ってきたかのように外からセミの声が聞こえてくる。ガーッと勢いを増すエアコンの冷房がやけに大きく聞こえた。
「は、え? そりゃ、イノリと天文部長に姉妹じゃないけど……」
本当になんの話をしてるのかわからなくなってきた。
え? どうしよう。
想像していたやり取りと違って混乱している。なにかがズレている。ボタンのかけ違いというか、議論するお題を異なっているというか。
いまだに顔を赤くしたまま肩を震わせるイノリになんて訊けばいいのかわからない。
ただただ頭の中がハムスターの滑車のように空回りしていた。
呼吸をするのも
「もしかしてだが、義妹君はわたしと助手君が付き合っている、つまり恋人関係だと思っているのかな?」
「………………ぇ? 違うん、ですか?」
これまでの強張っていた顔が嘘のようにイノリの顔から表情が抜け落ちる。
脱力して、大きく丸くなった黒い瞳が妹の気持ちをありありと物語っている。
――嘘、ですよね?
と。
俺も同じ気持ちだった。
そして、思う。なにこのすれ違い。