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017話 大聖女、感情を持て余す

 レアラの華奢な身体を抱き止めたモティエルナが心配そうに上から覗き込んでいる。



「ジェレネディエ様、これでよかったのでしょうか」



 首を横に振ったジェレネディエは、さらに大袈裟に両手を広げてみせた。



「それを判断するのは僕たちじゃないよ。主様には主様のお考えがあってのことでしょ。それよりも、大聖女レアラの容体はどうなのかな」



 言葉を発しながら、ジェレネディエがゆっくりと近づいてくる。


 レアラの顔をひと目見るなり、ジェレネディエは笑い出してしまった。



「ほんとに楽しませてくれるよね。モティエルナ、見てみなよ。この悔しそうな顔をさ。どこまでも負けず嫌いなんだよね。時間さえ許せば、この僕が直々に魔術の手ほどきをしてあげるのになあ」



 レアラの柔らかな頬を指で何度もつつきながら、まるで愛玩動物を見るような優しい目を注いでいる。



「ジェレネディエ様、なんだか楽しそうですね。このようなジェレネディエ様を見るのは初めてです。レアラ、本当に不思議な娘ですよね」



 なおもレアラの頬をつつきつつ、ジェレネディエは不機嫌そうな顔をモティエルナに向けた。



「まったくさあ、いつものことだけど、君はひと言多いよね。まあ、でも確かに君の言うとおりだよ。主様がこの娘を気に入られるのも分かるような気がするよ。ほんの少しばかりだけどね」



 ジェレネディエの指を掴み取ろうと、無意識下でレアラが手を伸ばしてくる。



「うーん、くすぐったいです。リニエルティ、いつも、いつもあなたは、どうしてわたくしの」



 思わずジェレネディエとモティエルナが顔を見合わせ、それからさぞ愉快そうに吹き出していた。



「リニエルティ、確かレアラが救った四人の聖女の一人です」



 ジェレネディエは黙って頷くだけだ。



「モティエルナ、大聖女レアラを頼んだよ。僕はひと足先に戻って、主様にご報告しないといけないしね。予想以上に時間がかかってしまったからね。さぞかし気を揉んでいるだろうし、これ以上引き伸ばすと、こっぴどく叱られちゃうよ。君も急ぐんだよ」



