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007話 目覚めの時

「面白い小娘だ」



 いきなり頭上の樹々から声が降ってきた。



「ひゃっ」



 レアラはたまらずしゃがみ込んでしまう。予想外すぎることの連続で、さすがに思考が追いつかない。



「このようなところで一人、なにをしているのだ」



 再び声が落ちてくる。


 レアラは恐る恐る声の方向に視線を投げかけた。何も見えない。広大な闇があるだけだ。



「お、驚かさないでください。心臓に悪いです。あ、あの、わたくしを、食べるつもりですか」



 問いかけに答えるのは、無言と静寂だけだ。レアラの恐怖心が今にも振り切れようとしている。


 計ったかのように、けたたましい笑い声が降り注ぎ、レアラの恐怖心も和らいでいった。



「小娘、その方の貧弱な身体にいささかの興味もなければ、貪るつもりも毛頭ない。それよりも、その方が展開しているのは聖魔術結界だな。ならば、その中にいる限り、余がだとしても安心であろう」



 レアラは結界内にいることさえ忘れていた。身体を小さくしながら、震える声で尋ねる。



「あなたは、やはり獰乱獣ダグルゼなのですか」



 今度は即答だ。声の中に多分に怒りがこめられている。



「余を獰乱獣ダグルゼごときと混同するでない。そうは言っても、その方には余の姿が見えておらぬか」



 二度、三度と羽ばたきの音が静かに樹々を揺らしたかと思うと、レアラの前にそれが突如として姿を現していた。


 レアラは完全に言葉を失ってしまっていた。



 やはり、耳に届いていた音の正体は羽ばたきだった。両翼を完全に広げれば、優に三メートルは超えている。


 威風堂々、レアラの心に真っ先に浮かんだ言葉だ。



「綺麗。それに神々しい鳥さんです」



 レアラは素直な思いをそのまま口に出していた。言ってから気づく。



「わたくし、鳥さんに向かって、なんて子供じみた言葉を」



 恥ずかしさのあまり両手で頬を覆ってしまった。



「それが、その方の素であろう。よほど愛らしい。余には、その方が早く大人になろうと、生き急いでいるように見えるがな」



 片方の翼がちょうど顔の下辺りに触れている。



「小娘の寿命を考えれば、それもやむなしか。済まない、忘れてくれて構わない」



 レアラは思慮深い鳥の言葉に思わず聞き入っていた。



「鳥さんはまるで人のようにも見えます。その恰好は、片手を顎に当てて考え込む人の仕草そっくりです」



 金色に輝く瞳が瞬きを繰り返している。


 全てを凍てつかせそうなほどに冷たく、なによりも神秘的で美しい。


 レアラは一瞬にして虜になっていた。



「孤独」



 瞳を覗き込んだからこそ分かる。


 意図せず、無意識のうちに言葉が零れ落ちていた。


 目の前の鳥の動きが完全に止まってしまっている。



「ごめんなさい。わたくし、なんて無礼なことを、あら、怪我をしているではありませんか」



 レアラは恐る恐る、ゆっくりと手を差し伸べる。



「鳥さんが獰乱獣ダグルゼでないのでしたら、わたくしの聖魔術を恐れる心配はありません。すぐに傷を癒します。わたくしに身を委ねていただけますか」



 傷口に触れるか、触れないかという寸前だ。


 レアラは聖魔術を行使するため、指先に聖魔力を集わせた。




 そこでレアラは夢から覚めていた。


 自分では全く気づいていない。そもそも覚醒していないのだ。


 一切の感覚が遮断されている中で、手だけを大きく伸ばしていた。


 いつしか、五指に聖魔力が凝縮されている。


 指が傷口に優しく触れる。レアラは無意識のうちにそれを手放した。




 その者は、目の前で眠る少女から片時も目を離さずに見守っている。


 少女は漆黒の獄焔を全身に浴びていた。


 皮膚はおぞましいほどに焼けただれ、どす黒く染まっている。黒が全身に回れば少女の命は尽きる。


 通常の火傷などではない。異界の焔は、人にとって禁忌の焔だ。本来なら皮膚に接触しただけで灰と化している。


 設置型防御魔術が間に合わなかったとはいえ、辛うじて機能し、灰になることだけは免れていた。



「余の力をもってしても、この忌まわしき獄焔は滅せぬ。進行を遅らせるしかできぬ。痛恨の極みだ」



 少女に触れたい。触れて、直接力を流し込めば、さらに進行を遅滞させられる。


 一方でかなりの危険性も付き纏う。少女がこの状態なのだ。どの程度の力なら耐えられるか見当もつかない。最悪、自らの手で少女を死に追いやってしまうかもしれない。


 葛藤をよそに、不思議なことが起こった。



 動かないはずの少女の手がおずおずと伸びてくる。



 少女の手がすぐ傍で見守るその者に微かに触れた。


 触れた手を、強い力で握り返す。少女の指先には聖魔力がこめられている。



「これは聖魔術、いったいどういうことだ」



 信じられない思いで少女を見つめ、聖魔力の流れを具に観察する。


 少女の中で眠っている力が聖魔力によって活性化しつつある。



「余があの時に授けたものか。余の力と聖魔力が共鳴を起こしている」



 刹那、少女の指先に凝縮した聖魔術が眩い光を帯びる。


 その者にとって、聖魔術の光を間近で浴びるのは危険すぎる。ただ、少女の手だけは離したくなかった。



「よかろう。余が受けて立とうではないか」



 解き放たれた聖魔術が、部屋全体を凄まじい勢いで満たしていった。

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