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第5章 シーン1:平和の中のリタイア宣言
酒呑童子を討伐してから数日が経ち、王国には久方ぶりの穏やかな空気が戻っていた。
街には人々の笑顔があふれ、商人たちは活気ある声で品物を売り、子どもたちは広場で遊び、衛兵たちもどこか柔らかい表情を見せていた。
そして――その中心にいたのは、もちろん彼女。
「ふわぁ……朝ごはん食べたら、もうお昼寝の時間よねぇ……」
王宮の南館、ふかふかの羽毛布団にくるまりながら、ごろごろと転がるのは、我らが勇者・おゆき様である。
「これで戦いもおしまい。いやー、長いようで短かった勇者生活……ま、戦ったの数回だけど……」
まるで定年退職を迎えたかのような口ぶりで、おゆきは優雅に冷茶を啜った。
机の上には、昨夜の残りの雪見団子と、王から届けられた桃のゼリーが並んでいる。
そのとき、部屋の扉がノックされ、王の側近マルトが現れた。
「おゆき様、王がお呼びでございます。謁見の間まで、お越しいただけますか?」
「えー……また? 面倒くさいんだけど」
「王国の大切なご相談とのことで……」
「ご飯の相談なら行くけど、それ以外ならパス」
「……おそらく、どちらも含まれております」
渋々起き上がり、ふわふわの寝巻きのままおゆきは謁見の間に向かった。
そして玉座の間。王は真剣な表情で、彼女を迎えた。
「おゆき様。この数日、王国はあなたのおかげで平穏を取り戻しました。民は笑い、兵士たちは誇りを持ち、商人も……」
「はいはいはい、それで?」
王が口をつぐむと、おゆきは大きく伸びをしながら続けた。
「私、もう引退したいんだけど」
「……は?」
「ほら、勇者としての使命は果たしたでしょ? 魔王的なやつも倒したし。もう私の出番ないでしょ?」
「い、いや……それはその……確かに、いまは平和でございます。しかし、世の中には常に新たな脅威が潜んでおりまして……!」
「それ、全部“もしも”の話じゃない。だったら新しい勇者でも呼べば? 私、そろそろ寝溜めしておきたいし」
王は苦笑しながらも、何とか引き留めようと説得を続けた。
「おゆき様……民は、あなたの存在そのものに安心を覚えております。万が一、また脅威が現れた際には、ぜひお力添えを……」
「むー……」
おゆきはしばし考える素振りを見せたのち、ピンと指を立てて条件を提示する。
「じゃあ……一日三食と、お昼寝と、美味しいおやつが毎日出るなら、考えてあげるわ」
王は即座に深く頷いた。
「承知いたしました! これまで以上に豪華な食事と、昼寝専用の部屋、菓子職人も手配いたします!」
「……ふふっ、それならもうちょっとだけ付き合ってあげてもいいかな」
気まぐれな笑みを浮かべるおゆき。
その瞬間、王と側近たちは一斉に安堵の息を吐いた。
こうして、おゆきは再び――いや、「ほとんど働かずに王国を守る存在」として、“伝説の勇者生活”を延長することになったのだった。
シーン2:勇者なのにほぼ昼寝ライフ
王との交渉(という名のわがまま押し通し)を終えたおゆきは、ふたたび穏やかで怠惰な日常へと戻っていた。
勇者とは名ばかり、戦うこともなく、訓練もせず、朝食を終えればそのままお昼寝タイムへ突入する毎日である。
「ん~~~、今日のクロワッサン、バター多めで美味しかったぁ……もうちょっと寝てからデザートにしようっと」
そんなことを呟きながら、ふかふかの寝台に沈んでいくおゆきの姿は、まるで冬眠中の熊のようだった。
彼女専用の部屋には、昼寝用の小さなベッド、夜寝用の豪華ベッド、そして読書と甘味を楽しむためのソファコーナーまで完備されている。
室温は常に彼女の好む冷涼な気温に保たれており、加湿器からはほんのりと雪の香りが漂うという徹底ぶり。
「勇者様、失礼いたします。本日の“昼食前のおやつ”をお持ちいたしました」
メイドが運んできたのは、冷たくて甘い“氷花ゼリー”。
ほんのりと白桃の香りが立ち上り、金箔がふわりと舞っている。