 モティエルナは一瞬きょとんとした顔になり、意識を失ったまま寝言を零しているレアラに再び視線を落とした。



「大聖女レアラを目覚めさせてから連れてくるんだよ。それまでは、なんとか僕が時間稼ぎをしておくから。それじゃあ、くれぐれも頼んだよ」



 ジェレネディエは告げるだけ告げて、即座に転移でこの場を離れていった。


 レアラを抱えたまま、一人取り残されたモティエルナが途方に暮れている。



「ええ、ちょっと待ってくださいよ。ジェレネディエ様ったら、また無茶ぶりして行ってしまうんだから。私、レアラの面倒なんて見られないよ。どうしたらいいんだろ」



 困り果ててているモティエルナの傍で、突如レアラの右手が激しく、鋭く動く。モティエルナの手を確実に捉え、強く握りしめる。



「レアラ、意識が戻った、というわけじゃないよね。気持ちよさそうに眠っちゃってるしなあ。ちょっと、レアラ、そんなに強く握られたら痛いんだけど」



 モティエルナの言葉など全く届いていないとばかりに、レアラはなおも握る手に力をこめる。



「ようやく捕まえました。リニエルティ、今度という今度はもう許しません。覚悟しないさい」



 モティエルナははたと思い出していた。上司の命令を受けて何度か人界に潜入した際、学んだことの一つだった。



「いいことを思い出したよ。今こそ試す時だよね」



 ひと際甘い誘惑の声を上から落とす。



「眠り姫は王子様の口づけで目を覚ますんだよね。レアラのその柔らかな可愛い唇、私の唇で塞いじゃおうかなあ。早く目覚めないと奪っちゃうぞ」



 モティエルナは唇をじれったいほどにゆっくりとレアラに近づけていく。手を強く握られようがお構いなしだ。


 あと僅かでレアラの唇に触れる。同時に握られたモティエルナの手から急激に力が抜けていく。


 大きな破裂音が響き渡る。


 レアラの両手のひらがモティエルナの頬をしっかり挟み込んでいた。



「モティエルナ、あなた、いったいなにをしようとしていたのでしょう。まさか、とは思いますが、その、わたくしに、ですね」



 口ごもるレアラがたまらなく可愛い。


 近づけていた顔を離し、モティエルナは満面の笑みを浮かべながら問い返す。



「あれえ、レアラはいったいなにを想像しているのかなあ。まさかとは思うけど」



 頬を真っ赤に染めたレアラが抗議の目を向けてきている。



「それとも、私と口づけしたかったかな。ほら、もう少しで触れ合うところだったでしょ」



 動揺しながらもレアラは否定の言葉を口にした。



「ば、ばかなことを言わないでください。そんな、口づけだなんて、はしたないです。わたくしもモティエルナも女同士なのですよ」



 モティエルナは小首を傾げ、少しばかり思案してから首を横に振った。



「レアラ、女同士だから、なんて理由にならないよ。お互いに好き合っているなら問題ないでしょ。それに今の私はこのような姿をしているけど、冥界ではね、冥王様を除けば、性差って存在しないも同然なんだ。そこが人界と決定的に違うところかな」



 モティエルナの思いもよらない言葉を聞いて、レアラは思考が止まってしまった。



「レアラ、ねえ、レアラったら、表情が固まってしまってるよ。私の説明に衝撃を受けたのかな」



 ようやく我に返ったレアラがひと言、ひと言噛みしめるように絞り出す。



「そ、そうですね。モティエルナ、わたくしは固定観念に囚われすぎていたようです。まさに聖女としての教育がそうでしたから」



 モティエルナはレアラが生きる人界の常識がどういったものかを知らない。冥界とは違う、という認識しか持たないモティエルナには答えようがなかった。



「レアラ、それよりも一人で立てるかな。冥王様が玉座の間でお待ちなんだ。急ぎ向かわないと」



 今度はレアラが小首を可愛らしく傾げている。



「わたくしは大丈夫です。冥王様をお待たせしてはいけません。モティエルナ、わたくしに構わず、すぐに行ってください」



 唖然とした表情でモティエルナは大きなため息をついた。



「あのね、私じゃないの。主役はね」



 そう言って、モティエルナは人差し指でレアラの額を優しく突いた。



「えっ、わたくし、ですか。そんなはずはありません。冥王様はわたくしを元気づけるため、あえてあのような発言をなされた。それだけなのです」



 レアラは自分で口にしながらも、これまでに持ったことのない感情に戸惑い、苦しくなっていた。


 針で刺されたかのような微かな痛みが走る。レアラは思わず胸を押さえていた。



「今のレアラには、すぐには難しいだろうけどさ、向けられる感情が、心からの悪意なのか好意なのか、きっと分かると思うよ。だって、レアラは大聖女である前に、一人の女の子なんだからね」



 モティエルナの言葉に思い切り頭を殴られた気分だった。


 孤児だったレアラにとって、これまでの聖女としての暮らしが全てだった。聖女としての務めを果たすことだけを考えて生きてきた。



「わたくしが、一人の女の子、ですか」



 軽快な音が鳴った。モティエルナがレアラのお尻を叩いていた。



「モ、モティエルナ、いきなりなにをするのですか」



 レアラが慌てて叩かれたお尻を恥ずかしげに押さえている。



「あははは、レアラって、ほんと面白いよね。お尻百叩きの刑だったかな。うん、どこからどう見ても、レアラはただの女の子だよ。可愛い女の子なんだよ」


「も、もう、なにを言っているのですか」



 顔を真っ赤に染めたレアラがモティエルナをぽかぽか叩いている。



「そろそろジェレネディエ様のご説明が終わった頃かな。じゃあ、可愛いレアラ、私が案内するから」



 レアラをぎゅっと抱きしめてモティエルナはひと言だけ唱えた。



 次の瞬間、二人の姿は貴賓室から消え失せていた。

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