再び真剣な顔つきに戻った冥王が説明を続ける。
「さて、聖女たちよ。魔界の者どもは用意周到、狡猾に準備を進め、聖女の庭園フィレニエムの核でもある庭園主を標的とした。本来ならば大聖女を落としてこそであろう。先代大聖女は余の妻には及ばぬものの、相応の力を有しており、奴らも迂闊に手出しできなかった」
真っ先に頷いたのは、この中で誰よりもアスフィリエ庭園主を知るシスメイラだ。
「庭園主は、聖女の庭園フィレニエムの頭脳であり、経営者でもあります。聖女としての基礎訓練は受けていますが、大聖女様や私たちと異なり、力量差は明白です」
話をしながらも、シスメイラの顔は苦痛に歪んでいる。
「シスメイラ、わたくしたちは井の中の蛙だったのでしょう。あの裏側で魔界の侵攻が進んでいるなど、想像もできていませんでした」
下手な反論はシスメイラを傷つけるだけだ。レアラは慰めの言葉を呑み込んだ。
「魔界の奴らにとって、人界への侵攻は長年の野望だったのじゃ。九柱の掟があろうとも、あ奴らは念入りに計画を立て、機会を窺っておったのじゃろう。ふん、小賢しい奴もいたものよの」
ウィントゥーラが忌々しげに吐き捨てる。
「わらわは人界以上に魔界がきらいじゃ。そなたら小娘がどうなろうと知ったことではないがの、奴らをのさばらせておくなど心底我慢ならんわ」
気性が激しいウィントゥーラらしい物言いだった。
「冥王様、九柱の存在はわたくしでも知っておりますが、ウィントゥーラ様が仰った九柱の掟とは、どのようなものなのでしょうか」
レアラが問うてくれたことがよほど嬉しいのか、冥王は顔を綻ばせて答える。
「そなたたちは恐らく知るまいな。この世界は九界から成り立っておる。各界を統べる者を柱と呼ぶが、九柱間では相互不可侵、相互不介入が絶対的な掟として定められておる」
途端に四人の聖女が顔を見合わせている。
不思議に思って当然だ。今回の一件は明らかに掟破りではないか。
「そなたたちの疑問は理解できる。相互不可侵、相互不介入が絶対的な掟にもかかわらず、なにゆえに魔界は人界へ侵攻しているのか。簡単なことだ。人界は九界に含まれていないからだ」
四人の聖女は一斉にきょとんとした表情を浮かべ、その後にそろって悲鳴にも似た声を上げた。
「静まりなさい。冥王様のお話を妨げてはなりません」
凛としたレアラの声が響く。大聖女としての貫禄だった。その言葉で四人はすぐさま沈黙に移った。
「冥王様、申し訳ございません。お話が終わられましたら、彼女たちに質問の機会を与えていただけますと幸いです」
冥王は承知したとばかりに頷き、レアラに「済まぬな。そなたに気を遣わせてしまった」と言葉をかけた。
「九界において、異界との全面戦争に至ったことは過去一度たりともない。矛先は全て人界へと向けられているのだ。人界には別称があり、物質界とも呼ばれる。その存在意義は余にもわからぬ。正しく答えられるのは二美神のみであろう」
冥王によると、二美神とは世界を創造した絶対神であり、九柱もまた彼らによって生み出されたという。
「人界に生きるそなたたちからすれば、理不尽極まりないであろう。世界の理だと神が言ったところで納得できぬであろう。だが、現実問題として、魔界による人界侵攻はまさに進行中だ」
冥王は最初にレアラを、次いで四人の聖女を、最後に四天王を見回し、宣言した。
「食い止めねばならぬ。奴らはやりすぎた。余の妻を傷つけたのだからな。この報いは必ず受けさせねばならぬ。四天王よ、余の力となれ」
四天王ロシュクヴール、ジェレネディエ、ウィントゥーラ、ナーサレアロが興奮冷めやらぬ表情で大きく頷き、冥王の声を、許可を待つ。
「四天王よ、余が許す。聖女たちの前で真なる姿を示すがよい」
人化した四人それぞれから凄まじい凍気と冷気が溢れ出し、玉座の間を満たしていく。
「ああ、なんと美しいのでしょう。冥王様、四天王の皆様はそれぞれ纏っている魔力の色が違っているのですね」
レアラだけが魔力を色として認識できる。極めて特異なその能力を冥王は知っている。
「そうだ。そなたの瞳に宿る力がそれを可能としておる」
四色の魔力が宙で弾け、それぞれが冥界の在るべき姿へと戻っていく。
「聖女たちよ、紹介しよう。ジェレネディエだけは独断で人化を解いてしまったがな。それは不問としておこう」
ここにきて、ようやく四人の聖女にも四天王が纏う魔力の色が視認できるようになっていた。
全身から溢れ出し、美しい四色の輝きを四方に発散している。
「赤金の魔力を纏いし冥焔狗ナーサレアロ」
人化時の紳士然とした姿とは打って変わって、数人を乗せられるほどの大きな赤金の狗となり、全身に焔を纏っている。冥界では極めて稀な焔の使い手でもあった。
四人の聖女たちは、メネテロワを筆頭になにかと想像しい。
「ナーサレアロ様が、わんこさんに。これはもう私のためにあるようなものです。誰にも渡しませんよ」
わんこ溺愛娘リニエルティの目の色が変わっている。
三人の聖女を見回すその目は、まさしく猫を見るメネテロワと瓜二つだった。
冥王もレアラも、見なかったことにする。
「紫翠の魔力を纏いし冥嵐蛇ウィントゥーラ」
全身を包み隠す紫翠の氷渦がゆっくりと剥がれ落ちていく。
上半身は人化時以上に妖艶な美女、下半身はその名のとおり蛇の姿でとぐろを巻いている。吊り上がった切れ長の瞳が四人の聖女に注がれている。
そのうちの一人、カタランは目が合うなりいきなり跪くと、両手を胸の前で重ねて祈りを捧げ始めた。
さすがのウィントゥーラも唐突すぎる行動に驚きを禁じ得ない。
「な、なにごとじゃ。あの娘は、なにをしておるのじゃ」
聖女たちは、とりわけレアラは熟知している。だから先ほどと同様、見て見ぬふりだ。
冥王と他の四天王はそうはいかない。
「レアラよ、そなたに付き従う聖女たちは皆ああなのか。これでは余の悩み事が増える一方ではないか」
レアラがなんとも申し訳なさそうに頭を下げながら、それでも嬉しそうに答える。
「冥王様、なんと申してよいかわかりませんが、わたくしからすれば、冥王様の心優しいご采配かと思えるほどなのです。彼女たちにとって、四天王の皆様のお姿はまさしく」
レアラの言葉を引き取って、四人の聖女が声をそろえて勢いよく答える。
「まさしく、神そのものなのです」
冥王が盛大にため息をつきつつ、疲れ切った表情がなんとも印象的だった。