「ふふ~ん、やるじゃない。これなら午後まで頑張って寝られそう」
「……お休みの努力ですか?」
「うん、寝るにも気力ってものがいるのよ」
メイドが思わず苦笑する中、おゆきはゼリーをつるんと喉に流し込み、満足げに目を閉じた。
そんな昼下がり――王宮では、またしても騒ぎが起きていた。
「城下で、小さな口論が発生したとのことです。ご近所同士での些細な言い争いのようですが、周囲に不安を与えているようで……」
王は眉間に皺を寄せ、家臣たちと対策を協議していた。
「民は、おゆき様が現れるだけで安心します。小競り合いとはいえ、あの方に対応いただければ……」
「……あの方を起こすのは、骨が折れますぞ」
「しかし、それでも最も効果的です」
結局、王は再びおゆきの部屋を訪れることを決断した。
そのころ、件のおゆきはというと――すやすやと寝息を立てて、白い毛布の中にくるまれていた。
「おゆき様……申し訳ありません、少しだけお時間を……」
「んー……今、スイーツ食べる夢見てたのに……」
王の丁重な呼びかけに、おゆきは片目を開けながら不満げな声を漏らした。
「また何か? まさか、戦争じゃないよね?」
「い、いえ! 城下町で、ほんの些細な言い争いが……その、民の不安を鎮めるために、おゆき様のお姿をお見せできれば……」
「はー……それだけで呼ばれるなんて、ほんっとに勇者って割に合わないわよねぇ……」
おゆきはふわりと起き上がると、冷たい水で顔を洗いながらぶつぶつ文句をこぼしはじめた。
「……ま、終わったらご飯出るんでしょ?」
「はい。厨房にはすでに、鴨とリンゴのコンポートをご用意させております」
「ふむ……なら、まぁ、行ってやらないでもないわ」
ふたたび“やる気ゼロの救世主”が重い腰を上げる。
誰もが疑問に思っていた。「この人、本当に伝説の勇者なのか?」
だが同時に、誰もが知っていた。「この人がいれば、とりあえず世界は滅びない」と。
そうしてまた、おゆきは寝巻きのまま、城下へと向かうのだった。
シーン3:おゆきの面倒くさがりな平和解決
「はあ……はあ……本当に勇者様が来てくださった……!」
城下町の広場で、おゆきの姿を確認した住民たちは、次々と彼女に駆け寄り、感激の面持ちで頭を下げた。
「どうか、どうかこの争いを止めてくださいませ!」
「勇者様の一声があれば、きっと皆冷静になります!」
争っていたのは、隣同士に住む二つの家の住人たち。
洗濯物が境界線を越えた、井戸の順番を抜かされた、子ども同士の喧嘩がきっかけで――と、よくある町の小競り合いだった。
おゆきは、あくびを噛み殺しながら人々の話を聞いていたが、途中で聞くのも面倒になってきた。
「えーと、つまり……どっちも譲らなくて、どっちも謝りたくないってことね?」
「い、いや、その……まあ、そういうことに……」
住民たちが口を濁しつつも頷くのを見て、おゆきは深いため息をついた。
「じゃあ、こうすれば? 今日だけお互いに“ちょっとだけ悪かったかも”って思ったことにして、明日からまた普通に過ごすの。そうすれば、面倒な気分もすぐ終わるし」
「“ちょっとだけ悪かったかも”…?」
「そう、“ちょっとだけ”。本気じゃなくていいの。なんとなく反省っぽい気分になれば十分」
住民たちは一瞬ぽかんとしたが、次第に顔を見合わせ、そして小さく笑い合い始めた。
「なんとなく、でいいなら……できるかも」
「お互い、謝るんじゃなくて、ちょっとだけ譲るだけなら……」
「まあ、もともとたいしたことじゃなかったしな……」
争っていた二人がぎこちなく頷き合い、おゆきの前で軽く頭を下げた。
「勇者様、ありがとうございます。なんだか……とても肩の力が抜けました」
「……よかったじゃない。じゃあ私は、これでお役御免ね。鴨肉の香りがそろそろ私を呼んでるわ」
おゆきはまるで買い物帰りの主婦のような軽さでくるりと背を向けた。
「お見送りいたします!」
「またぜひ、お越しください!」
住民たちが慌てて見送りの準備をしようとする中、彼女は片手をひらひらと振って言った。
