三者一様の反応は言うまでもない。
口を半開きにしたまま、間抜け面で呆けている。
茫然自失状態からなんとか立ち直ったウィントゥーラとジェレネディエが早速食ってかかる。二人の顔は怒りに染まっている。
「気でも触れられたか。異界の者、それもわらわたちに仇なすかもしれぬ大聖女を妻にするじゃと。主殿の言葉とは到底思えぬわ」
吐き捨てるウィントゥーラに、大きく首を縦に振りながらジェレネディエが追随する。
「僕も信じられないよ。主様、嘘だよね。ねえ、嘘だよね。嘘だと言ってよ。冥界の秩序はどうなるのさ」
うな垂れてしまったジェレネディエを気の毒に思ったか、困惑しきりの中でロシュクヴールが四天王を代表して言葉を発する。
「冥王様、冥界に生きる者として賛成したいのはやまやまながら、我は四天王の一角として反対せざるを得ません。ナーサレアロだけは冥王様のお言葉に従うとのこと故、三対一となります。それでもなお」
冥王の鋭い視線に射貫かれ、ロシュクヴールはたちまちのうちに全身が凍りついてしまう。ウィントゥーラもジェレネディエも同様の始末だ。
「余は決定事項と言った」
三人は冥王の圧倒的な眼力に射竦められたまま微動だにできずにいる。
「圧が強かったか。許せ」
冥王が静かに目を閉じるなり、三人を凍えさせていた圧が瞬時に消え去った。
「おまえたちは余にとって最も大切な者たちだ。おまえたちの言葉も考慮しておこう。余は大聖女レアラをその一人に加えたいと考えている」
告げるなり、背を向け、室内に戻ろうとする冥王にロシュクヴールが躊躇いがちに声をかける。
「冥王様、有り難きお言葉なれど、ご再考いただきたく。何よりも、大聖女レアラ殿はあの卑劣な者どもの漆黒の獄焔を全身に浴びているのです」
それ以上の言葉はあまりに不敬だ。ロシュクヴールは仕方なく呑み込む。
「だから何だと言うのだ。おまえたちもこの城を包むほどの凄まじい聖魔術を見たであろう。聖魔術は聖であり、生であり、その力の根源だ。大聖女レアラはまもなく目覚める。おまえたちは玉座の間で待機せよ」
冥王の言葉は絶対だ。反論する暇さえも与えず、扉を後ろ手に閉めてしまった。
これ以上は何もできない。三人は固く閉じられた扉の前で立ち尽くすしかなかった。
室内を満たしていた聖魔術が次第に勢いを失っていく。
既に聖魔術がレアラの全身に浸透し、漆黒の獄焔で醜く焼かれた肌を回復させていた。
そのうえで最後の使命を果たすべく、凝縮された聖魔術が小さな光玉を生み出し、レアラの心臓の真上で浮かんでいる。
冥王でさえ、その光玉を見つめていると、力を失いそうになる。
「恐ろしいまでの力だな。その方はあの時といささかも変わっておらぬ。余は安心したぞ」
頬に触れようと手を伸ばしかけて、咄嗟に引っ込める。光玉が彼女の心臓に沈んでからが本番だと知っているからだ。
「さあ、愛しき者よ、余のもとに帰ってくるがよい」
その言葉を待っていたかのように、光玉がゆっくりとレアラの心臓の中へ溶け込んでいく。
冥王は両手をもって、レアラの手を握りしめた。
光の浸透が完全に収まり、ゆっくりとレアラの目が開いていく。
意識の完全覚醒には程遠い。自分がどこにいて、何をしているのかも理解できていない。
「わたくし、やはり死んだのですね。あの獄焔を全身に浴びたのです。仕方がありません。それよりも四人を守れたのでしょうか。シスメイラ、カタラン、リニエルティ、メネテロワ、あなたたちは今どうして」
重たい瞼がようやく開き切ったところで、天井に描かれた荘厳な絵画に目がいった。
「わたくしは天の界に召されたのでしょうか。天井画に描かれているのは女神様に違いありません。傍には羽ばたく鳥が親しげに」
レアラの意識が次第に覚醒していく。彼方に埋もれた記憶が静かに蘇ってくる。
「わたくし、描かれているあの鳥さんに、どこかで会ったことがあるような。鳥さんの目に」
呟きが自らの潜在意識に語りかけている。
「ようやく目覚めたか。余の愛しき者よ」
突然声が降ってくる。
それこそ、天井画の鳥が語りかけてきたかのようでもあった。
「ひゃうっ」
思わず口から飛び出した声に、レアラは赤面しきりだ。
声の方向に身体を動かそうとするものの、硬直が長かったせいで思うように動かせない。
「それも変わっておらぬな」
小さな呟きは、今のレアラの耳には届かない。
「漆黒の獄焔の影響が全てなくなったわけではない。しばらくは自由が利かぬであろう。余が近寄っても構わぬか」
ほとんど感覚のない右手を動かそうとしたレアラは、ここにきて手を握られていることにようやく気づいた。
「わたくしの手を。あなた様が癒やしてくださったのでしょうか。それに、ここはいったいどこなのか。わたくし、あれからの記憶がすっかり抜け落ちてしまっています」
冥王は握っていたレアラの手を離し、静かに立ち上がると、彼女の目を覗き込む。
「余の目をもって、その方の状態を確認する。くれぐれも聖魔術を行使するでないぞ」
銀に青を落とし込んだ瞳が凍気を帯びながら、金色に変じていく。
「あ、あなた様は、あの時の、鳥さん」
「気づいてくれて何よりだ。出会った時のその方は、駆け出しの聖女であった」
僅かに頬を緩める冥王に、レアラも微かに笑みを返す。
「やはり、あなた様が、わたくしを助けてくださったのですね。心より感謝申し上げます」
知らず知らずのうちにレアラの瞳から涙が流れている。
冥王はレアラの頬に指を添え、零れ落ちていく涙を優しく拭う。
「あなた様は」
「余は冥王ノルウィリニス、冥界を統べる者にして九柱が一柱だ。大聖女レアラよ、その方の夫になる者でもある。歓迎するぞ」
衝撃的な冥王の言葉に、レアラは驚愕のあまり声すら上げられない。口だけがただパクパクと空回りして動いているだけだ。
冥王はそんなレアラを楽しげに見つめ、言葉を紡いだ。
「回復しきっていない状態で話をするのも辛かろう。消化もできぬであろう。今は眠るがよい」
レアラの傍から去ろうとする冥王は数歩進んだところで立ち止まり、振り返る。
「最後にこれだけ伝えておこう。その方が命を賭して守ろうとした聖女四人は無事だ。余の四天王に命じて手厚く保護している。何も案ずることはない」
次第に瞼が重くなってきた。冥王の声も遠くなっていく。
ただ、聖女四人が無事だということだけははっきりと聞き取れた。
「ああ、よかった。わたくし、あなたたちを、救えたのですね。冥王様、ありがとうございます」
レアラはそれだけの言葉を残し、再び深い眠りに落ちていった。
「余の愛しき妻レアラよ、次に目覚めた時、全てを語ろう」