「あの、冥王様、わたくしは、その、冥王様の妻、なのでしょうか」
レアラの呟きに玉座の間の全てが一瞬にして凍りつく。
四人の聖女たちは、そろいもそろって口を覆っている。その顔にはっきりと書いてある。なにを今さら、と。
決して冗談ではない。レアラは至って真剣だった。冥王もレアラの表情から察している。
「ならば、余からも改めて問おう。レアラよ、そなたは余の妻になることを拒むか。余はそなたの意思を確かめておらぬ。余が一方的に宣言しているに過ぎない。そなたには拒む権利がある。そうしたいというのであれば、余は尊重しよう」
冥王の表情に一抹の寂しさがよぎったのをレアラは見逃さなかった。
レアラは思い出している。十歳で初めて出会ったあの時のことを。
覗き込んだ金色の瞳の奥に、なにが潜んでいたのか。
「孤独」
あの時と全く同じだ。思わず言葉が零れ落ちていた。
レアラは即座に両手で口を押えるなり、冥王に深々と頭を下げる。
「も、申し訳ございません。わたくし、また、やってしまいました」
冥王の手がレアラの頬に優しく触れる。
「構わぬ。そのとおりなのだからな。そなたが気に病む必要はない。だが、今はここまでだ」
冥王はレアラから離れると、四人の聖女の方に身体を向けた。
「まずは四人の聖女たちよ、そなたたちの意志、しかと受け取めた。余の四天王とともに行動してもらうがゆえ、十分に意思疎通を図ってもらいたい」
四人の聖女たちそれぞれが頷くのを待って、さらに言葉を紡ぐ。
「彼女たちは余の妻の頼れる仲間たちだ。余の四天王よ、おまえたちには相応の態度を持って接することを願う」
冥王と四天王との間の意思疎通は明確な言質と決まっている。
「御意」
ナーサレアロは一も二もなく即答だ。
「もちろんだよ。メネテロワへの魔術指導は厳しくするけどね。それ以外はちょっと、まあいろいろとあるかもね」
含みを持たせた言葉はジェレネディエらしい。
「主殿、心配無用じゃよ。カタランはわらわが恩寵を与えし者、いわば眷属のようなものじゃ」
突っ込みどころ満載の言葉に、ジェレネディエとナーサレアロがすかさず視線を向けるも、ウィントゥーラは平然と受け流している。
「我が主、無論でございます。四天王筆頭としてお約束いたします」
四天王それぞれの言葉に満足した冥王が大きく頷き、この場の散会を厳かに告げた。
四天王と四人の聖女が連れ立って玉座の間を後にする。
彼らの間に主従関係はないものの、各々の行動は三者三様ならぬ四者四様だ。その様子を最後まで居残る冥王とレアラが興味深く眺めている。
ようやく玉座の間に静けさが戻ったところで、おもむろに冥王は口を開いた。
「レアラよ、待たせたな。これでそなたとゆっくり話ができる。先ほどの続きも含めてな。では、参ろうか」
レアラは可愛らしく小首を傾げ、小声で尋ねる。
「あ、あの、冥王様、どちらに」
冥王の美しい金色の瞳に自分自身が映っている。レアラは意識ごと吸い込まれそうになりながらも、なんとか耐えきった。
「冥王様、魔術をお使いになっているのでしょうか」
静かに首を横に振って否定する。
「魔術ではない。余も、余の四天王も冥眼を持つ。冥眼には様々な力が秘められているが、そなたは知らぬ方がよかろう」
それ以上、踏み込んではいけない。レアラは直感で悟ると、素直に引き下がった。
冥王がすっと右手を差し出してくる。レアラは無意識下で手を重ねていた。
直後に感じる無重力感、レアラは羽のごとく冥王によってお姫様抱っこされていた。
「め、冥王様、恥ずかしいです」
消え入るような声で抗議してくるレアラがなんとも愛らしく、冥王の頬は緩んだままだ。
「ここにいるのは余とそなただけだ。恥ずかしがることなど、なにもないではないか」
笑みを浮かべた冥王が、頬を赤く染めるレアラを見つめた。
「そなたがいやと申すなら、下ろすのもやぶさかではないが。どうする」
レアラは赤く染めた頬を膨らませて、再び抗議の声をあげた。
「やはり、冥王様は意地悪です。この状況で、九柱の一柱でもあり、冥界を統べる御方に逆らうなど、到底無理ではございませんか」
レアラの真っすぐな気持ちを前に、冥王の表情がたちまち曇る。それを見逃すレアラではない。
「申し訳ございません。随分と偉そうなことを言ってしまいました。お気を悪くされたのならお詫びいたします」
冥王の腕の中で頭を下げようとするレアラに、首を横に振ってみせる。
「確かに余の立場はそなたの申したとおりだ。だが、そなたの前では一人の男として、対等でいたい。それを望むのは、余には許されぬことであろうか」
レアラはようやく気付いた。
あの時、金色の瞳の中に見出した孤独、それこそが冥王にここまで言わせる根源であることにだ。
「冥王様、わたくしのような者でよろしいのでしょうか。わたくしは人界の一介の女にすぎません。大聖女などという肩書はあれど、冥王様に比べれば」
「レアラよ、皆まで言う必要はない。余はそなたと初めて出会ったあの時、そなたの無邪気さや優しさに触れ、そして確信したのだ。余が妻に迎えるべきは、そなたしかおらぬと」
正直なところ、レアラはどう答えていいのか全くわからなかった。
ひどく混乱してしまっている。いろいろな感情に振り回されて、なにもまとまらない。
ただただ、死んだ魚のように口をぱくぱくとさせるだけだった。
「そなたの混乱ぶりもわかる。だからこそ、互いにゆっくりと話す時間が必要なのだ」
苦笑を浮かべる冥王を見上げ、レアラは先ほど以上に頬を赤く染めながらも、なんとか小さく頷く。
「ようやくだな。では、参ろうか。余の寝室へ」
なんとも素っ頓狂な声がレアラの口から漏れたのは言うまでもない。