玉座に座していた眉目秀麗の男が音もなく立ち上がる。
「報告せよ」
何の変哲もない床が刹那に冷気を伴って凍結していく。無数の氷礫が宙に浮遊、一つの姿をおもむろに創り上げていく。
「我が主の御前にて報告いたします。仰せのままに、貴賓室にてお休みいただいております」
僅かの沈黙、言葉に詰まる。
「何があった。詳らかに申せ」
沈黙したままではいられない。報告はどのような些細なことであろうと包み隠さず、と定められている。
「設置型防御魔術が間に合わず、忌まわしき漆黒の獄焔に全身を焼かれております」
それだけ聞けば十分だ。
男の全身から溢れ出す怒気が、広間を激しく震わせていく。白銀に煌めく長い髪が氷をまとい、周囲を凍結世界に染め抜いていく。
「余が行く。他の四人はどうなった」
恐ろしく冷たい氷の目に射貫かれ、全身が一瞬にして硬直する。眉一つ動かせない。
「済まぬ、許せ。気が立っていた」
眼前に立つ主が視線を僅かに逃がす。ようやく硬直が解けたことで口が動く。
「凄まじい魔術、聖魔術によって守られておりました。異常はどこにも見当たりません。用意した部屋にて、それぞれ深い眠りに落ちております」
男の姿はもはやそこになかった。最後まで聞いていたのかも疑わしかった。
主が去った空間で、ようやく安堵の息を吐き出した。
「ラシュクーヴル、報告は終わったようだね。それで、どうだった、って、君、大丈夫かい」
どのような寒さにも耐えられるはずのラシュクーヴルが全身を大きく震わせている。
「生きた心地がしなかった。我が主があれほどまでにご立腹なさるとは」
「それだけ、あの女が大切だということでしょ。僕には主様の御心が全く理解できないけどね」
人の姿をした二人が顔を見合わせている。
「ジェレネディエ、我らは理解する必要もない。主に仕える者として、使命を果たすのみだ」
ロシュクヴールの言葉に、ジェレネディエは首を傾げながらも応える。
「そうだね。でも、時には主様を諫めるのも僕たち四天王の務めだよ。それにね」
煮え切らないジェレネディエも珍しい。僅かに難しい顔で思案しつつ、表情はすぐに戻った。
「僕たち四天王は、この先の立ち位置を見極めるべきかもね」
ラシュクーヴルの全身が凍気に満ちていく。発する言葉にも氷を付着している。
「ジェレネディエ、貴様は我が主に反旗を翻すつもりではあるまいな。そうであるなら、この場で我が」
四天王最強のロシュクヴールと真正面から戦うなど愚の骨頂だ。ジェレネディエは慌てて両手を振りながら、言葉を紡ぎ出す。
「待って、待って。君を怒らせるつもりはないよ。僕は主様の真意が知りたいだけなんだ。この前代未聞の騒動がよくないことをもたらす。僕の夢幻廻楼がしきりに伝えてくるんだから仕方ないじゃない」
床を浸す冷気が渦を巻き上げる。凍結した床を這いずりながら、それが姿を現す。
ロシュクヴールとジェレネディエが完全に人化しているのとは対照的に、それは本来の在るべき姿を堂々と誇示している。
「全くの同感よの。ジェレネディエの夢幻廻楼が語っておるならなおさら、わらわも主殿が何を考えておられるのか、知りたくてたまらぬ。よもや、あのような小娘を、わらわたちの界へ運び込むなど、正気とは思えぬわ」
切れ上がった細い両眼は鮮血のごとく赤に染まり、ロシュクヴールとジェレネディエを睨め付けている。立腹しているのは明白だ。
「相変わらず神出鬼没だね。久しぶり、ウィントゥーラ。やっぱり人化しないんだ。あんなに美人なのに、ほんともったいないなあ」
場にそぐわない笑みを浮かべるジェレネディエを、不機嫌そうにウィントゥーラが一瞥する。
「汝は常に人化しておるの。それほどまでに元の姿が気に入らぬようじゃな」
ウィントゥーラとジェレネディエ、まさに対照的な二人だ。
「そういうわけじゃないよ。ただね、人化している方が何かと都合がいいんだ。ほら、異界の者と会う時なんて、元の姿を見せると、驚きのあまり死んじゃうかもしれないでしょ」
うまくはぐらかす。あながち冗談ではないものの、本心は決して見せない。
ウィントゥーラも長年の付き合いでそれが分かっているからこそ、これ以上は無駄とばかりに話を打ち切る。
「ところで、ナーサレアロはまだ来ておらぬのか」
応答は即時だった。
「俺なら最初からここにいる」
玉座の後ろ辺りだ。
眠たそうな瞳を薄く開け、集った三人を見渡している。ナーサレアロもウィントゥーラ同様に人化していない。
「いつの間に来てたのさ。全然気づかなかったよ」
ジェレネディエの言葉には応じず、ゆっくりと瞳を閉じる。
「俺に構わず、君たちだけで進めてくれたまえ。俺は主が決めたことなら従う所存、それ以上でも以下でもない」
ジェレネディエがわざとらしく大きくため息をついている。
「全く君というやつは。ちょっとはさ、四天王としての自覚を持ってほしいよね」
聞く耳を一切持たないナーサレアロは、既に己だけの世界、眠りの中に落ちつつある。日の半分以上を寝て過ごすナーサレアロにとって、睡眠は主の次に大切なのだ。
「言っても無駄よの。もう寝てしもうたわ。して、ロシュクヴールよ。お主がわらわたちを招集した理由、しかと聞かせてもらおうかの」
納得できるまで執拗に絡みにいくのもウィントゥーラの性格の一つだ。
ロシュクヴールも慣れたもので、表情一つ変えずに淡々と応じるのだった。