もともと口数が極端に少ないメネテロワだ。貝のように口を閉ざしたまま、三人の聖女に縋るような目を向けている。
三人とも助けてやりたいのはやまやまながら、ジェレネディエの魔力圧がそれを許さない。
助け船は思わぬところから来た。
「やめぬか、ジェレネディエ。そこな小娘、恐怖に縛られておろうが。ナーサレアロに言われなんだか。汝は垂れ流しておるつもりじゃろうが、そもそもの魔力圧が強すぎるのじゃ」
小首を傾げながらも、ジェレネディエは両肩に置いた手から意識して少しばかりの魔力を抜き取った。
「メネテロワ、これでどうかな。うん、僕もまだまだだなあ。ほんと、魔術ってさ、奥が深いよね。ウィントゥーラも、ありがとね」
大きく息をつくメネテロワ、ふんとそっぼを向くウィントゥーラ、二人に共通しているのは安堵感だった。
「私が先頭、魔術偽装を素早く見抜けるから。私が一番巧み、大聖女様もお認め」
ようやくのこと、メネテロワは訥々と言葉を零していく。
「そうだね。君だけが幻惑魔術に気づき、偽装を打ち破ろうと魔術を行使した。いい度胸してるよね。僕たち四天王がいるにもかかわらず、躊躇わなかったからね」
ジェレネディエは説明しながら、何度となくメネテロワの頭を撫でている。
三人の聖女には、その仕草が頑張った子供を褒めているようにも思えた。
「ごめんなさい。なにかしら悪意があるのかと思った。でも、破れなかった。悔しい」
メネテロワは素直に頭を下げながらも、小さな手をきゅっと握りしめている。
「あははは、君、やっぱりいいね。その気持ちが大事なんだよ」
メネテロワはジェレネディエに頭をぽんぽんとされるがまま、手を払い除けようとはしていない。
「本当に珍しいですね。普段から他者に触れられることをきらうメネテロワですのに。ジェレネディエ様は不思議な御方です」
呟いたカタランにジェレネディエが「そうなの」と尋ねている。
「僕だってさ、普段はここまでしないよ。この娘からは特徴的な匂いがするんだよね。それが僕を惹きつけたのかもね」
メネテロワが慌てて自分の匂いを嗅いでいる。
「えっ、えっ、私、匂う、匂うの」
腕や胸部の衣類を引っ張ったり、うなじが透けて見える程度の短い髪をかきあげたりしつつも、自分では自分の匂いに気づかないものだ。
「君さ、人界で生き物飼ってるでしょ。それもかなりの数だよね。君の身体に染みついてるからね。僕にはすぐにわかったよ。だってさ、ほら」
先ほどの魔術転移時と同様、メネテロワの背後に立っていたジェレネディエの姿が一瞬にして消えた。
三人の聖女は驚愕の表情を浮かべ、メネテロワは両肩に乗っていた重みが急になくなったことで咄嗟に振り返っていた。
「ジェレネディエ様」
メネテロワが声を上げると同時、今度は綺麗にそろえた膝の上、そこに重さを感じ取った。遅れて視線が戻る。
「やあ、メネテロワ、はじめまして。この姿で君と会うのは初めてだからね」
声は紛れもなくジェレネディエだった。言葉を続けようとした矢先だ。
「きゃあああああああ」
メネテロワのすさまじいまでの絶叫が玉座の間に響き渡った。
「にゃんこさん、にゃんこさん、にゃんこさん、もっふもっふ、毛並み最高、もっふもふ、ああ、なんて愛らしいのでしょう」
三人の聖女が微笑ましく鼻歌交じりのメネテロワを見つめつつ、一方でやっちゃったなあ、これはご愁傷様といった表情でジェレネディエを憐れんでいる。
そう、何を隠そう、メネテロワは猫を目の前にした時だけ豹変する。極端に口数が少ない彼女が唯一饒舌になる瞬間だ。
いきなり膝から抱き上げて、顔を擦りつけながら悶絶寸前だ。恍惚とした表情でメネテロワはひたすら猫愛を大声で叫び続けている。
「ちょっと、ちょっと、こら、メネテロワ、待ちなってば。って、全然聞いてないよ。この娘、めちゃくちゃ怖いんだけど。ほら、君たちもそんな顔で見てないで、この娘、なんとかしてよ」
三人の聖女に助けを求めるも、そろって首を横に振る。
「ジェレネディエ様、そのお姿になったのが運の尽きとでも申しましょうか。こうなっては、メネテロワの気が済むまで誰も止められません。唯一、大聖女様を除いてですが。聖女の庭園フィレニエムでも語り草になっているほどなのですよ」
必死にメネテロワの手から逃れようと抵抗を試みるものの、メネテロワは決して離すまいと、力いっぱいに抱きしめている。
「あっ、こら、メネテロワ、ここで拘束の魔術を行使するなんて卑怯だぞ。ぎゃあ、そんなところを舐めるんじゃない。ぎゃああ、やめろおおお」
ジェレネディエの悲鳴が轟く中、なぜこのようなことになっているのか、皆目理解できていない冥王が玉座で頭を抱えている。
「め、冥王様、誠に申し訳ございません。わたくしが行って、今すぐにメネテロワを止めてきます」
なおも居心地悪そうに座っているレアラが立ち上がろうとしたところへ、冥王が制止の声をかける。
「いや、それには及ばぬ。及ばぬが、あの娘はいつもああなのか」
視線だけをレアラに注ぐ冥王の口から、幾度となくため息が漏れ聞こえてくる。
「メネテロワは人嫌いである一方、大の猫好きなのです。聖女の庭園フィレニエムでも、あの娘だけが数十匹の猫を飼っていて、猫と一緒にいる時だけあのようなことに」
猫姿のジェレネディエに頬ずりして、目がハートマーク状態のメネテロワを指差しながら、レアラは心配そうに冥王を見つめた。
「あの、冥王様、わたくしごときが僭越ではありますが、その、大丈夫なのでしょうか。さぞお疲れのようにお見受けいたします」
冥界の摂理を知らないレアラにしてみれば、苦しそうに見える冥王を間近にすれば、妥当な判断だ。
「余は問題ない。それよりも、そなたこそ」
冥王の言葉を邪魔するようにジェレネディエの悲鳴がなおも響いてくる。
「全く余の四天王にも困ったものだ。再び人化させるしかあるまいな」
立ち上がろうとする冥王をレアラが制する。
「冥王様、ここはぜひともわたくしにお任せください」
自信満々で立ち上がったレアラは、大きく息を吸い込んでから一喝した。
「メネテロワ、めっ、ですよ」
メネテロワの動きが見事なまでにぴたりと止まった。
「ここは聖女の庭園フィレニエムではありません。ジェレネディエ様をすぐに解放なさい。拒むのでしたら、今ここで、お尻百叩きの刑です。それでも構わないのですか」
レアラの言葉を最後まで聞くまでもなく、メネテロワは信じられないほど迅速に行動した。
「はい、大聖女様、終わりました」
ジェレネディエはメネテロワの膝の上でぐったりしている。メネテロワは触りたいのを必死に堪えている。
「よろしいです。これより冥王様が大事なお話をされます。あなたたちもしっかり聞くように。それから、メネテロワ、両手は膝の上に置いても構いませんが、決してジェレネディエ様に触れてはなりません。守れなかった時は、わかりますね」
笑みを浮かべながらも、レアラの顔は笑っていない。メネテロワはぶんぶんと首を縦に振っている。
レアラは振り返り、今度は正真正銘の笑顔を冥王に向けた。