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第2話 花音との再会

花音の枯れた声に振り向いたぼくは、花音の頭のてっぺんから足の先まで、一瞬にして見た。小学生の頃と変わらない丸い顔が、紺色のスカートスーツの上にある。キャッシングローンのティッシュが入ったカゴを持ち、少し恥ずかしそうに口を開いた。


「似合ってないでしょ」


「そんなことない」その一言が出てこなかった。ぼくは花音の黒いパンプスを見たまま、口籠った。


「本当は大学行ってたはずだったんだけどね、わたし、親とうまくいかなくて、家、飛び出しちゃったんだよね」

「そうだったんだ」

「うん」


ぼくたちの間に、涼しい風が吹いた。


「でも、よくぼくだって気づいたね」

「うん。だって、うつむいた横顔、見慣れてたから」

「そっか」

「恵斗、全然変わってないね」

「自分ではわからないけど」

「変わってない」


僕たちの間に、また風が吹く。

僕たちは黙ったまま、交差点で立ち尽くしていた。車の行き交う音が耳についた。

重い口を開いたのは、花音だった。


「まだ、見つからないんだってね」

「え?」


ぼくは顔を上げる。


「優一」

「あ、うん……」

「わたしこうやってティッシュ配りながら、通り過ぎる人の中にいるんじゃないかって、気づいたら探しちゃってる。優一のことだから、きっとメガネかけてるかなとか、相変わらずシャツはインしてるのかなとか思ったりして。でもさ、思い出すのは子供の頃の優一の姿なんだよね」

「うん……」


ぼくの中でも同じだ。優一は、10歳のままの姿だ。切り揃えた前髪にメガネ、ボタンダウンのシャツをズボンの中に入れ、茶色いベルトを締めている。それがぼくの見た優一の最後の姿だから。


「もうすぐ10年だって。早いよね」

「うん」

「望みだけは捨てないでいるんだ、わたし」

「ぼくもだよ。優一はどこかで生きてる、そう信じてる」


ぼくは声を絞り出した。

優一の話をしたのも久しぶりのことだ。家でももう、その話は出なくなった。忘れたわけではない。思い出すのもつらければ、思い出せるものが少なくなってきていることもまた、つらかったからだ。


「話すの嫌?」


花音がぼくの顔を覗き込む。


「そんなことないよ」


きっと花音もつらい。ぼくにはわかる。

優一が姿を消した夜、最後にその姿を見たのは、ぼくとぼくの父親、そして花音だったからだ。


「わたし、この街出ようと思ったんだよ? でも、離れられなかった」


花音は低い声でそう言った。

ぼくも同じだ。出ようと思えば、大学へ進学する時に出られたはずだ。でもこの街に、起き忘れた過去がある。その事実が重くのしかかって動けなかった。


「ねえ、わたしさ、これ配り終わらないと帰れないからさ、夜、また会えないかな。話したいことがたくさん、たくさん溜まってるんだよね」

「ぼくもだ」


ぼくは間髪入れずにそう答えた。


「あ、でも居酒屋のバイトが終わるの遅いんだ。明日、空いてない?」

「明日、夜の7時なら」

「うん。7時、7時に会おう」


そうして僕たちはLINEを交換した。花音からのひとこと目はこうだった。


(会えて嬉しかった)


ぼくは迷わず返した。


(ぼくもだよ)


そしてぼくはバイト先へと向かい歩き始めた。背後からまたあの威勢のいい声が聞こえてきた。


「よろしくお願いします」


ぼくは少し歩いて振り返る。花音の姿は小さくなって、紺色の影に変わっていた。


時間が経ち過ぎた気がする。僕たちだけが大人になり、優一のことを置き去りにした気分だ。だけど毎日は流れていく。一日一日が過ぎて過去になっていく。それがこんなに苦しいことだなんて、子供の頃は考えもしなかった。

優一のことを、また語りたい。語らなければならない。そう思った。


ぼくはバイトへ行く前に、スマホのカレンダーに予定を書き込んだ。


(花音と会う)


その一文が、とてつもなく大きな未来に思えた。






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