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5.私は大したコトないです。

 少し触りを書いたところで、ここから、少し自己紹介を交えた話をしようかと思います。


 タイトルにもあるように、私は『普通の人よりも見えやすい』というだけで、それ以上でも、それ以下でもありません。


 だから、何も見えない普通の一般人と変わりありません。


 基本的に『その手のコトに関して、あまり信じていません』なんて、スタイルなのです。


 テレビやネット動画などで、浄霊や除霊ができるような霊媒師や祈祷士がいますが、そんな芸当はまず無理ですし、霊がクッキリ見えて、それらと会話ができるような人間でもありません。


 亡くなった父は10人兄弟がいて、父方の親類が山ほどいるので、そっち方面では、神主や占い師、祈祷士などの親類もいます。


 しかし、そのような親類は、すでに軒並み高齢でして、痴呆症を発症している人もいるし、父が亡くなったこともあって随分と疎遠になっているので、頼ることもできません。


 私にも、そのような遺伝的な血が流れている影響で、この手の厄介なことに関して、貧乏くじを引いている部分があります。


 その最たる例が、あらすじや前話で少し触れていますが、実家の階段下収納から40年間も放置した日本人形を持った途端に、家の中からガタガタと聞こえてしまったり…。


 自営の町工場の経営がうまくいかず、家計も苦しくて、息子も病気を発し、母親が倒れて下半身不随になり、私に胸腺腫が見つかって手術になるような、人生のどん底を味わっている時に、真夜中に目を覚ますと、天井や壁一面に、墨字で呪詛のようなものがスクロールして浮かんできたのが4度もありました。


 そのような貧乏くじ的な霊現象を体感しなくても、私の夢に関しては、どうやら、お告げ的に訴えかけられる部分も多くあるのです。


 父が亡くなって少し経った後だと記憶してますが、ウチは分家なので、お墓も決まらないで右往左往していると、父方の祖父の位牌が夢にドカンと出てきまして…。


 その後に、奇遇にも、すぐそばに本家のお墓がある墓地を買わないかと声がかかりまして、迷わずにその墓地を買って、時間をかけながらウチのお墓を建てた事もありました。


 後から本家の伯父に墓地の話を聞くと『本家のお墓のそばに、できれば自分の子供のお墓も建ててほしい』と、祖父は遺言を残していたのです。


 この夢の中で、祖父の位牌が出てきたのは、祖父が『父のお墓をよろしく頼む』という訴えだったのでしょう。


 -話を変えまして-。


 ある日、夢の中に、母方の祖父が出てきて、しきりに『お前は大丈夫だ』と、言うのです。


 そんな夢だったので、何だか怖くなって私は目を覚ますと、目の前に金色のモヤが見えて、暫くしたら、そのモヤがサッと消えていきました。


 間違いなく亡くなった祖父が枕元に来ていたと、確信をしていました。


 …その夢を見た翌日…。


 その日は、宮城のお客さんにて打ち合わせがあって、その当日に担当者の指示で午前中の打ち合わせが午後になりました。


 打ち合わせの途中に、立っていられないほどの大きな地震に見舞われて、揺れがある程度、おさまった段階で建物から逃げ出して難を逃れたのです。


 建物から避難すると、地震の影響で、打ち合わせがあった部屋の壁や建物の一部が崩れているのがわかりました。


 私が経験したのは、2011年3月11に発生した『東日本大震災』だった訳です…。


 そのあと、車に乗っていて、対向車線から消防車がきて、私が運転席の窓を開けると『すぐそこまで津波がきている。すぐ引き返して高台に逃れろ!!』と、消防士から言われて、私は急いで車をUターンさせ高台に向かって、津波から逃れました。


 本当に運が良かっただけです。


 消防車が対向車線から来なければ、私は津波に巻き込まれていて、命がなかったでしょう。


 その後は高台にある避難所で幾日か過ごした後に、親類が私のことを助けてくれて、関東の家路にたどり着くことができました。


 その震災の前日に見た夢のことを、家に帰ってきた後に思い出して、母方の祖父母にも私は見守られているのが分かって、なんだかウルッと泣いてしまったのを思い出します。


 私の場合は、未来に起こりうる事を具体的には教えて貰えずに、『ヒントや警告』のみが多い感じでして…。


 その手のお告げは、相変わらずヒントが与えられるだけだから、その手の警告的な夢が『後から判明する』ケースも多くあります。


 これを執筆している前年の暮れに、私が小さい頃から遊んでくれて、仕事でも、うちの会社と機械や工具などの取引があって、密接な関わりがあった従兄が敗血症性ショックにて急死しました。


 従兄は年末に倒れて、救急搬送されて意識不明になって生死を彷徨っている中で、私は、ある警告夢を見たのです。


 夢の中で母から電話がかかってきて、一言だけ『ゴメンね』と、言い放って電話が切れました。


 その当時、私の母は、従兄と同じ敗血症性ショックで倒れて、病院に緊急搬送された後、ICUで医師による懸命な治療が施されている最中での出来事でした。


 だから、この夢で、母が亡くなることを覚悟していたのです。


 しかし…、この夢の数日後に従兄が亡くなった報を聞いて、私は青くなりました。


 従兄の奥さんや、従兄が経営していた会社従業員などから、亡くなった後に聞いた話では、私の夢の中で母が「ゴメンね」と電話で言っていた時点で、従兄は心肺停止状態になっていて、生命維持がなければ、生きられなかったようです。


 後から考えてみると、私がその夢を見たときに、他人の事など構っている余裕がなくて母の事で精一杯でしたから、無意識のうちに、私の潜在意識にあった母の声を通じて、亡くなった従兄が『ゴメンね』と、私に言ってきたのだと気付かせてくれたのでしょう。


 私の警告夢は、このようにして『後から分かる』コトが多いのです。


 母から夢の中で『ゴメンね』なんて言われた時点で、私は母の死を覚悟するぐらいしか、気持ちの持ちようがなかったのですから…。


 こんな調子で、今から綴る与太話にも、私が見た警告夢の話が幾つか出てきたりします。


 何とぞ、長いお付き合いのほどを…。

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