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第5話 すれ違い、ぶつかる

 恐る恐るという表現がよく似合う挙動で、イノリがこっちに顔を向けてくる。

 その顔は蒼白で、唇が小刻みに震えていた。


「だ、だって、……義兄さんがわたしに会わせたい人がいるって言いました、よね?」

「……い…………った」


 イノリの問いに、俺の血もさーっと引いていく。

 確かに、確かにそう言った。言ったけど……誤解の原因って、それ?


「あれは、その……本当に言葉通りの意味で、天文部長がイノリと話したいっていうから」

「こ、恋人を妹に会わせたいっていうわけでは?」

「ない」


 静かに首を左右に振る。


「この人が、恋人は、ない」

「断言をするなんて悲しいじゃないか、私のアイリーン」


 よよよ、と天文部長が泣き崩れる真似をする。

 そんな戯言をキッと睨んで黙らせる。


 もとはといえば、そういう成り切れていない演技だかロールプレイングのせいで余計な混乱を生んでいるんだ。少しは自重してほしい。


「じゃ、じゃあ義兄さんに恋人は……?」

「いないな」


 悲しすぎる告白だが、この状況でなによりも痛ましいのは天文部長が俺の恋人だと勘違いしていたイノリだ。


「……………………ぁ、あぁ、ぁ~~~~っ!?」


 蒼白だった顔は生気を取り戻すのを超えて、燃えるように赤くなってしまった。

 目尻にじわりっと涙を浮かべて、わたわたと手を振る。


「わた、わたしはっ……ご、ごめんなさいっ!」


 だっとそのままリビングを出て、階段を駆け上がっていく。

 もはや、実妹がどうとか義妹がどうとか、事情を確かめるどころじゃない。


 俺か? 俺が悪いのか?

 言われてみれば、そう受け取れる言葉だったかもしれないけどさぁ……。


 やっちまったと、顔を覆って項垂れていると、「あははっ」と天文部長が声を上げて笑い出した。


「愛されてるねぇ? 義兄ぎけい君?」

「そういう呼び方も誤解の原因だろうがー!」


 面白がってるんじゃねーよ!


  ☆★☆


 夏の陽は長いとはいえ、誤解とすれ違いを重ねて迷走していれば、時間がすぎるのも早くなるというもの。

 夕立の降りそうな薄暗い雲を見上げてから、玄関前で天文部長を見送る。


「傘はいる?」

「私が帰るまで降らないから大丈夫だ」


 どこからくるんだその自信。

 あれだけの騒動があったというのに、最後まで絶やすことのなかった笑みを浮かべたまま、天文部長はからかうように目を細める。


「送ってくれないのかな?」

「……そんな元気ねぇよ」

「ブラック企業に勤めるサラリーマンみたいにくたびれているからね、今の助手君は」

「迷探偵の助手は真っ黒だった」


 はぁ、とため息を落として、開けっ放しの玄関から家の中を肩越しに覗く。


「送っていきたいけど、妹をほっとくわけにもいかないからな。悪いな」

「ふふっ、いいよ。私の責任でもあるような、そうでもないような」

「そこは認めとけよ……」


 いや、俺も悪いけど。


「じゃあ、義妹君によろしく。また部室で……と、そういえば夏休みか」


 考えるようにすっと綺麗な顎筋を指先で撫でる。


「また明日連絡するよ、今日はゆっくり休んでくれたまえ」

「そうしてくれ」


 体力以上に今日は精神的に疲れた。

 よかったことと言えば、今日の夜はぐっすり眠れそうなことくらいだ。


「ではな!」と颯爽と去っていく天文先輩。どこまでも軽い人だった。

 性格から、足取りまでどこまでも。


「ちょっと、羨ましいかな」


 なににも縛られていない、その自由さが。

 家の前の道路から天文部長が見えなくなって、家の中に戻る。バタンッと玄関扉を閉めた。


 あれきり、イノリは部屋から出てきていない。

 よっぽど恥ずかしかったのか。

 まぁ、俺が逆の立場だったら、初対面の相手に『俺の妹だから、お前なんて恋人として認めない!』と宣言したようなものだ。

 しかもすべて誤解で。


「亀にもなるか」


 今日の夕飯は出前にするか。

 妹の心境を慮りつつ、玄関から廊下に上がろうとしたら、


「うぉっ!?」


 突然、ぬっと人が現れて心臓が止まるかと思った。

 背中で玄関扉を叩くくらい後ずさって、立っていたのがイノリだとわかる。この家には俺とイノリしかいないのだから、当然といえば当然なのだが、気配もなく背後に立たれると心臓に悪い。


「い、イノリ? あーっと、大丈夫――」


 か、と続けようとした途端、イノリが体当たりするように飛びついてきた。

 急に現れたのといい、人を驚かすような行動の連続に俺は石のように固まって、目を白黒させるしかなかった。


「……義兄さん」


 胸の中に飛び込んできたイノリが俺を呼ぶ。

 見下ろしても、妹のつむじだけでその表情は窺えない。ただ、ぎゅっと俺の服を握ってきて、なんとなく縋っているのはわかった。


 やっぱり、昼間のことを気にしてるのか?


 そう思って、慰めようと頭に手を伸ばしたのだけど、


「わたしに、なにか隠していることがありますよね?」


 胸を突き刺すような問いかけに、下ろそうとした手がぴたりと止まった。


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