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010話 大聖女の目覚め

 二度目の長い眠りの後、レアラは微睡の状態からようやく覚醒に至ろうとしている。


 全身が強張っているものの、漆黒の獄焔による影響はほぼ残っていない。


 後遺症が出るかどうかは今の段階では分からない。自身の聖魔術の力を信じるしかない。


 ようやく半身を起こしたレアラは、ぼんやりとしている頭で眠る直前の出来事を思い返していた。



「ここは本当に冥界なのですね。わたくしたちを救ってくださったあの御方、冥王様はそう仰いました。そして、冥王ノルウィリニス様は、最後に」



 途端にレアラの頬が真っ赤に染まっていく。頬を両手で押さえたまま、何度も頭を振っている。



「余の愛しき妻、たしかにそのようなお言葉を、そうです。きっと混乱していたわたくしの空耳なのです。冥王様とわたくしとでは、あまりに」



 レアラは思考が追いつかず、感情だけが先走りしている。



「たとえ、わたくしの空耳でなかったとしても、元気づけるために、あえてあのようなことを口になされたのでしょう。冥王様は九柱が一柱、人であるわたくしなど、足元にも及ばないほどの高みにいらっしゃる御方です」



 レアラは努めて冷静になろうと、大きく息を吐き出した。


 人であるレアラたちがいつまでも冥界に留まれるわけがない。冥王の一時的な気まぐれだと思った方が賢明だ。


 レアラはふらつきながらも、何とか立ち上がる。


 今の今まで気づかなかった。部屋の一部分が透明な氷で設えられている。それが鏡の役割を果たしていた。


 まさに今、レアラの全身が氷に映し出されている。



「はうっ、な、なんという恰好をしているのでしょう。あ、あまりに羞恥すぎます」



 レアラは思わず両手で胸部を覆い隠し、その場にしゃがみ込んでしまった。



「だめです。このような姿を人前に晒すなど、わたくしには耐えられません。死んでしまいそうです」



 大聖女としての正式な着衣ではなかった。


 漆黒の獄焔を浴びたのだ。燃え尽きてしまったことも理解できる。


 それでは、なぜこのような着衣になっているのか。そもそも、いったい誰が着せてくれたのか。



「ま、まさか、これを冥王様が。いえいえいえいえ、そのようなことは絶対にあり得ません。冥王様は殿方ですし」



 レアラが纏っているのは、冷たさを一切感じさせない氷の衣だ。


 大切な部分はしっかり隠されているとはいえ、美しい青磁のような肌は完全に透けて見えている。



「大聖女レアラ様、どうかしたの。大丈夫なのかな」



 誰もいないはずの室内から、やや低音ながら可愛らしい声が降ってきた。



「ひゃうっ」



 獰乱獣ダグルゼには果敢に立ち向かえるレアラも、霊的な存在にはとことん弱いときている。これもまたレアラの欠点の一つだった。


 恐る恐る顔を上げるレアラの視線の先、覗き込むようにして一人の少女が前屈みで立っている。


 つぶらな青藍の瞳が興味津々とばかりに煌めいている。



「は、はい、大丈夫です。ご心配をおかけします。あの、あなたは」



 きょとんとした顔を浮かべてレアラをじっと見つめていた少女は、僅かの間を置いて笑い声をあげた。



「うん、大聖女様は面白いね。聞いていた印象とは随分違うよ。私に気遣いは要らないから、普通に喋ってよ。あっ、そうそう、私はモティエルナだよ。迎えに来たんだけど、立てるかな」



