「面白い小娘だ」
いきなり頭上の樹々から声が降ってきた。
「ひゃっ」
レアラはたまらずしゃがみ込んでしまう。予想外すぎることの連続で、さすがに思考が追いつかない。
「このようなところで一人、なにをしているのだ」
再び声が落ちてくる。
レアラは恐る恐る声の方向に視線を投げかけた。何も見えない。広大な闇があるだけだ。
「お、驚かさないでください。心臓に悪いです。あ、あの、わたくしを、食べるつもりですか」
問いかけに答えるのは、無言と静寂だけだ。レアラの恐怖心が今にも振り切れようとしている。
計ったかのように、けたたましい笑い声が降り注ぎ、レアラの恐怖心も和らいでいった。
「小娘、その方の貧弱な身体にいささかの興味もなければ、貪るつもりも毛頭ない。それよりも、その方が展開しているのは聖魔術結界だな。ならば、その中にいる限り、余がだとしても安心であろう」
レアラは結界内にいることさえ忘れていた。身体を小さくしながら、震える声で尋ねる。
「あなたは、やはり
今度は即答だ。声の中に多分に怒りがこめられている。
「余を
二度、三度と羽ばたきの音が静かに樹々を揺らしたかと思うと、レアラの前にそれが突如として姿を現していた。
レアラは完全に言葉を失ってしまっていた。
やはり、耳に届いていた音の正体は羽ばたきだった。両翼を完全に広げれば、優に三メートルは超えている。
威風堂々、レアラの心に真っ先に浮かんだ言葉だ。
「綺麗。それに神々しい鳥さんです」
レアラは素直な思いをそのまま口に出していた。言ってから気づく。
「わたくし、鳥さんに向かって、なんて子供じみた言葉を」
恥ずかしさのあまり両手で頬を覆ってしまった。
「それが、その方の素であろう。よほど愛らしい。余には、その方が早く大人になろうと、生き急いでいるように見えるがな」
片方の翼がちょうど顔の下辺りに触れている。
「小娘の寿命を考えれば、それもやむなしか。済まない、忘れてくれて構わない」
レアラは思慮深い鳥の言葉に思わず聞き入っていた。
「鳥さんはまるで人のようにも見えます。その恰好は、片手を顎に当てて考え込む人の仕草そっくりです」
金色に輝く瞳が瞬きを繰り返している。
全てを凍てつかせそうなほどに冷たく、なによりも神秘的で美しい。
レアラは一瞬にして虜になっていた。
「孤独」
瞳を覗き込んだからこそ分かる。
意図せず、無意識のうちに言葉が零れ落ちていた。
目の前の鳥の動きが完全に止まってしまっている。
「ごめんなさい。わたくし、なんて無礼なことを、あら、怪我をしているではありませんか」
レアラは恐る恐る、ゆっくりと手を差し伸べる。
「鳥さんが
傷口に触れるか、触れないかという寸前だ。
レアラは聖魔術を行使するため、指先に聖魔力を集わせた。
そこでレアラは夢から覚めていた。
自分では全く気づいていない。そもそも覚醒していないのだ。
一切の感覚が遮断されている中で、手だけを大きく伸ばしていた。
いつしか、五指に聖魔力が凝縮されている。
指が傷口に優しく触れる。レアラは無意識のうちにそれを手放した。
その者は、目の前で眠る少女から片時も目を離さずに見守っている。
少女は漆黒の獄焔を全身に浴びていた。
皮膚はおぞましいほどに焼けただれ、どす黒く染まっている。黒が全身に回れば少女の命は尽きる。
通常の火傷などではない。異界の焔は、人にとって禁忌の焔だ。本来なら皮膚に接触しただけで灰と化している。
設置型防御魔術が間に合わなかったとはいえ、辛うじて機能し、灰になることだけは免れていた。
「余の力をもってしても、この忌まわしき獄焔は滅せぬ。進行を遅らせるしかできぬ。痛恨の極みだ」
少女に触れたい。触れて、直接力を流し込めば、さらに進行を遅滞させられる。
一方でかなりの危険性も付き纏う。少女がこの状態なのだ。どの程度の力なら耐えられるか見当もつかない。最悪、自らの手で少女を死に追いやってしまうかもしれない。
葛藤をよそに、不思議なことが起こった。
動かないはずの少女の手がおずおずと伸びてくる。
少女の手がすぐ傍で見守るその者に微かに触れた。
触れた手を、強い力で握り返す。少女の指先には聖魔力がこめられている。
「これは聖魔術、いったいどういうことだ」
信じられない思いで少女を見つめ、聖魔力の流れを具に観察する。
少女の中で眠っている力が聖魔力によって活性化しつつある。
「余があの時に授けたものか。余の力と聖魔力が共鳴を起こしている」
刹那、少女の指先に凝縮した聖魔術が眩い光を帯びる。
その者にとって、聖魔術の光を間近で浴びるのは危険すぎる。ただ、少女の手だけは離したくなかった。
「よかろう。余が受けて立とうではないか」
解き放たれた聖魔術が、部屋全体を凄まじい勢いで満たしていった。