聖なる光壁を削り取りながら、さらに推進力を増していく氷の粒が、いきなり反対方向に弾け飛んだ。
「えっ、嘘、どうして」
レアラ以上に優れた目を持つモティエルナが、驚愕の声をあげている。
ジェレネディエは声は発しなかったものの、その表情が如実に物語っていた。
「これは驚きだね。咄嗟の判断としては上出来だったよ。とはいえ、大聖女レアラには、この程度はやってもらわないとね。僕がここに来た意味もなくなるよ」
モティエルナの視線がレアラとジェレネディエの間を彷徨っている。どうして氷の粒が弾けたのか聞きたくてたまらないのだ。
「あのねえ、モティエルナ、君はなにを見ていたのかなあ。君のその目は節穴なの。僕は説明してあげないよ」
「ううっ、ジェレネディエ様は意地悪です。教えてくださいよお」
ジェレネディエは素知らぬ顔でモティエルナを無視している。決して甘い顔は見せないという態度だ。
それならとばかりに、モティエルナはレアラに縋るような目を向けた。
レアラは苦笑を浮かべ、モティエルナに教えようとしたところで、ジェレネディエから制止の声が飛ぶ。
「大聖女レアラ、甘やかしたらだめだよ。仮にモティエルナに教えるとしても、全てが終わってからにしなよ。君にはやるべきことがあるでしょ。まだ、二つも残っているんだからさ」
ジェレネディエの氷のような冷たい瞳が妖しく光っている。
ここまでは前座みたいなものだと言わんばかりに、ジェレネディエの全身を覆う魔力がはるかに強まっていく。
揺らぎの一切ない強固な分厚い層と化し、全身に張り付いている。周囲に浮かぶ氷の粒同様、それが何層なのかはレアラには認識できなかった。
「放つ前に教えておいてあげるよ。七層の中に三種の異なる魔術を仕込んだからね。どのような魔術なのかは見てのお楽しみにしておこうか。大聖女レアラ、これに耐えられるかな」
ジェレネディエの両手が左右に開かれ、氷の粒が二つずつ、残りの一つは頭上で待機している。
「大聖女レアラ、あと二つ耐え忍べば、ご褒美が待っているよ」
ジェレネディエは笑みを浮かべてみせる。笑みの中に、何かが隠されていることだけはレアラにも感じ取れた。
分からないから尋ねる。
「ジェレネディエ様、なにをお考えなのでしょうか。嘲笑ではありません。ですが、わたくしでは凌げない。そのように仰っているようにも感じられます」
レアラには決して感知できない力を用いる。
≪モティエルナ、大聖女レアラの背後に潜んであげなよ。今のあの娘の力では、僕の次の攻撃には耐えられない。最悪、死ぬことになるよ。そうなるとね、僕も大いに困るんだ。主様に殺されたくはないからね≫
やる前からジェレネディエには結果が見えている。今のレアラに攻撃を覆すだけの力は備わっていない。
≪ジェレネディエ様、よろしいのでしょうか。レアラのことです。私が手を貸したなんて知ったら、間違いなく怒りますよ。それに、ジェレネディエ様のご褒美を楽しみにしていますから≫
モティエルナも同じ力を用いて返答を即座に返してきた。
≪なに言ってるんだい。君が大聖女レアラに怒られるのはいいんだよ。もしかして、君は、僕が冥王様に殺されたらいい気味だ、なんて思ってるのかな≫
滅相もないとばかりにモティエルナは激しく、何度も首を横に振っている。
モティエルナのあまりに滑稽な姿に、レアラが痛い子を見るような目を向けてきている。レアラの視線を感じて、モティエルナが慌てて否定の顔を向けてくるものの後の祭りだ。
≪モティエルナ、くれぐれも大聖女レアラに気取られないようにね。六つ目が残っているけど、これでどうやら打ち止めかなあ。そろそろ、主様も痺れを切らしている頃だしね≫
モティエルナは真剣な表情に戻っている。小さく頷いた。
≪君にだけ教えておくよ。僕の三つ目の魔術はね≫
あまりの衝撃にモティエルナの顔が途端に青ざめていく。
≪そ、それは、あまりにも、ジェレネディエ様、どうかご再考を≫
ジェレネディエの氷の瞳に射すくめられて、モティエルナは言葉を封じられてしまった。
「待たせたね、大聖女レアラ。じゃあ、始めるよ」
開いた両手を素早く胸前で交差、四つの氷の粒がレアラめがけて射出された。もう一つは依然としてジェレネディエの頭上だ。
四つの氷の粒は不規則な軌道を描きながら、まず二つの粒だけが光壁に激突、賑やかな音色を奏でながら、双方の表層が剥がれ落ちていく。
「どうして、氷の粒が」
レアラの疑問はジェレネディエの言葉で即座に打ち消される。
「大聖女レアラ、今度も、と思ったんだろうけど、反射の魔術は二度と通用しないよ。僕はね、一度見た魔術だったら即時対応できるんだ。反射はかなり難易度が高いからさ。少しばかり驚かされたよ」
レアラは右脚を後ろに引いて身体を支えながら、両手を精一杯突き出して光壁に注ぐ聖魔力を最大化していく。
それでも二つの氷の粒を溶かすには至っていない。レアラの顔には焦りの色が見え隠れしている。
「このままではだめです。次の攻撃に備えられません。かくなるうえは」
危険を承知で聖魔力を一気に爆発させるしかない。
滞空していた二つの氷の粒が時間差で襲いかかった。都合四つの氷の粒は、レアラの前面を守る光壁のほぼ四隅を狙って貫こうとしている。
確実にレアラの魔術の弱点を突いた嫌な攻撃方法だった。
「さすがはジェレネディエ様です。わたくしも負けてはいられません」
光壁を形成する聖魔力が、鏡が割れるかのように硬質音を残し、次々に破壊されていく。レアラはさらに光壁に注ぐ聖魔力を強めていく。
「大聖女レアラ、魔力伸展が疎かになっているよ。それじゃあ、変化する二つ目の魔術、さらには僕の頭上にある氷は防げないよ。しかも、これは特別なんだ。とても、とてもね」
ジェレネディエは両手を掲げ、手のひらで氷の粒を包み込んでいる。
「さあ、これでどうかな」
光壁を削り取る四つの氷の粒が、純白から漆黒へと色を変えていく。それにつれて浸食速度も増していく。
レアラの目が一瞬にして恐怖に染まっていった。
「い、いや、来ないで、わたくしの身体が」
聖なる光壁に注いでいた魔力が途端に大きく揺らぎ、歪になっていく。魔力伸展も四隅に到達する前に途切れてしまっている。
≪モティエルナ、急ぐんだ。もたもたしていると取り返しがつかなくなる。これは予想外に酷いよ≫
ジェレネディエはここにきて初めて判断に迷いが生じていた。
頭上にある氷の粒はある意味で、レアラに止めを刺すものだ。放つ前に、魔術ではないただの漆黒の色がここまで影響を及ぼすとは想像できていなかった。
「大聖女レアラ、ここで終わるのか、それとも守りきるのか。君の背後にはモティエルナがいるんだ。光壁が崩壊した瞬間、君もモティエルナも、死ぬことになるよ。それでもいいのかい」
レアラはたまらず息を大きく呑み込んだ。