「いや、いいの。またって言われると、次も呼ばれる気がして、ちょっと面倒くさいから」
それでも、人々はその素っ気なさに気を悪くするどころか、むしろ笑顔になっていた。
「……やっぱり、勇者様ってすごいな」
「何もしないようで、ちゃんと全部まとめてくださった」
「言葉の力って、こういうことなんだなぁ」
おゆきがただひとこと“適当に譲れば?”と言っただけで、数日続いた争いがまるく収まったのだから、彼女の影響力はもはや“事件”すらも吸収する。
こうしてまた一つ、「やる気ゼロのくせに、結果的にすごく頼れる勇者」というおゆき伝説が、静かに町に刻まれていった。
そして本人は、戻る途中でひとこと。
「はあ~、お腹すいた。せっかく昼寝削ったんだから、デザートも出してもらわなきゃ割に合わないわね」
誰もがそう思った――
この勇者は、“平和の化身”ではなく、“平和にならないと昼寝ができない存在”なのだと。
シーン4:噂が噂を呼ぶ“伝説”の拡散
「結局、おゆき様って何者なんだろうな……?」
城下町の酒場の片隅で、若い兵士たちが湯気の立つ麦酒を傾けながら、ぽつりと語り出した。
「この前も見たぞ。近所の言い争いを“適当に譲れば?”って一言で丸く収めて帰ってった。こっちは数日かけて対応しようとしてたのにな」
「そのくせ、ご飯のときだけは誰よりも機敏に動くっていうな……」
「まるで……伝説の怠け者だな」
「いや、“怠け者の皮を被った雪の神”って感じだよ、もはや」
そんな冗談まじりの会話が、今や王国中の町や村でささやかれるようになっていた。
“やる気ゼロでも国を救う”、
“寝てても世界を守れる”、
“怠惰は美徳”。
かつて誰も思いつかなかったような勇者像が、おゆきによって定義され始めていた。
さらに、城下の絵描きたちは“勇者おゆき様”の肖像画を描き、それが市場で飛ぶように売れていた。
その中でも人気なのは、「毛布にくるまって笑顔でプリンを頬張るおゆき」の一枚。
何とも言えぬ脱力感と安心感が評判を呼び、“部屋に飾るとよく眠れる”という謎の効果まで噂された。
また、民衆の中では“おゆき様の名言”とされる言葉が独り歩きを始めていた。
「本気出すと疲れるから、適当に生きるのが一番」
「昼寝が世界を救う」
「おかわりは正義」
それらが書かれた刺繍入りの布が護符代わりに売られ、子どもたちは“おゆき様ごっこ”で「ご飯まだ~?」と寝転ぶように。
大人たちすらも、「おゆき様がそう言ったから」と、無理に頑張らず休息を取ることが“美徳”として広がっていった。
もちろん、おゆき本人はそんな流行や人気にまるで興味がなかった。
「ふーん、私が流行ってるんだ? ま、どうでもいいけど。ご飯が美味しければそれで十分よ」
その日も王宮の食堂で、彼女は新メニューの“雪苺ミルク煮”を口に運びながら、うっとりと頬を緩めていた。
「……うーん、これで今日のやる気はゼロ以下ね」
それを聞いていた侍女がつい吹き出すと、おゆきは目を細めて微笑んだ。
「笑ってないで、次のデザート持ってきて。今日の私は“伝説の勇者様”なんだから、特別待遇よ?」
冗談まじりのその言葉に、侍女も自然と笑みを返した。
王は、そんなおゆきの様子を陰から見つめながら、小さく頷く。
――確かに、怠惰でやる気ゼロ。だがこの国には、今のような“肩の力の抜けた平和”こそ必要なのかもしれない。
おゆきの存在は、ただの力ではない。
戦わずして争いを鎮め、笑って人々を和ませる。
そう、彼女の怠惰は――もはや、国そのものの平穏を象徴していた。
こうして王国中に「やる気ゼロの勇者伝説」が静かに、けれど確実に根を張っていくのだった。
シーン5:新たな依頼、そしておゆきの提案
「おゆき様、また城下で小さな揉め事が起きました」
朝の静かな時間を破るように、王の側近マルトがそっと扉を叩いた。
「……あー、はいはい、また? 今ちょうど夢の中でお酒と温泉楽しんでたのに……」
もそもそと布団の中から顔を出したおゆきは、明らかに不機嫌だった。髪は寝癖で跳ね、頬には枕の跡までくっきりと残っている。
