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第2話 生徒会長の心は決壊寸前のダムだった

「義兄さんは、生徒会長の顔も知らないんですか?」


 咎めるような、純粋な疑問のような。

 その中間の声音に肩を縮める。生徒会長と紹介されるまで気づかなかったのは落ち度としか言えない。


「そういえば、見覚えがあるような……気も?」

「古いナンパの手口くらい信用できない言葉ですね?」

「……ごめんなさい」


 妹からの追求を受けて、素直に謝ることにした。

 誤魔化そうとすればするほど、追い詰められていく。猫によって部屋の隅に追いやられた鼠の気分だった。


 そんな俺たちを見ていた香坂会長がくすっと笑みを零す。


「仲がよろしいのですね?」

「「兄妹ですから」」


 声が重なる。

 互いに見合って、香坂会長の笑い声がより大きくなる。緊張が解れたと思えば悪くないのだろうが、少しばかり恥ずかしい。


 喫茶店内の冷房で引いてきていた汗が、またじんわりと肌を濡らす。ぐっと額を拭っていると、「座らせていただいてもよろしいでしょうか?」と香坂会長が確認してきたので、どうぞと勧める。


 様呼びや、お辞儀といいやけに生真面目だ。

 生徒会長というのは、こういう人しかなれないのだろうか。


「それに、私……というより、生徒会長の顔は大半の生徒が知りません。生徒の代表といっても、大々的に選挙をしたわけではありませんし、全校生徒の前に出るのも学期末の始めや終わりくらいのものですから」

「そうですよね。皆知らない」


 それが普通。

 だから俺は悪くない。


 うんうんと自分を擁護している横合いから、「だからって、知らない義兄さんが悪くない、とはなりませんが」と的確な正論が刺さってうぐぅっと呻く。

 生徒会長の顔くらい知ってろ、という話である。


「で、でももう大丈夫です。忘れません」

「無理しなくても構いませんよ?」

「いえ、無理はしてません。記憶に残るくらい美人だったので」


 言うと、「お世辞が上手ですね?」と流しつつも、手で顔を隠してちょっと照れているのがかわいく見える。

 実際、社交辞令というわけでもなく、綺麗な大人のお姉さんだ。ややキツく吊り上がった目から、理知的な雰囲気を感じる。


 同じ高校生であるなら歳が上でも1歳差なのだけど、学生の先輩というのは年齢以上に大人びて見えるのだから不思議だった。

 成長期だからか、はたまた学園内地位の差か。


 なんでだろうと考えていると、不意に手をひったくられてビックリする。

 ぎゅぅぅうっと強く手を握られて、顔を横に向けるとイノリがむすっと唇を結んでいた。その頬は微かに膨らんでいる。


「……んと」


 考えて、


「イノリもかわいいよ?」

「っ、別に……そういうのじゃ、ありません」


 俺なりに褒めてみたのだけど、俯いて余計に機嫌を悪くしてしまった。じつだろうが義だろうが、妹のご機嫌取りは難しい。


「本当に仲がよろしいのですね……羨ましい」


 微笑ましさから一転、香坂会長の顔に影が落ちる。


 ここから本題か。

 初対面の軽い交流から変わった流れに、こちらも気を引き締める。


「天文部長から触りだけ窺っていますが、なんでも『幼馴染が他人になった』とか」

「っ、……はい」


 声を潜めて訊くと、香坂会長は一瞬肩を震わせてから肯定した。

 ただ事じゃない、というのは見て取れて、なにかがあったと思わせるには十分な反応だった。話を促そうと、「事情を窺っても?」と尋ねると、振り絞るように彼女はどうにか頷いてくれた。

 けど、すぐに首を左右にも振る。


「説明はしたいのですが、……私にもよくわかっていなくて。気がついたら、急に周囲の人たちが私と幼馴染を他人のように扱うんです」

「それは……」


 身に覚えのある話だった。

 思わず隣を見ると、イノリが労るような眼差しを香坂会長に向けていた。


 俺も急に周りの人たちが義妹だって言い始めて困惑した。彼女の話や雰囲気から、ただの喧嘩という線は消えて、むしろ共感し、同情を覚えるくらい気持ちが傾いていく。


「最初は、なにかの気のせいや思い違いだと考えました。そんなわけないと。ですが、幼馴染の……ようくんから言われたんです」


 小刻みに香坂会長の体が震えだす。

 耐えるように二の腕を握りしめていて、よっぽど辛かったんだと言葉にせずとも伝わってきた。


 止めるべきか?

 そう思って、もういいですよと静止しようとした瞬間、かばっと香坂会長の顔が上がった。


「『香坂会長、ですよね? どうかしましたか?』って……!」


 これまでの大人なお姉さんな雰囲気はどこへ行ったのか。

 ぶわっと大粒の涙をボロボロと溢れさせて、わなわなっと唇を震わせている。あまりにもあまりな変貌っぷりに、俺の方が固まってしまう。


「いつもはっ、いづもば『りんちゃん』ってよんでぐれでるのに゛ぃ゛っ、どう゛じでな゛ん゛でずがようくぅん――――ッ!?」

「会長!? 落ち着いて! ここ、喫茶店なんでね? 人の目もあるのでちょっと静かに」

「ようぐ――ん゛っ!?」


 最初こそ落ち着いていたが、取り繕っていただけらしい。

 その内心はすでにコップに目一杯注がれてこぼれそう表面張力の水。一度決壊したが最後、とめどなく悲しみの感情があふれ出してテーブルの上を涙で濡らしていく。


 泣きたい気持ちはわかる。痛いほどに。

 けど、けどだ。


「ようぐんどうじでなのぉぉおおっ!?」


 顔も知らない幼馴染の“ようくん”を、今ばかりは恨む。

 お前の幼馴染だろうどうにかしてくれ……!


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