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第6話 妹が妹じゃなかったと妹に知られる

 玄関扉の向こう側でざーっと雨の降る音が聞こえてきた。

 降ってきたんだと、心のどこか冷静な部分で思う。


 ただ、意識のほとんどは胸の中で縋りつくように身を寄せてくるイノリが占めていた。


「隠していることって……」


 あるけど。

 臓器が冷や汗をかくような感覚に、背筋が震える。


 イノリのつむじがもぞりと動いて、黒い瞳が顔を出した。羞恥や不安に揺れている――なんてことはなく、俺の胸中を暴くようにまっすぐな目をしていた。

 その力強さに、思わずそっと視線を逸らしてしまう。


「兄妹とはいえ、隠し事の1つや2つ、それこそ100はあるもんだ」

「正論に見せかけたあやふやな論法で逃げないでください」

「……事実ではあるから」


 見抜かれている。

 頬に刺さる視線がやけに痛かった。


「部屋で考えてたんです。どうして義兄さんがわたしに部長さんを会わせようとしたのかって。その……」


 恥ずかしげにイノリが目を伏せる。


「わたしが勘違いをしてしまって、ちゃんと話を聞けませんでしたが、恋人じゃないって言うなら、違う目的があった、ということですよね?」

「そうね」


 正しい道筋だ。

 俺にとっては不都合極まりない流れだが。


「どんな話をしようとしたのかなって考えたときに、部長さんがやたらわたしのことを義妹と呼んでいたのが気になったんです。恋人でもない、ただの部活の部長がどうしてそんなことを気にするのか」


 それに、とイノリがその黒曜の瞳に俺を映す。


「一昨日、義兄さんが朝食のときに『血の繋がった兄妹なのか?』って確認してきたことがありましたよね?」

「……よく覚えてるね」

「義兄さんのことですから」


 朝食時の雑談として振る舞ったはずなんだが、イノリの記憶力を舐めていたらしい。

 2日前とはいえ、俺ならそんな話題忘れている自信がある。


 どこか誇らしげなイノリが、今度は不安がるように眉尻を下げた。


「ここ最近、義兄さんの様子もおかしいですし、だから、だから……」

「おーけーわかった降参だ」


 両手を上げる。

 順序立てて論破されたのもだが、妹を不安にさせてまで死守するような秘密はない。

 もし話すことで傷つけてしまうことがあっても、そこは兄として俺が支えればいい。


「義兄さん?」


 イノリの両肩に手を乗せて、そっと俺から離す。

 幼気な瞳で見上げられると決心が鈍るけど、ここで踏みとどまったら余計に拗れる。


 ぐっと弱気を呑み込み、妹の目を見据える。


「――俺はお前のことを、血の繋がった実の妹だと思っている」


  ☆★☆


 そこからは、堰を切るようにイノリに説明をした。

 とはいえ、そう長ったらしいものじゃなく、流星群が始まった日からずっとイノリが実妹から義妹になったと伝えたくらいだ。


 どうしようもなくて、助けを求めて天文部長を頼った……というのは言葉にすると情けなく、余計なことを言った気もしなくもないけど。


「そう、だったんですね」

「俺ですらいまだに信じられないんだ。笑って忘れてくれてもいいぞ?」


 その方がいい気もする。

 イノリからすれば、義兄が急に自分のことを血の繋がった実の兄だと言い始めたんだ。

 まず、頭を心配するのが普通の反応だ。


 あはは、と乾いた笑いを零すと、イノリはふるふるっとしっかりと首を左右に振って、「笑いませんよ」と瞳を濡らしながら言った。


 泣きそうな顔に驚いていると、イノリが両手を伸ばしてくる。そのまま、俺の頭の後ろに腕を回して、優しく引き寄せて抱きしめてきた。


 突然の行動に頭の上に疑問符が次々と浮かぶ。


「大変でしたね、義兄さん」

「……っ」


 ただ、その言葉で理解して、咄嗟に下唇を噛みしめる。

 呑み込んだはずの弱気が顔を出しそうになったから。


「別に大変じゃないだろ。おかしなことに巻き込まれたとは思ってるけど、お前は俺の妹のままで、生活に困ってるわけでもない。知らない世界に飛ばされたー、なんてのよりずっとマシだ」

「大丈夫です、義兄さん。これからはわたしも一緒にいまから」


 俺の言い訳なんて聞きもしないで、抱きしめて、優しく頭を撫でてくる。

「ずっと一緒だったろ……」と反発するように悪態をついたが、イノリは「大丈夫、大丈夫」と泣いた子どもを慰めるように頭を撫でるだけだった。


 やめろよ、ほんとに。

 兄としてあまりにも情けなくなる。


 怖かった、恐ろしかった。

 俺以外のすべてが変わっているのに、お前の方がおかしいのだと突きつけてくる現実が。

 いつもと同じ日常の中にある、ふと感じるズレを修正できない。


 一人、世界から爪弾きにされたような気がして、感じていたのは孤独と不安。

 そんな情けない姿を見せるわけにいかないという兄の矜持をあっさり見抜かれて、妹にあやされている自分がなにより情けなかった。

 この行為に、安堵している自分がなによりも。


「ほんと、情けない……っ」


 妹の胸で泣く兄がどこにいる。


  ☆★☆


「――泣いてないから」


 ずずっと鼻をすする。

 目の下が痒くて痛い。手の甲で頬を擦ると水滴がくっついてきた。


 自分すら騙せない、意地でしかない言葉だったが、イノリは「そうですね」と慈母のように微笑んで俺の言葉を肯定してくれる。


 その『わたしはわかってますよ?』みたいな態度が癇に障る。けど、ここで癇癪を起こしたらそれこそ子どもでしかない。

 押さえきれない不満を唇を尖らせることで発散して……どっちが兄で妹かわからなくなるな、この状況。


 なんだか泣けてくる。

 緩んだ涙腺からまた……ではなく、今日初めて涙が流れる前に、自分の部屋に戻ろうと今度こそ玄関から廊下に上がる。


「実妹の件についてはまた――」

「義兄さん」


 明日、と言いかけて、イノリが言葉を被せてくる。

 イノリは玄関に降りたままで、もともとあった身長の違いもあって高低差が大きくなっている。

 いつもより小さく見える妹は、その小ささに反して力強い瞳を湛えて下から俺を射抜いてきた。


「わたしが兄さんの義妹になった――その調査にわたしも協力しますから」


 決定事項のように言い切って、イノリはにこりと微笑む。

 有無を言わさぬその態度に、俺は「そ、……っか」と返すのが精一杯だった。


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