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012話 大聖女と魔術

 レアラは大きく目を見張っている。


 突き付けてきたジェレネディエの指先に凄まじい魔力が極小にまで圧縮された状態で集っている。


 ジェレネディエがレアラの目を覗き込み、興味深く問うてくる。



「大聖女レアラ、今の君の表情は恐怖からかな。それとも、別の感情からかな。僕は、後者だと思うんだけどね」



 レアラは穏やかな瞳でジェレネディエを真っすぐに見つめ返し、小さく頷いてみせた。



「恐怖が全くないと言ったら嘘になりますが、それ以上にジェレネディエ様の魔力に感心しているところです。それが冥界の魔術というものなのですね」



 ひと言で魔術といっても、人界と冥界では原理原則が全く異なっている。レアラほどの大聖女でも、ジェレネディエの使っている魔術は皆目理解できなかった。



「そうだね。僕は冥界で生まれたからね。今使っているのは冥界の魔術ということになるよ。でもね、僕ならこういうこともできるんだよ」



 右手指先をレアラに突き付けたまま、ジェレネディエは左の手のひらを上に向けて軽く握り、真横に伸ばす。



「シュラフィ・アレーゼ・レ=デーシェ

 大気に眠りし凍てつきしものたちよ

 我が掌に集いて氷結の力となせ」



 レアラは思わず息を呑みこみ、目を見開いてジェレネディエを観察している。


 ジェレネディエが唱えている魔術は、まさしく人界で使われるものに他ならない。


 詠唱を終えたジェレネディエは、握ったままの左手を頭上に掲げ、レアラに視線を戻した。



「大聖女レアラ、君なら見えているよね。そう、僕の周囲には冥界の魔術が、左手には人界の魔術がそれぞれ力を解き放たんとして、僕の合図を待っているんだ」



 レアラは今度は大きく息を吐き出し、詰まりそうになっていた胸をとんとんと二度、三度と叩き、それから嬉しそうに手を叩いて拍手を贈った。



「ジェレネディエ様、すごいです。本当にすごいです。驚きました。人界の魔術まで使えるのですね。冥界の方は皆さんがそうなのでしょうか。いったい、どうやって使い分けているのでしょう。詠唱は必要ないのでしょうか。それから、それから」



 怒涛の質問攻撃を繰り出してくるレアラに、形勢逆転でもしたかのようにジェレネディエもたじたじになっている。


 レアラ、実のところ相当の魔術馬鹿でもある。聖魔術だけに飽き足らず、多方面に首を突っ込んでは、庭園主やシスメイラたちからこっぴどく叱られていた。これもまたレアラの欠点といえば欠点の一つかもしれない。



「えっ、あれれ、僕の想像していた反応と全然違っているんだけどなあ。うーん、まあ、いいか。それにしても、大聖女レアラ、君って随分と変わっていて、面白い子だね」



 ジェレネディエは纏う圧を弱め、レアラとその背中に隠れているモティエルナに目を向けている。



「はうっ、わたくし、またしてもこのようなことを。申し訳ございません、ジェレネディエ様。魔術のこととなると、わたくし、どうしても」



 次第に声が小さくなっていくレアラの両肩が落ちている。



「ああ、もう、そんな顔をしないでよ。これだと、まるっきり僕がいじめっ子の悪者みたいじゃないか。ほんと、調子が狂っちゃうなあ」



 ジェレネディエの目がレアラから逸れて、モティエルナに移る。圧が弱まったことで、金縛り状態からは脱したものの、未だに小刻みに震えている。



「モティエルナ、いつまでそこで震えているつもりなんだい。怒ったりしないからさ、いい加減、立ってこっちに来なよ。今から僕のやることを大聖女レアラに説明してやってほしいんだ」


「は、はい」



 おずおずと立ち上がったモティエルナは、レアラの袖を一度だけ強く握り直す。



「レアラ、違った。ええっと、レアラ様、ジェレネディエ様に呼ばれたから、行かなくちゃ」



 レアラの否定の声が即座に飛んでくる。



「モティエルナ、わたくしのことは、レアラと呼んで、と言ったはずです。なにがあろうともですよ。わたくしが許しているのです。ジェレネディエ様も認めていただけますね」



「大聖女レアラ、残念だけど僕の口から認める、なんて言えないよ。でも、そうだね。この場に限ってなら、いいんじゃないかな。こう見えて、僕は口が堅いからね」



 僅かに口角を上げたジェレネディエに、レアラは礼を述べて、去ろうとしているモティエルナの手を掴む。



「そういうことです。いいですね。モティエルナ、あなたはわたくしのお友達です。なおさら敬称などは要りません」


「う、うん、分かったよ。レアラ、でいいんだよね」



 嬉しそうに頷くレアラにジェレネディエもようやく笑みを見せ、おもむろに手を離すと、何度も振り返りながら、ジェレネディエの傍に近づいていく。


 ジェレネディエはレアラのモティエルナに対する接し方を見て、不思議な感覚に囚われていた。



「主様のお気持ちがほんの少しばかり分かった気がするかも。だからこそ、試さないといけないよね。僕の本来の目的は、そこにこそあるんだし」


 モティエルナが不安そうな顔で見上げてくる。



「モティエルナ、君は武の方はからっきしだけど、知の方は誰よりも優れている。それをもって、大聖女レアラに冥界の魔術の原理を教えてあげるんだ。分かったかな」



 何度も首を縦に大きく振ってモティエルナは応えた。



「大聖女レアラ、僕につきあってほしいんだよね。試したいことがあるんだ。それもあって、わざわざ二度もここまで足を運んだんだよ」



 ジェレネディエは笑みを見せたものの、その実、全く笑っていない。



「試したいことですか。ジェレネディエ様が使われている冥界の魔術に関係しているのでしょうか。わたくしの目をもってしても、魔力を圧縮しているということしか分かりませんが」



 レアラは大聖女として過酷な修業を耐え抜いてきただけあり、魔力の性質を見通す特別な目を持っている。


 この力があるからこそ、迅速で正確な治癒が施せる。それでも冥界の魔術は異質であり、人界のそれとは似て非なるものだ。



「君のその目はすごいね。僕の魔力を認識できているなら十分だよ。これなら早く済みそうだ。じゃあね、大聖女レアラ、始めようか」



 ジェレネディエの全身を魔力が覆っていく。揺らぎの一切ない、澄み切った美しい氷の力だ。



「まずは左手からだよ。この力は君の力と同種、だから造作もないよね」



 ジェレネディエは真横に伸ばしていた左手を胸の前に持ってくる。



「魔術を解き放つための言霊を口にするから、大聖女レアラ、見事防いでごらんよ。君の聖魔術をもってしてね」

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