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第17話 海辺の街へ

ぼくは冷たい優一の体を抱きしめながら、覚悟を決めた。多分、優一は死んでいる。ぼくはなんとしても、優一の死体を見つけてやらなければならない。


「優一、花音と一緒に、君のお母さんに会いに行く」

「母さんに?」

「住所だけはわかってるからさ」

「そっか。母さんか」

「懐かしいかい?」

「ううん。今朝会ったもん」

「そっか」

「あったら伝えたいことはある?」

「ぼくはねえ、うーん……」


そのまま優一はしばらく固まる。


「そうだな。こんなぼくでごめんなさいってことかな」

「どうしてそんなこと思うんだ?」

「ぼくはね、父さんと同じように医者になることが決まってたんだよ。だから本当は、幼稚園から有名な私学に行くはずだったんだけど、ぼく試験に落ちちゃって。小学校の受験にも失敗したんだ。本番に弱いやつっているだろう? それ、ぼくのことなんだよ」


ぼくの知る限りでは、一番優秀だった優一。受験に失敗したなんて知らなかった。


「ぼくはきっと医者にはなれない。父さんはぼくを見限ったけど、母さんは諦めてくれないんだよね。家に帰ると、家庭教師だの塾だのが待ってるし、それが終わっても母さんがつきっきりでぼくの勉強を見る。ぼくはもう、頭がおかしくなりそうだよ」


確かに優一の母親はやり過ぎだったと思う。ぼくの誕生日会に来ることだって、渋々だったらしい。


「だからさ、誕生日会楽しくてさ、このまま時が止まればってぼくは思ってた」

「ぼくも思ってた、同じこと」

「でも恵斗は大人になることを選んだ」

「選んだんじゃないよ。時間は止めることなんて出来ないんだよぼくにはさ」


優一は、ぼくのベッドに寝転び、天井を見上げた。


「それでもね、ぼく、母さんに会いたくなったよ」


ぼくにもその気持ちは痛いほどわかる。ぼくは小さい頃に母親を病気で亡くしている。ぼくが覚えているのは、台所に立っていた後ろ姿と、車の後部座席から見た、母親の横顔だけだ。それでもなぜだろう、その後ろ姿に、横顔に、無性に会いたくなることがある。写真では物足りない、命を感じるのだ。


「会わせてやりたい」

「無理しないでいいよ。死体を見つけるだけで十分だから」


優一は優しく笑って見せた。


ぼくらは別れを告げ、ぼくは元の世界へと戻る。さっきまでいた優一の姿は消え、遊んでいたトランプだけが残されていた。


四日後、花音と会った。朝10時に駅で待ち合わせをしたぼくらはまず、地図アプリを開いた。優一の母親の住所を打ち込むと、その街は海辺にある小さな街だと分かった。

所要時間、一時間二十分とある。思ったよりも近くにいるようだ。僕らはさっそく改札を抜け、電車に滑り込んだ。

特急電車は混雑していて、花音がいつもより近くにいる。ぼくは揺れるたびに吊り革を持った右手に力を入れたが、花音の肩とぼくの肩がぶつかり合ってしまう。その度にぼくが謝っていると、


「いちいち謝らなくていいよ。ぶつかってるのはわたしの方なんだから」


花音が少し苛立った声で言った。


「ごめん……」


ぼくはうつむく。花音の白いスニーカーが汚れていた。


四十分ほど特急電車に乗ったあと普通電車に乗り換え、さらに電車を乗り換えた。今度は単線の二両しかない電車だった。

電車は海辺へと入る。開いた窓から風が吹き込んでくる。ぼくたちは向かい合わせに座り、その風と電車に揺られながら、ただ黙って海を見ていた。


「ん、そうだ」


花音が何やらトートバッグの中をゴソゴソとあさっている。きっと中からキャラメルの箱が出てくるに違いないと、ぼくは思った。案の定、出てきたのは黄色いキャラメルの箱で、ぼくは思わず笑ってしまった。


「なによ。なにがおかしいのよ」

「だってキャラメルって」

「キャラメルがなによ」

「だっていっつもそれなんだもん」


花音は口を尖らせて、キャラメルを一粒、ぼくにくれた。


「ありがとう」

「どういたしまして!」


花音とぼくはキャラメルを頬張り、また海を眺めた。

小さな漁船が行き交っている。波は穏やかで、よく晴れた日だった。海面がキラキラと輝いている。ぼくはその眩しさに目を細めた。


その駅を降りると、磯の香りがした。しょっぱくて、少し生臭い、そんな匂いだった。

その街は漁師町らしく、駅からすぐの坂を降りると漁港があり、船がいくつも停められていた。すれ違う人の中にも、よく日に焼けた男たちがいて、長靴を履き、いかにも漁師らしい頑丈そうな手で、挨拶を交わしていた。

駅を出ると一本の通りがあり、商店街とまではいかないが、いくつか店が並んでいた。電気屋、うどん屋、クリーニング店の看板が駅からも見えていた。

ぼくたちは、優一の母親に会う前に、駅前の喫茶店で昼食を取ることにした。


──カランカラン──


タバコの煙がもわっと漂ってきた。今時喫煙のできる喫茶店がまだあったのか。ぼくらはハズレくじを引いたような気分になった。


「いらっしゃい。珍しいね、若いカップルが来るなんて」


髭を生やしたマスターらしき人が、まじまじとぼくたちを見た。


「珍しいでしょ」


花音が得意げに答えた。


(否定しないのか? ぼくたちを「カップル」と呼んだぞ!)


ぼくはびっくりしたが、花音は平然としていた。



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