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020話 大聖女、無知を知る

 充満した凍気の渦によって、レアラがどうなってしまったのか全く視認できない。



「ふん、他愛もなかったの。もう少しやってくれるかと期待しておったが、いささか拍子抜けじゃ。大聖女とはいえ、所詮は人界の小娘にすぎなんだかの」


 嘲笑するウィントゥーラに反論の声があがった。



「なにを見ているのだ。大聖女は全くの無傷だぞ」



 眠たそうな半開きの目ながら、その奥には妖しく光るものが見える。


 四天王の一人、ナーサレアロだった。


 レアラを迎える冥王の命令を受け、彼もまた人化している。


 高身長で、右目に片眼鏡を着用した、紳士然とした彼はウィントゥーラを見た後、さらに横に立つものに視線を動かす。



「ウィントゥーラが手を抜いていないとするなら、いったい誰のせいであろうな」



 視線を向けられた当の本人、ジェレネディエが平然と言ってのける。



「さあ、誰なんだろうね。それよりもさ、そろそろ頃合いなんじゃないかな」




 薄い部分を狙いすまして襲いかかったウィントゥーラの牙は、レアラの光壁を確かに食い破っていた。



「食い破られたのは間違いありません。ですが、それは二層目までです。私は無傷です」



 凍気の渦が静かに晴れていく。


 一か八かの賭けで、咄嗟に魔力層を五重層にしたことが功を奏していた。



「ジェレネディエ様の見様見真似でした」



 安堵の息を静かにつく。


 レアラの無事を知ったモティエルナとタシュラデルが歓喜と安堵の声をあげている。


 光壁に守られたレアラはモティエルナとタシュラデルに頷いてみせ、それからウィントゥーラをはじめとする四天王に視線を向けた。



「あははは、大聖女レアラは相変わらずの負けず嫌いだよね。あの目を見てごらんよ。本当に楽しませてくれるよね」



 手を叩いて喜んでいるジェレネディエと怒りで手を震わせているウィントゥーラ、好対照の四天王二人だ。



「気に入らぬ。気に入らぬわ。あの目はいったいなんじゃ。人界の小娘ごときが、わらわを舐めるのかえ。これしきでわらわの魔術を凌いだとでも思っておるなら大間違いじゃぞ。次は少しばかり本気を見せてくれようぞ」



 ウィントゥーラは敵意剥き出しで、冷酷残忍な切れ長の目をレアラに突き刺す。



「あの方が、ウィントゥーラ様ですね。モティエルナの言ったとおりです。そして、この場において、わたくしは紛れもなく敵なのですね」



 ウィントゥーラの全身から魔力が発散され、玉座の間を満たす凍気を取り込みながら大きく膨れ上がっていく。


 青藍に染まった美しい魔力の束が、まさに次なる牙を剥こうとしたその時だった。



「そこまでだよ、ウィントゥーラ。頃合いだと言ったでしょ。それでもなお、やるというなら、大聖女レアラに代わって、この僕が相手をすることになるよ」



 ジェレネディエは、血気盛んなウィントゥーラの腕を掴んで離さない。


 彼女の周囲に溢れ出した魔力が凶暴性をもって、今にも攻撃したがっている。離すわけにはいかなかった。



「でも、そうはならないんだよね。だってさ、ほら、見なよ」



 苦笑するジェレネディエの視線がどこに向けられているのか、ウィントゥーラも気づかないわけがない。


 冥王が放つ圧が半端ではない。


 ウィントゥーラの昂っていた暴力性が一瞬にして冷めていく。



「僕とやる前に、間違いなく君が消滅していたよね。そんなことになれば、四天王として僕も淋しいからね。君の理解が早くてよかったよ」



 ウィントゥーラが憎しみのこもった目で睨み付けてくる。


 ジェレネディエは軽く受け流し、光壁の中で様子を窺っているレアラに視線を転じた。



「早々にわらわの腕を離すのじゃ。全く非力に見えて、馬鹿力で握りおってからに。それに主の講釈など、心底聞きとうないわ。すっかり興醒めじゃ。ああ、やめじゃ、やめじゃ」



 ジェレネディエはようやく掴んでいた腕を離し、不貞腐れてしまったウィントゥーラを解放した。


 わざとらしく握られた部分をさすっているウィントゥーラは、渋々ながらレアラに視線を傾ける。



「ふん、少しはやるようじゃが。わらわはまだ認めたわけではないからの」



 レアラはそっぽを向いたウィントゥーラを用心深く観察しながら、もう安心とばかりに光壁を解除した後、礼を尽くすべく頭を下げた。


 その姿をウィントゥーラ以外の三人が見つめている。



「大聖女レアラ様、お見事でございました」



 嬉しそうにしているタシュラデルはどうやら平気のようだった。レアラは気になっていることを尋ねる。



「タシュラデルさんは、わたくしの聖魔術を至近距離で感じて、影響はないのでしょうか。冥王様でさえ苦しまれていたような気がするのです。それなら、とても申し訳ないのです」



 タシュラデルは言葉に詰まった。明らかに目が泳いでいる。彼の視線が姉のモティエルナに行っているのをレアラは見逃さなかった。



「レアラ、冥界に生きるものにとって、聖魔術は真逆に位置する力と言ってもいいわ。私の言っている意味、わかるわよね」



 レアラは小さく首を縦に振る。



「レアラが目覚めた時、尋常じゃない聖魔力の奔流が冥界を満たしていったわ。実のところ、あの影響でね、相応の力を持つものまでが倒れてしまったの。レアラのすぐ傍に冥王様がおられたからこそ、その程度で済んだのよ」



 モティエルナの説明にレアラは顔面蒼白になっている。


 つい先ほどまで、ジェレネディエを相手に、レアラは聖魔術を何度も行使した。玉座の間でも、ウィントゥーラを相手に同じことをしている。



「正直に言うわね。レアラは友達だから。聖魔術はとても素晴らしい力だと思うわ。でもね、冥王様や四天王の方々を除けば、冥界のものにとっては毒にも等しい」



 レアラが衝撃を受けることを承知のうえでモティエルナは口にしている。



「姉さん、そんな言い方しなくてもいいだろ。大聖女レアラ様は、俺たちを傷つけようと思って」



 タシュラデルの言葉を遮ったのはモティエルナではなくレアラ本人だった。



「タシュラデルさん、よいのです。わたくしが聖魔術を使った結果、多くの冥界の方々が傷ついてしまったことは疑いようのない事実です。お詫びのしようもありません。無知ほど恐ろしいものはありませんね」



 モティエルナもタシュラデルも沈黙するしかない。


 レアラは玉座の主たる冥王に対して、今度は深々と頭を下げた。

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