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002話 大聖女と聖女

 ヴィルドゥアン王国の王都ヴェディエリは解放感と安堵感で溢れ返っている。


 国境を南で接するラーゲルドラ王国との度重なる戦乱に長年頭を悩ませてきた。過去十年で矛を交えること五度、一進一退を繰り返す怨敵ともいえる隣国だった。


 此度の六度目となるクレモンティ戦役は、ヴィルドゥアン王国の完全勝利を決定づける戦いとなった。


 勝利の要員は幾つかある。筆頭に挙げられるべきは、五人の聖女の存在だ。




「本当はこのようなところ、来たくはなかったのです」



 どうしても不満が口をついて出てしまう。


 聖女はどの国にも、誰にも属さない。いかなる理由があろうともだ。


 聖女の庭園フィレニエムの教えを遵守し、極めて厳格に己を律する。それが聖女という生き方であり、存在意義でもある。



「大聖女様、お声が大きすぎます。誰に聞かれているかも分かりません」



 五人の聖女一行は、玉座の間へと続く幅広い回廊を急ぐ様子もなく、ゆったりとした足取りで歩いている。


 ここは既に王宮内の深部だ。


 最年長のシスメイラがたしなめる。大聖女に付き従う四人の聖女の一人であり、最年長と言ってもニ十一歳になったばかりの彼女は、四歳下の大聖女を妹のように可愛がっている。



「そうでしたね。シスメイラ、いつもありがとうございます」



 年長者のシスメイラに素直に礼を述べる。大聖女だからと言って、決してふんぞり返ることはない。



「過去、このような祝典に聖女が参加したことはありません。庭園主様はなぜお断りにならなかったのでしょう」



 独り言のように呟いたのは聖女カタラン、十九歳だ。シスメイラに次ぐ年長者でもある。


 答えは誰もが持ち合わせている。シスメイラの言葉を受けて口にしないだけだ。



「ヴィルドゥアン王国の脅しに屈した。それ以外にありません」



 きっぱりと言ってのけたのは、やはり大聖女その人だ。


 シスメイラをはじめ皆が、これだから大聖女様は、という表情を浮かべつつ、言葉だけは呑み込む。皆が頭を抱えているのはいつもどおりだ。



「なんですか、あなたたちは。まるで変人を見るような目つきをしています」



 こういう時、大聖女に対等に物言いができる唯一の聖女がいる。


 十七歳のリニエルティは、大聖女と共に孤児として聖女の庭園フィレニエムに預けられ、幼い頃からいろいろなことを学び、友情を育んできた。


 二人の深い絆は今も、この先も永遠に不変だ。



「大聖女様は昔から変人です。それにシスメイラの言葉どおりです。ここは紛れもなく敵地、監視の目が今も五ヶ所から注がれています」



 もちろん気づかれているのでしょう、とは口にしない。互いに意思疎通は十分にできている。



「鬱陶しいですね。メネテロワ、お願いできますか」



 無言のまま、ただ首を縦に振ったメネトロワが右手を床に向けて、宙に小さな円を描く。



「大聖女様、それは」



 シスメイラが止めようとしたものの、既に遅い。


 無口なメネテロワが得意とする魔術は探知と認識阻害だ。最年少十五歳ながら、巧みな魔術の力は群を抜いている。まさにこの場にこそ打ってつけだった。


 メネテロワの緻密で繊細な魔術が即時発動する。


 監視者の中には数人の魔術師が混じっている。気付けた者は一人としていなかった。



「いい気味です。清々しました」



 何事もなかったのように大聖女は四人を顔を見回し、してやったりと言わんばかりの笑みを浮かべてみせる。



 仕方がないですね。これが大聖女様の魅力の一つでもあるのですから、とシスメイラがため息混じりだ。



 すかさず大聖女が突っ込みを入れてくる。



「シスメイラ、そのため息は、まさか私に向けたものではありませんよね」



 分かっていながら、聞いているのだ。



「アルトゥール国王がお待ちです。急がなければなりません」



 シエラメイラはやんわりと躱している。これもまた日常だ。




 ヴィルドゥアン王国が誇るブレジェンナ王宮玉座の間では、祝典の準備が粛々と進んでいる。


 楽隊による勇壮な旋律が響く中、残すは王族、そして大聖女一行の入場を待つのみとなった。



「大聖女様御一行はまだ到着なさぬのか。一刻も早くご尊顔を拝したいものを」



 周囲のざわつきが次第に大きくなっていく中で、ようやく旋律が切り替わる。王族の到着を告げる荘厳かつ雄大な調べだ。



「なんと国王陛下が先に入場なさるのか」



 四方から驚きの声が上がっている。


 ヴィルドゥアン王国は権威を重んじる傾向が顕著だ。国王とは王国の頂点に立つ者、いかに大聖女とはいえ、無礼ではなかろうか。そう考える者がいても不思議ではない。


 正面奥、王族専用の扉が従士たちによって恭しく開かれる。


 最初に顔を見せたのは、もちろん国王だ。貫禄たっぷりに堂々と入ってくる。すぐ後ろに第一王子、第一王女、第二王女、第二王子と続く。


 アルトゥールが贅を尽くした華美な玉座に腰を下ろすと同時、楽隊の調べが見事に止まった。玉座右手に二人の王子、左手に二人の王女が直立不動を維持する。



 玉座の間の正面扉がゆっくりと開かれていく。



「大聖女様ならびに聖女様方のご到着にございます」



 先導の栄に浴したヴィルドゥアン王国のグアネルデ騎士団長が高らかに宣言する。


 方々から感嘆の声が零れてくる。



 大聖女一行が拝礼の位置まで歩を進め、静かに片膝を落とす。


 どのような権力にも決して屈しない聖女の庭園フィレニエムにとって、明らかに屈辱的な式典だ。五人が五人とも、その思いを呑み込む。



 玉座に座していた国王がゆっくりと立ち上がる。


 ヴィルドゥアン王国が誇る国王アルトゥール・ファンデライ・ダーガ・ヴィルドゥアンだ。王国史上、最も優れた国王とも謳われている。


 右手の王笏を掲げ、熱気に包まれた空気を一振りで鎮める。



「大聖女レアラ・レマセス・ラ・フォーリよ。此度のクレモンティ戦役における活躍、大儀であった。そなたと四聖女によって、多くの命が救われた。国王として、一個人として、心より謝意を示すとともに褒美を取らせる」

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