ロシュクヴールの話が続く中、それは突然来た。
膨大な魔術の奔流が瞬時に駆け巡り、玉座を覆い尽くしていく。
「これは四天王の僕たちでもきついね。耐えられないわけじゃないけど、それでも相当の力を消耗しちゃうよ」
誰も異論はない。あらゆる界の魔力に精通し、対応能力にも秀でたジェレネディエが言うのだ。
「わらわは駄目じゃ。こうなれば止むを得まいの。人化するしかあるまい」
ウィントゥーラは渋々ながらに元の姿を捨て、即座に人化していく。
ここまでの聖魔術に包まれる中では、通常よりもはるかに多くの力と時間を要する。
人化が成ったウィントゥーラは苦しげな氷の息を吐いている。
「聖魔術はわらわたちの力とは対極に位置するものじゃ。全身で浴びるとなると、ただでは済まなさそうじゃな」
ジェレネディエが言ったとおり、この世のものとも思えないほどの絶世の美女が立っている。
青藍の豊かな髪が背中まで垂れている。切れ長の細い瞳もまた青藍に染まり、妖艶な唇と長く伸びた爪は深紅だ。
眉間に寄せた皺がさらに美しさに磨きをかけている。
このような状況下、ナーサレアロも目覚め、顔を顰めている。
「俺の眠りを妨げるとは、主物質界の小娘も侮れんな。とはいえ、この程度は当然とも言える。なにしろ、主が認めているのだから」
沈黙を守ったままのロシュクヴールに三人の視線が集中する。
「どうしたのさ、ロシュクヴール。ずっとだんまりだね。なにか気になることでもあるのかい」
ジェレネディエの問いかけにロシュクヴールは僅かに首を横に振る。
「我には理解できぬ。あの御方は漆黒の獄焔で全身を焼かれているのだ。明らかに聖魔術を行使できる状況ではない」
ジェレネディエとウィントゥーラが驚愕の声を上げた。
「なんだって、今なんて言ったの。僕の聞き間違いかな」
「ロシュクヴール、何故に今の今まで黙っておったのかの。事によっては筆頭のお主といえど」
二人の言葉はたちまちのうちに封じられていた。
ロシュクヴールの全身から恐ろしいまでの凍氷気が溢れ出し、聖魔術さえ上書きしようかという勢いで玉座を浸食していく。
「ロシュクヴール、ここで四天王が争っても仕方がなかろう。それに主があの小娘の傍にいるのではないか。何よりも最優先で駆けつけるべきではないのか」
冷静極まりないナーサレアロの言葉に、三人は硬直、目だけを動かし、次の瞬間には力を一気に解き放ち、玉座から貴賓室へと転移していった。
「やれやれだな。なるほど、原理さえ分かれば問題ない。意外に聖魔術も心地よいではないか」
ナーサレアロだけはこの場に留まったまま、大きなあくびを一つ落とした後、再び目を閉じると静かに眠りの世界へ戻っていった。
四天王の三人までが揃って転移、貴賓室の扉前で姿を現すと、ロシュクヴールがすかさず扉を叩く。
「我が主、失礼いたします。入室のご許可を頂戴したく」
貴賓室内の聖魔術濃度が極端に高い。
許可を求めたものの、このまま踏み込めば強力な聖魔術に当てられて、最悪の場合卒倒してしまうかもしれない。
ロシュクヴールがジェレネディエに視線を向け、目だけで尋ねかける。
「僕の対魔術障壁でくるんで入室したとして、もって数分といったところかな。この中は尋常じゃない濃密さだよ。僕なら願い下げだね。ロシュクヴールには悪いけどさ」
ジェレネディエの言葉に、ウィントゥーラも同意とばかりに首を縦に振っている。
「奇遇じゃな。わらわも今回ばかりはジェレネディエの意見に賛同せざるを得ぬわ。これほどまでとはの」
ウィントゥーラに至っては、扉に近寄ろうともせず、溢れ出す聖魔術の力から遠ざかろうとしている。
ロシュクヴールだけが諦めず、再度扉を叩き、呼びかける。
「我が主」
言葉を継ごうとしたところで、扉が中から開き、男が姿を見せる。
手で顔を押さえ、僅かに見える表情が苦しげだ。しかも美しい顔のところどころに焼けたような跡が走っている。
「我が主、大丈夫でございますか。その顔の火傷は」
ロシュクヴールがたまらず声を上げたところで、男は手で制す。
三人ともがその場で跪くことさえ忘れ、ただならない主の様子を心配そうに見つめるだけだ。
「心配は要らぬ。至近距離で聖魔術を浴びた結果だ。問題はない。それよりも」
三人を見渡す。四天王といえども、聖魔術の影響から完璧に逃れられるわけではない。
「おまえたちも少なからず影響を受けている。それほどに、大聖女レアラの聖魔術は群を抜いて優れているのだ」
男の表情に滅多に見られない笑みが僅かに浮かんでいる。三人が三人とも怪訝に思い、主に問いかける。
「主殿、あの小娘、大聖女レアラとやらをどうなさるおつもりなのじゃ。わらわは異界の者を、ここに止め置くのは反対じゃ」
真っ先にウィントゥーラが反対の声を上げる。次いでジェレネディエが口を開く。
「主様、僕の夢幻廻楼も不吉な出来事を暗示しているよ。だからこそ、大聖女レアラと四人の聖女をわざわざ連れてきた主様の真意が聞きたいな」
ロシュクヴールがたまりかねて冷たい怒りの声を発する。
「貴様たち、我が主たる冥王様に対するその口の利き方はどういうことだ。無礼極まりないであろう」
冥王と四天王、確かに主従の関係にある。
少なくとも力関係においては、冥王が圧倒的に強者であり、四天王総がかりでも冥王に傷一つ負わせられない。
「構わぬ。余と四天王との間に、口の利き方に関する定めなどなかったはずだ。そうだな、ロシュクヴール。おまえの忠誠心は嬉しいがな。ウィントゥーラ、ジェレネディエの好きにさせよ。余にしてみれば、他愛もないことだ」
三者三様の反応を確かめながら、冥王と呼ばれた男は言葉を紡ぐ。
「詳細を語るのは玉座に戻ってからとして、一つだけ答えておく。大聖女レアラを余の妻とする。これは余にとっての決定事項である」
思いもよらない冥王の言葉は、これ以上ないというほどの衝撃を三人に与えていた。