「小さな揉め事って……またご近所トラブルとか? もう、そういうのは専用の係を作ってよ」
「それが……民の多くが“おゆき様のお言葉が聞きたい”と……」
「……人気者も楽じゃないわねぇ……」
ごろんと布団に背中をつけ直しながら、おゆきは天井を見つめていた。そして、ため息まじりにひとこと。
「ねぇ、王様ってさ……もう新しい勇者、召喚する気はないの?」
側近が驚いたように顔を上げる。
「し、新しい勇者……ですか?」
「そう。私が来たときみたいに、誰か別の人呼んで、そっちにこういう雑務任せるの。私、別に勇者って肩書きにこだわりないし」
それは、半分は本音で、半分は寝不足から来る怠惰の極みだった。
だがその提案に、側近はただちに王へ報告へ向かった。
――そして、その日の午後。
王自らが、おゆきの私室を訪れる。
「おゆき様。あなたのご提案について、誠に真剣に検討いたしました」
「うん。どうだった? いい感じの“代わり”見つかりそう?」
「……勇者の召喚は、そう簡単に行えるものではありません。ただし――あなたのお手を煩わせぬよう、“城下の小さな問題”には、新たにおゆき様補佐役の騎士団を設立する運びとなりました」
「ふーん、補佐役の騎士団ねぇ……要するに、私が動かなくてもいいようにする係でしょ?」
「まさにその通りでございます」
おゆきはしばらく考え込む素振りを見せたあと、気だるそうにうなずいた。
「……まあ、それならいいわ。ちゃんとお昼寝の時間に呼ばなければ、協力してあげなくもないわよ」
「ありがとうございます、おゆき様!」
王は頭を下げ、ようやく“王国の平和を維持する勇者”と“昼寝を愛する雪女”の共存体制が整ったと胸をなでおろす。
それは、勇者としては前代未聞の態度でありながらも、王国にとっては最も理にかなった解決だった。
――誰よりもやる気がなく、誰よりも国を救った女。
そしてその伝説は、まだまだ終わらない。
シーン6:エピローグ ~平和な日々~
おゆきが再び布団に潜り込んでから、数日が経っていた。
王国の新たな騎士団――通称「おゆき様補佐隊」はすでに城下各地に配置され、民の些細な争いごとや困りごとに迅速に対応するようになっていた。彼らは民衆から「寝ている勇者の代弁者」として親しまれ、現場ではよく「勇者様ならこう言うでしょう――『譲っとけ。面倒くさいでしょ?』」などという台詞が飛び交っていた。
おゆき本人はというと――例によって、豪華な寝具と菓子に囲まれた日々を過ごしていた。
「うーん、今日はね。クレープとホットミルクティーの気分なのよね。お願いね?」
「は、はい。ただちにご用意を!」
侍女たちが慌ただしく厨房へ向かう中、王は寝転がるおゆきの枕元に座り、そっと声をかけた。
「おゆき様。あらためて……王国の平穏、誠にありがとうございます」
「ふぁあ……ああ、うん。別にいいよ。面倒ごとは終わったし」
「本来であれば、勇者としてのさらなる功績を……と考えるべきところでしょうが、こうしておゆき様が安らかにお過ごしになられていることこそ、我が国の真の平和であると感じております」
「ふふ……分かってきたじゃない、王様。そう、私がのんびりできてるってことは、それだけ問題がないってこと。つまり、私は寝てるだけで国を救ってるのよ」
「おっしゃる通りでございます」
王は深く頭を下げ、そのままそっと部屋をあとにした。
その日の夕暮れ、王国の広場では、子どもたちが新たなおままごとに夢中になっていた。
「じゃあ、わたしが“おゆき様”ね!」
「え~、また寝るの? 遊んでよ~」
「だって勇者は寝るのが仕事なんだから! ご飯まだ~?」
そんな笑い声が広場に響き渡り、大人たちも笑顔でそれを見守っていた。
――戦うことだけが勇者の役割ではない。
“やる気ゼロでも平和は守れる”。
それは、おゆきがこの世界に教えてくれた新しい価値観だった。
こうして、おゆきは今日も――昼寝と甘味と自由を愛しながら、王国の伝説として静かに、けれど確かに、その名を刻み続けていたのだった。