「じゃあさ、これからどうするの?」
朗読公演から数日後、文芸室で机に突っ伏したままの玲希が、そう問いかけた。
手元には、表彰状の写し。
『地域文化奨励賞』――市の文化振興課が主催するこの賞に、藍たちの朗読劇は選ばれた。
けれど、藍はその紙を一度も額に入れようとはしなかった。
ただ、日記の写しと一緒に封筒にしまってある。
「どうするって……?」
「だってさ。“誰かのために語った言葉”はもう届けたわけだろ?
お前、これからも“誰かの物語”を拾っていくのか?」
玲希のその声には、少しの茶化しと、少しの真剣さが入り混じっていた。
藍は答える代わりに、カバンから小さなノートを取り出した。
それは母と祖母の記録を経たあと、自分で書き始めた“まっさらな言葉”のノートだった。
表紙には、こう記されていた。
《藍が“わたし”として書くためのノート》
それはもう、誰かの代理ではない。
誰かの声を演じるのでもない。
《わたしは、わたしのために言葉を書く。
わたしが生きたことを、わたしの言葉で証明するために》
玲希がノートを覗き込んで、肩をすくめた。
「おー、もう完全に“語り手病”だな、それ。
次の文化祭も、またお前の自伝朗読か?」
「いや、それは……やめとく」
「え、やめるの?」
「うん。今度は、みんなで書いた“フィクション”がやりたい。
でも、その中には、ちゃんと“自分の声”を忍ばせたい」
それは、たぶん“誰かのための物語”ではなく――
“誰かになりきらずとも、自分を伝える方法”をようやく見つけたということだった。
その時、ドアが開いて結彩が入ってきた。
手には、封筒がひとつ。
中から取り出されたのは、見慣れない手書きの便箋。
「これ、文化祭のときに公演観てた中学生の子から来たの。
“うちの家庭も、ちょっと複雑で”って。……でも、“初めて誰かの話を聴いた気がした”って書いてある」
藍は黙って便箋を読んだあと、机にそっと置いた。
「名前は?」
「書いてなかった。“言いたくない”って。……でも、“また何か観たい”って書いてある」
「じゃあ、またやらなきゃね」
「“言葉を届ける”って、やっぱり、誰かのためじゃなくて、“自分が語ることで、自分が癒える”ってことだから」
玲希が伸びをしながら言った。
「俺はさ、結局“演じること”じゃなくて“伝えること”なんだって気づいた。
演劇じゃなくても、朗読でも、エッセイでも、“その人がそこにいた”って思えるなら、それでいい」
絵美里がその言葉に頷きながら、最後に言った。
「じゃあ、“語られなかった人の声”は、もう過去になったってことね。
次は――“まだ語られていない人の声”を、今ここから拾っていく」
全員がそれに、言葉ではなく、沈黙で同意した。
藍は自分のノートを開き、一行目に、こう記した。
《これは、誰かのためではない。
けれど、いつか誰かに届くかもしれない、わたしの言葉》
そうやって、彼の物語は“誰かを語るため”の舞台から、
“自分を生きるため”の物語へと、静かに幕を変えていった。
(第十二章 完)