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第7話 風邪っぴきの探偵

「ずびっ……なるほど、こうなったか」


 いつもと呼べるくらいには見慣れた、白衣姿で椅子に座る天文あまふみ部長をしらっとした視線を送る。


 週明け

 夏休み最初の平日に天文部に呼び出されていた。


 せっかく休みに入ったのに部室とはいえ学校に来るというのは、なにか損をした気になる。俺としても話があったからいいんだけど……なんかなぁ。


 紙の束に本に、望遠鏡に。

 相変わらず整理整頓とは無縁な部室から目を逸らしつつ、鼻の赤い天文部長に呆れて言う。


「で、風邪をひいたと」

「空が意地悪をしてね」


 ずずっと、天文部長が鼻をすする。


「『私が帰るまで降らない』とか言ってたのに」

「雨に当たったとは証言してないだろう?」

「違うの?」

「……」

「語れよ探偵」


 そっと天文部長が銀の瞳を横に逃がす。

 図星そのものの反応だった。


 その瞳はどこかとろんっとしていて、鼻だけじゃなく頬が赤い。見るからに風邪である。そんな体調なら部室じゃなくてもよかっただろうに。

 というか、治ってからでいい。


「律儀なのか、考えなしなのか」

「探偵はいつだってものを考えているものさ」


 言って、けふんっと咳き込む。

 それでも、棒付き飴を舐めているのは、意地なのかただ糖分が欲しいのか。


「治ってからにしない?」

「せっかく2に足を運んでもらったんだ、手早く用件だけは済ませよう」


 鼻をすすりながら、天文部長の視線が俺より少し横にズレる。

 そうだけど、と思いつつ俺も一緒になって振り返ると、これまで黙って成り行きを見守っていたイノリが、急に集まった視線に困ったように苦笑した。


「大丈夫ですか?」

義妹ぎまい君の話を聞くくらいはできるさ」


 天文部長の煽るような義妹呼びに、イノリは前回のような苛烈な反応はしない。

 むしろ、申し訳なさそうに眉尻を下げた。


「初めてお会いしたときに、失礼な態度を取ってしまってごめんなさい」

「お兄さんが盗られたと思ったんだろう? 気にしてないよ」


 全部わかっているとばかりに天文部長はけらけら笑って、くしゅんっとくしゃみをする。ごちゃついた卓上の箱ティッシュを1枚引っ張り出す。


「ぶちゅーっ!」

「残念美人」


 すれ違う10人が10人振り返りそうなくらい美人なのに、この人はどうしてこうも残念感が強いのだろうか。


「ふふ、美人だとは思ってくれているんだね?」

「残念だけどな」


 と言った途端、ぐいっと裾が引っ張られた。

 見れば、イノリがむすっと唇を結んでいる。シャツの裾をシワができるくらい握っていた。


「なに?」

「別に……なんでもないです」


 なんでもないという態度ではないが。

 天文部長が家に来たときもそうだったけど、どうして彼女が絡むとイノリは拗ねたり不機嫌になったりするのか。


 イノリが人を嫌ってるところなんて、あんまり見ないんだけどなぁ。


「鈍い兄を持つと大変だねぇ」


 自分はイノリの気持ちがわかっているという天文部長の態度がいらっとする。


「人に言えるほど察しがいいか?」

「名探偵だからね!」

「それ、大義名分にも免罪符にもならないからな?」


 風邪なのに俺たちよりよっぽど元気だ。

 かといって、本人のバカな発言が主な原因とはいえ、いつまでも病人をこんな埃っぽい場所に置いておくわけにはいかない。

 帰りは送っていくとして、だ。


 言うことは言っておこうと、ぽんっとイノリの肩を叩く。


「調査に関してだけど、イノリにも協力してもらうことになったから」

「ふーん?」


 チャシャネコのように、天文部長がニヤニヤ笑う。


「事情を話したのかい?」

「協力してもらうからな」


 詰め寄られて白状した挙げ句、妹の胸で泣いたのは墓場まで持っていく。


「へーん? ほーん? あれだけ嫌がってたのにねぇぇえ?」

「ねっちょり声やめろ自称探偵」


 それは悪役だ。

 含みしかない天文部長の言動に決まりの悪さがあって、首の裏をさする。僅かにかいていた汗は暑さのせいか、冷や汗か。


「ふふ、まぁからかうのはこれくらいにして」


 からかうなよ。

 声に出さず文句を思う。


「病弱属性までついてしまったからね、足を使った調査は君たちに任せよう」

「安楽椅子探偵とはいいご身分だ」

「名探偵にまた1歩近づいたかな?」


 そう言って、笑いながら1枚の用紙を差し出してくる。


「……?」


 なんだ。

 とりあえず受け取って、さらっと流し見て――なにこれ。


 鏡を見ないでも、自分の顔が渋くなっているのがわかる。

 読んで、眉間のシワが深くなり、また読み直す。

 書かれていることの意味が理解できない。いや、わかるにはわかるんだけど……どういうことだ?


 怪訝そうな顔でもしてたのか、俺の顔を見た天文部長がくすっと笑う。


「『幼馴染が赤の他人になってしまった、どうか助けてほしい』――調査依頼だ。名探偵が解くべき難事件だろう?」


 そうだろうか?

 状況説明が少なすぎてよくわからない。これだけだと、絶縁宣言された、くらいにしか受け取れなかった。

 名探偵というよりは、現実的な探偵の仕事の範疇と言われた方がまだ納得できる。探偵を何でも屋と勘違いしてないか?


 困惑してイノリを窺うと、ふんすと拳を握った。


「頑張りましょう、義兄さん!」

「あ、うん」


 ついていけないのは俺だけらしい。



  ◆第2章_fin◆

  __To be continued.


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