ぼくは冷たい優一の体を抱きしめながら、覚悟を決めた。多分、優一は死んでいる。ぼくはなんとしても、優一の死体を見つけてやらなければならない。
「優一、花音と一緒に、君のお母さんに会いに行く」
「母さんに?」
「住所だけはわかってるからさ」
「そっか。母さんか」
「懐かしいかい?」
「ううん。今朝会ったもん」
「そっか」
「あったら伝えたいことはある?」
「ぼくはねえ、うーん……」
そのまま優一はしばらく固まる。
「そうだな。こんなぼくでごめんなさいってことかな」
「どうしてそんなこと思うんだ?」
「ぼくはね、父さんと同じように医者になることが決まってたんだよ。だから本当は、幼稚園から有名な私学に行くはずだったんだけど、ぼく試験に落ちちゃって。小学校の受験にも失敗したんだ。本番に弱いやつっているだろう? それ、ぼくのことなんだよ」
ぼくの知る限りでは、一番優秀だった優一。受験に失敗したなんて知らなかった。
「ぼくはきっと医者にはなれない。父さんはぼくを見限ったけど、母さんは諦めてくれないんだよね。家に帰ると、家庭教師だの塾だのが待ってるし、それが終わっても母さんがつきっきりでぼくの勉強を見る。ぼくはもう、頭がおかしくなりそうだよ」
確かに優一の母親はやり過ぎだったと思う。ぼくの誕生日会に来ることだって、渋々だったらしい。
「だからさ、誕生日会楽しくてさ、このまま時が止まればってぼくは思ってた」
「ぼくも思ってた、同じこと」
「でも恵斗は大人になることを選んだ」
「選んだんじゃないよ。時間は止めることなんて出来ないんだよぼくにはさ」
優一は、ぼくのベッドに寝転び、天井を見上げた。
「それでもね、ぼく、母さんに会いたくなったよ」
ぼくにもその気持ちは痛いほどわかる。ぼくは小さい頃に母親を病気で亡くしている。ぼくが覚えているのは、台所に立っていた後ろ姿と、車の後部座席から見た、母親の横顔だけだ。それでもなぜだろう、その後ろ姿に、横顔に、無性に会いたくなることがある。写真では物足りない、命を感じるのだ。
「会わせてやりたい」
「無理しないでいいよ。死体を見つけるだけで十分だから」
優一は優しく笑って見せた。
ぼくらは別れを告げ、ぼくは元の世界へと戻る。さっきまでいた優一の姿は消え、遊んでいたトランプだけが残されていた。
四日後、花音と会った。朝10時に駅で待ち合わせをしたぼくらはまず、地図アプリを開いた。優一の母親の住所を打ち込むと、その街は海辺にある小さな街だと分かった。
所要時間、一時間二十分とある。思ったよりも近くにいるようだ。僕らはさっそく改札を抜け、電車に滑り込んだ。
特急電車は混雑していて、花音がいつもより近くにいる。ぼくは揺れるたびに吊り革を持った右手に力を入れたが、花音の肩とぼくの肩がぶつかり合ってしまう。その度にぼくが謝っていると、
「いちいち謝らなくていいよ。ぶつかってるのはわたしの方なんだから」
花音が少し苛立った声で言った。
「ごめん……」
ぼくはうつむく。花音の白いスニーカーが汚れていた。
四十分ほど特急電車に乗ったあと普通電車に乗り換え、さらに電車を乗り換えた。今度は単線の二両しかない電車だった。
電車は海辺へと入る。開いた窓から風が吹き込んでくる。ぼくたちは向かい合わせに座り、その風と電車に揺られながら、ただ黙って海を見ていた。
「ん、そうだ」
花音が何やらトートバッグの中をゴソゴソとあさっている。きっと中からキャラメルの箱が出てくるに違いないと、ぼくは思った。案の定、出てきたのは黄色いキャラメルの箱で、ぼくは思わず笑ってしまった。
「なによ。なにがおかしいのよ」
「だってキャラメルって」
「キャラメルがなによ」
「だっていっつもそれなんだもん」
花音は口を尖らせて、キャラメルを一粒、ぼくにくれた。
「ありがとう」
「どういたしまして!」
花音とぼくはキャラメルを頬張り、また海を眺めた。
小さな漁船が行き交っている。波は穏やかで、よく晴れた日だった。海面がキラキラと輝いている。ぼくはその眩しさに目を細めた。
その駅を降りると、磯の香りがした。しょっぱくて、少し生臭い、そんな匂いだった。
その街は漁師町らしく、駅からすぐの坂を降りると漁港があり、船がいくつも停められていた。すれ違う人の中にも、よく日に焼けた男たちがいて、長靴を履き、いかにも漁師らしい頑丈そうな手で、挨拶を交わしていた。
駅を出ると一本の通りがあり、商店街とまではいかないが、いくつか店が並んでいた。電気屋、うどん屋、クリーニング店の看板が駅からも見えていた。
ぼくたちは、優一の母親に会う前に、駅前の喫茶店で昼食を取ることにした。
──カランカラン──
タバコの煙がもわっと漂ってきた。今時喫煙のできる喫茶店がまだあったのか。ぼくらはハズレくじを引いたような気分になった。
「いらっしゃい。珍しいね、若いカップルが来るなんて」
髭を生やしたマスターらしき人が、まじまじとぼくたちを見た。
「珍しいでしょ」
花音が得意げに答えた。
(否定しないのか? ぼくたちを「カップル」と呼んだぞ!)
ぼくはびっくりしたが、花音は平然としていた。