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第六パート、「頼る勇気と、差し出す手」

 それは谷の中でも、もっとも静かなエリアだった。

 木々はまばらで、足元は苔むして柔らかい。空は広く、どこからか川のせせらぎのような音がかすかに聞こえていた。

「……音がする。川?」

 凪が立ち止まり、耳をすませる。まなみも頷いた。

「うん、たぶん。でも……近づいてる。流れてる音じゃなくて、何かが来る音」

 その言葉を裏付けるように、遠くの木々がざわりと揺れた。そして次の瞬間、駆けてきたのは――

 風の獣だった。

 それは風のように形を持たず、けれど間違いなく「そこにいる」と分かる存在。毛皮ではなく霞をまとい、目だけが光を帯びて浮かんでいた。

「――来るぞ!」

 えいじが咄嗟に皆を後ろに下げる。だが、風の獣は攻撃してくるわけでもなく、彼らの周囲をぐるぐると巡っていた。

「なにこれ……試されてるの?」

 ゆうきが腰を落とし、構えるように身を引き締めたが、そのとき、悠誠が一歩前に出た。

「まって。これ……“頼ること”を、試してるのかもしれない」

 彼はポーチの中から、小さな笛を取り出す。それは、昔、小さな村で“助けを呼ぶ”ために使われていたものだった。

「でも、それって……誰かに“助けて”って叫ぶってことよ? 本当に?」

 凪が驚き交じりに問うと、悠誠は静かに頷いた。

「うん。ぼく、いま怖い。こいつが敵なのかどうか分からないし、正直、自分じゃ無理だと思う。でも……言うよ。“助けて”って」

 そう言って、彼は迷いなく笛を吹いた。

 澄んだ音が、谷に響いた。

 すると――空から一筋の光が差し込み、風の獣の体にすうっと触れた。

 霞のような体がふわりと持ち上がり、やがて音もなく空へと帰っていった。

 えいじが、ゆっくりと呼吸を整えながら言った。

「……あれは、たぶん“頼る”ことを恐れている者には越えられない仕掛けだったんだ」

 「“一人でやろう”って思ってたら、吹けなかったと思う」と、かなこがぽそっと呟く。

 「……でもね。頼っていいって言ってもらえるのも、嬉しいんだよ」

 まなみがそっと、手を差し出した。さとしがその手を見つめ、ノートに書きながらぽつり。

「頼るって……甘えることじゃなくて、繋がることなんだね」

 その言葉に、誰もがうなずいた。

 そして地面に埋もれていた石碑が、ひとりでに風を受けて顔を出す。


【第五の誓い】

“誰かの力を頼ることを恥じないこと”

強さとは、一人で立つことだけではない。


 風の音は、やさしく吹き抜けていく。

 それは、誰かの背中にそっと手を添えるような、そんな風だった。


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