 モティエルナと名乗った少女は愛らしい笑みを浮かべ、しゃがみ込んだままのレアラに右手を差し出す。



「その、立てるのは立てるのですが、いささか」


「なに、ぶつぶつ言ってるのさ」



 モティエルナはレアラの手を強引に取ると、軽々と引っ張り上げる。



「あはは、大聖女様は軽すぎ、って、えっ、なんて恰好してるのさ。いやあ、これは大胆だねえ」



 にやにや笑いが止まらないモティエルナに、レアラは赤面を通り越し、沸騰したゆでだこ状態と化している。



「どれどれ、へええ、女ってこういう姿形がいいんだ。うん、勉強になるよ」



 穴が開くほどにレアラの全身を凝視するモティエルナは、ようやく満足したのか、氷の鏡面の前まで移動した。



「大聖女様、じゃあさ、ちょっとやってみるから、おかしなところがあったら教えてよ」



 なにを言っているのか全く理解できないレアラの目の前で、モティエルナは自らの身体を変化させていった。



「ええっと、大聖女様の胸の形とか大きさとか、こんな感じかな。それで、腰回りはと、これでいいのかなあ」



 モティエルナは両手を起用に動かし、既に作業を始めている。



「なにを、しているのですか」



 レアラは驚愕の眼差しでモティエルナの一挙手一投足を凝視している。もはや目が離せなくなっている。


 モティエルナは自身の両手をほぼ真っ平の胸部内へとめり込ませ、そこから二つの豊かな双丘を作り上げるべく、肉を盛り上げていく。


 身体の中で両手がどのように動いているのか、レアラには見えない。ただ、何かをこねくり回しているのは間違いなかった。


 双丘の高さが揃ったところで、モティエルナは両手を抜き出し、今度は粘土細工でもするかのごとく、双丘周辺に巧みに凹凸を組み上げていく。


 美しく完璧な整形までを終えると、同様に腰回りの作業に移った。


 レアラの目は完全に点になっている。言葉も出てこない。



「ねえ、どうかな。大聖女様を真似て、胸と腰を作ってみたんだけど、あれ、大聖女様ってば、聞いてる」



 モティエルナ自身、これでいいのかどうか、全く分からない。


 そもそも、冥界における美意識は人化の良し悪しで決まるようなものではないからだ。


 だからこそ、基準となり得るレアラの意見がたまらなく聞きたくて尋ねている。



「大聖女様、ねえってば。聞こえてないのかな」



 ようやく正気に戻ったレアラがまずは大きく息を呑み込んだ。



「な、な、な、なんですか。その摂理を完全に無視した、無茶苦茶な身体は」



 飛び出さんばかりに目を見張るレアラは、たまらずが素っ頓狂な声を発している。


 なおも、モティエルナの身体の調整は鋭意続行中だった。



「えっ、それってだめってことかな。大聖女様、もっと具体的にどこが悪いのか教えてよ。そうじゃないと分からないよ」



 レアラとしては、自分を真似たと言われた以上、中途半端な姿形で終わらせるなど沽券にかかわる問題だ。女としての矜持もある。


 がばっと立ち上がったレアラは勢い込んでモティエルナのすぐ傍まで歩み寄ると、てきぱきと指示を出していく。



「わたくしを真似た、ということですね。でしたら、なんですか、その姿形は。断じてあり得ません。まずもって、その大きすぎる胸です。それでは牛みたいではありませんか。もっと小さく、そして異様な膨らみをなくしなさい。今すぐです」



 まくしたてるようなレアラの言葉に、モティエルナは慌てて両手を動かし、言われるがままに調整していく。


 腕組みをしたまま不動の姿勢を保つレアラが目を光らせて、モティエルナの作業を見守っている。



「本当に、なんとでたらめな身体なのでしょう。わたくしも、このようなことが可能なら、ここをもっと、あそこをもっと」


「なにをぶつぶつ言ってるのさ。大聖女様って、人界では美の象徴と言われているんでしょ。それなのに、まだ姿形を変えたいって思うんだね。ちょっと贅沢すぎないかな」



 レアラにとって、それは初耳だった。



「美の象徴、わたくしが、ですか。あり得ません。わたくしより美しい方などたくさんいます。それに、冥界ではわたくしたちの住まう界を人界と呼ぶのですか」



 界によって常識が異なることはレアラでも知っている。


 九柱、すなわち九の界が存在し、それらを統べるものが一柱だ。基本的にそれぞれが相互不干渉を守っている。



「へえ、大聖女様よりも美しい女がいるんだ。それはそれで見てみたいな。それから、大聖女様の界だけど、人が住まう界なんだから」



 口を動かしながらも、モティエルナはレアラの厳しい監視の中、身体の調整を続けている。



「うん、これでどうかな。我ながら、よくできたかなあと思うんだけど」



 レアラはようやく腕組みを解くと、正面からモティエルナの胸部を眺め、それからゆっくりと彼女の周囲を一回りした。



「よいでしょう。美しい胸ができあがりました。では、次は腰回りですね」



 満面の笑みをモティエルナに向けるレアラだった。



「ちょっとお、これ、いつになったら終わるのさあ」



 泣きが入ったモティエルナをあっさり無視して、レアラによる姿形調整という名の厳しい指導はしばらく続くのだった。

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