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003話 大聖女対第一王子

 落ち着きのある、朗々とした声が響き渡る。


 居並ぶ者たちから巻き起こった拍手喝采が玉座の間を震わせていく。


 アルトゥールが右手に持つのは王笏だ。先端部分には、鮮やかな複数の宝珠が散りばめられている。



 わたくしたち聖女は、無垢な人々の命を救うことが使命であり、それを成したからといって賞されるなど、あってはなりません。いったい、どこでこのようなことになってしまったのでしょうか。



 アルトゥールの言葉を受けて、玉座の右手に陣取っていた男が一歩進み出る。


 アルトゥールの長男にして第一王子エンベルクだ。父に負けず劣らずの華美な衣装が目立つ。



 相変わらずですね。この馬鹿を見ているだけで虫唾が走ります。不愉快極まりないです。これが次期国王とか、何の冗談なのでしょう。この国の行く末など、わたくしの知ったことではありませんが、民たちが気の毒でなりません。



 大聖女レアラはエンベルクを蛇蝎のごとく嫌っている。可能ならば、この場で声を大にして罵倒したいほどだ。



 いわゆる、あれです。生理的に受けつけないのです。



 まもなく二十二歳を迎えるエンベルクは、美形と呼ぶにふさわしい整った顔と引き締まった肉体だけが特徴の男だ。


 裏を返せば、それ以外は空虚であり、とりわけ頭の悪さと女癖の悪さでは他の追随を許さない。さらには、実年齢とかけ離れた、幼すぎる精神年齢も耐え難い。


 総じて、大聖女評はこうなる。



 ええ、それはもう突出しすぎるほどに最低最悪です。ちっ、死ねよ。私の前にその薄汚い面、晒すなよ。本当に、いい加減死ねよ。



 本音と建前、これを他人に悟られずに使いこなす。大聖女らしからぬレアラの大の得意技だ。



 これはとんだ失礼を。わたくしとしたことが、つい口が滑ってしまいました。聞かれたところで、何の問題もありませんが。わたくし、これでも大聖女なものですから。



 レアラの嫌悪感は背後に控える四人の聖女たちにも明確に伝わっている。


 彼女たちは緊張の面持ちで、レアラの一挙手一投足を見守っている。暴走を押さえるのも彼女たちの大切な務めだ。


 レアラの視線がエンベルクを外れ、玉座の傍に立つ他の三人に移った。


 エンベルクの左手に第二王子ファラン、玉座左手に第一王女ルクセシア、さらに第二王女メザリナが立ち並んでいる。



「陛下、褒美の下賜の前に、私からもひと言よろしいでしょうか」



 過去、公式儀礼の場でひと言も発したことのない馬鹿王子ことエンベルクが、今日に限っては珍しい。勇んで発言の許可を求めてきた。



「うむ、許そう。手短に済ませよ」



 鷹揚に頷いたアルトゥールに、レアラは嫌な予感しかしない。


 優秀で有能と称される国王アルトゥールには、対面したその時から失望させられ続けてきた。


 政治面ではない。主に第一と名乗るのもおこがましい、馬鹿王子と馬鹿王女の処遇についてだ。甘やかし、好き放題させた結果が現状だ。質が悪いにもほどがある。



「大聖女レアラよ。そなたに問い質したいことがある」



 この男がわざわざ出てくるということは、難癖をつけるためだとしか思えない。


 レアラは最大の警戒心をもって、四人の聖女たちに迷わず念話を送った。



≪シスメイラ、カタラン、リニエティ、メネテロワ、油断しないでください。万が一の時は、聖女の庭園フィレニエムの誓いに従い、わたくしの命に代えてでも、あなたたちを守り抜きます≫



 レアラは誰にも分からないように、視えないように、聖魔力を静かに丁寧に練り上げていく。



「わたくしに質問とは何でございましょうか、エンベルク第一王子殿」



≪レアラ様、大人になられましたね≫



 五人の中で最年長のシスメイラが感慨深げに念話で語りかけてくる。



≪この男は、生理的に受け付けないのですが、公の場ではやむを得ません。わたくしたちは聖女の庭園フィレニエムを代表して来ているのです≫



 異論はない。四人の聖女たちは、何があろうとも大聖女に付き従うと決めている。



「クレモンティ戦役での活躍、見事であった」



 エンベルクは勿体ぶって、たっぷりと間を取っている。



「と言いたいところなのだが。実のところ、この戦いの裏で糸を引いていたのは、他ならぬ聖女の庭園フィレニエムだとの噂がある」



 何を言い出すかと思っていたら、想像の斜め上を行く突拍子もない発言だった。


 このままエンベルクに主導権を握らせておくわけにはいかない。レアラは即座に反論を返す。



「そのような根も葉もない噂話を真に受け止めているとしたなら、お門違いもよいところです。それとも、エンベルク殿には、真と断ずるに値する証拠をお持ちなのでしょうか」



 絶対中立を誇る聖女の庭園フィレニエムが、国家間の戦乱に関与するなど、あってはならないし、あり得ない。証拠などあるはずもない。


 大聖女レアラとエンベルク第一王子、静かに睨み合う二人の間で激しい火花が飛び散っている。



 いっそのこと、ここで殺ってしまいましょうか。わたくしが手を一振りすれば、いえ、さすがにそれは問題行為です。もう少し様子を見てみるとしましょう。



「さらには、このような噂もある。聖女の庭園フィレニエムの中心人物こそ、大聖女レアラ、その方であるとな」



 レアラは心底うんざりした表情を浮かべ、馬鹿話とばかりに一蹴する。



「ヴィルドゥアン王国を代表する第一王子ともあろう方の言葉とは思えません。呆れ果てて、ものも言えません」



 玉座の間が騒然となっている。


 国王が謝意を示し、褒美を取らそうとしているところに、謀反だ、策謀だと、真逆の話を今さらながらに持ち出してきたのだ。


 心理的な駆け引きを含んだ二人のやり取りはなおも続く。周囲の者たちは、ただただ固唾を呑んで見守るしかできない。



「どこまでも、しらを切り通すということだな。大聖女レアラよ、その方は証拠と申した。よかろう」



 エンベルクが大袈裟なまでに右手を振り上げ、最前列の騎士たちに命令を下す。



「例の者を急ぎこの場に連れて来るのだ」



 居並ぶ数名が深々と礼をした後、鎧が擦れる耳障りな音を立てながら扉から出ていった。


 しばらくして騎士たちが戻ってくる。その者たちに引きずられるようにして、一人の女性が最後に入ってきた。

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