あの『からわけ』騒動が落ち着いた1週間後…。
仕事でのトラブルが連続して起こる事案があって、皆に嫌な空気が立ちこめます。
5年前ぐらいに、今は亡き父が末期の肺癌になって以降、顧客たちの理不尽な要求とクレームが激しくなりました。
私たちの非ではない部分があるのに、顧客から言いがかりをつけられて、無理矢理に始末書を書かされたコトもあります。
あまりに下請けイジメが酷くて、中小企業庁に相談をしたこともありました。
そういう状況になると精神状況も悪くなりますから、今度は思いも寄らない場所でミスをしたりして、余計に面倒な事になってしまうのです。
顧客からのクレームや、何やら厳しい電話があるときは、決まって私がトイレに入っている時が多く、それは父が存命中の時からズッと続いていました。
父が生きていた頃は、理不尽なことがあると、顧客や立場など関係ナシにして、父が激しく怒るイメージが多くの人にありましたから、父を怖がって、あまりクレームをつけなかったのです。
そして、父が亡くなった後に、私になってから、そのツケが一気に回ってきた部分もあるのでしょう。
それにしても、このクレームに関しては『何時もの調子』的な部分があるし、父の存命中から、そんなクレームが繰り返されている部分があるのです。
そして、これを執筆している数日前に、まさに同様のコトが起きたので、流石に『これは何かがある』と、嫌な胸騒ぎがしました。
クレームの電話が掛かってきた時、私は
私は、クレームの電話に対応をすると、弟や従業員に対応を任せて、『からわけ』がある神社に駆け込みました。
何年も嫌なコトを繰り返すパターンは、あまりにも不思議すぎるからです。
しかも、私は決まった時間にトイレに行くようなタイプではないのに、私がトイレに入ったのを狙い撃ちするかのように、クレームの電話を掛けているような気分で仕方がありませんでした。
私はここで、『悪縁切りのからわけ』を用いて『仕事でのクレームや理不尽な苦難』から、『縁を切る』ことを決意します。
決して、クレームをつけた会社や担当者との縁を切るわけではありません。
この場合、普通の人なら『開運や商売繁盛の祈祷で、運気を上げよう』になりますが、これだけ嫌なコトが続いていれば、普通の祈祷では望みが薄いと察した訳です。
普通、縁切りの祈願を行う場合は『人同士や組織と縁を切る』ことが普通だと、思われるかも知れませんが、私がやろうとしていることは、決して、人との縁を切る訳ではありません。
神仏にお願いをして縁を切る祈願は『人』だけではありません。
人との縁を切るのは、色々とリスクが伴います。
神仏の力で人との縁を切ろうとすると、それなりの『見返り』があると聞きます。
友人や会社の同僚と、軽い気持ちで縁切り神社などを参拝して願いが叶った後に、一緒に参拝に行った友人との縁が切れたり…。
願のかけかたを間違えると、対象を想いも寄らぬコトで苦しめる場合もあります。
例えば、『夫の不倫関係の女性を別れさせたい』と、妻が願掛けをした場合、不倫をしていた夫を突然死させてしまった…なんて事案も。
でも、有意な縁切りの仕方もあります。
例えば、ギャンブルから足を洗いたいから、『自分のギャンブル癖の縁を切りたい』とか、病気をしていて『今の病気から縁を切りたい』などの願掛けなら、誰も巻き添えることなく、有意な縁切りをしたことになります。
私はこれを、今の状況に当てはめて、縁を切る願掛けの方法を考えていました。
『あくまでも、人や組織の縁は切らない。』
私はそう決めて、願をかける内容を詳しく決めました。
そして、その神社の境内に入ると、何時もなら普段の日でも参拝客がいるのに、今日に限って、自分以外に参拝している人がいません。
この神社はメディアに少し紹介されることもあったので、少なくても地元では、比較的に有名な神社でかつ、規模もそこそこありますから、私以外に参拝する人が、いないのは、とても珍しいことです。
…要するに『人はらい』が起こって、神様が待っていたのでしょう。
社務所に寄って、『悪縁切りのからわけ』を頂くと、老齢のベテラン巫女に声をかけられました。
普段なら人の出入りが多い神社ですから、参拝客に詳しい説明などは省略することが多いのですが、今日はまるっきり対応が違ったのです…。
地元なので、何かあると、気軽に寄る神社ではあるのですが、ベテランの老齢巫女がいること事態、私は初めて知った次第でして…。
『これは、神社で人払いが起こったのは、完全に呼ばれたのか…』
私は、ベテランの巫女さんに、悪縁切りの『からわけ』のやり方を丁寧に教わりながら、この縁に感謝をすることにしたのです…。
さて、ここで、2000字に近いことですし、ダラダラと書いても、読み疲れるでしょうから、この結末は次話にて…。