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アレにまつわる作者の与太話 ~その2~。

13. よもやま話1 『東国三社参り』 ~その1~

 あっちの話をしてばかりいると、気が滅入る人もいるかも知れないので、こういう大きな話の区切り毎に、ちょっとした『よもやま話』を交えていこうかと思います。


 よもやま話と、申しましても、本題から外れるような話をすれば、雑多な話が好きな私のことですから、最後には脱線をしまくって、この作品自体の内容と存在が問われますからね…。


 そうだ、今回の呪いの人形の話で余談として書いた『鹿島神宮』や『息栖いきす神社』と『香取神宮』をセットでお参りをする、東国三社参りのお話をしましょう。


 東国三社参りは前話で触れた上に、これを執筆する前に、東国三社参りを終えたばかりなので、作者的には書きやすいという側面もあります。


 別に、この話を書くために行ったわけでもなく、弟から強く誘われたので、少し面倒くさい気持ちを持ちつつも、表には出さずに押し殺しながら東国三社参りをした…。なんて、背景ですから、あまり乗る気ではありませんでした。


 この話を読んで、東国三社参りをしようと考える奇特な人がいましたら、マイカーやレンタカーでの移動を強くお薦めします。


 利根川流域の水郷地帯は、昔から田圃のド田舎でして、周辺地域は過疎地ですから、電車やバスが皆無に等しく、特に息栖神社の方面はバスの乗り継ぎに関しては不便ですので、公共交通機関での移動に苦労をすることが予想されます。


 タクシーを使えば、少し楽かも知れませんが、車がない人は、東国三社参りのバスツアーを見つけて参加するのも1つの手段かと。


 車が運転できる人ならば、所要時間として、互いの神社の行き来が一般道での移動で30~40分程度ですから、自分のペースにて、スムーズにお参りができるかと思われます。


 ちなみに、どの神社も見どころが多いのですが、2025年7月初旬現在で、鹿島神宮と香取神宮は、改修工事中の場所が多く、本殿や門など、本来の姿が見られない場所もあって、少しだけ残念な気分です。


 改修工事が終われば、スッキリとした見栄えになると思いますから、綺麗で大きな神社のインパクトが残るかと…。


 さて、公共交通機関の話はそこまでにして、本題に入ると、古来より『鹿島神宮』と『息栖神社』や『香取神宮』をセットで参拝すれば、伊勢神宮を参拝した事と匹敵すると言われています。


 各神社で祀られている神様について日本書紀によれば、大国主命の国譲りの際に、息栖神社の主神の岐の神くなどのかみを先導として、鹿島神宮の主神である武甕槌たけみかずちの神や、香取神宮の主神である 経津主ふつぬしの神が大国主に国譲りを迫った事に由来がありました。


 そういう古くからの神様の由来に加えて『鹿島神宮』と『香取神宮』は、古来より格式があるので御利益がとても大きいかと思います。


 江戸時代では、伊勢神宮参拝後に東国三社参りを行う人が多くいたようで、『伊勢参りのみそぎ』とも呼ばれていました。


 そして、東国三社参りにて神社を回る順番ですが、これには特に決まっていないのですが、大抵は鹿島神宮→息栖神社→香取神宮で行く人が多いようです。


 その理由として、鹿島神宮は武甕槌神が主神であり、とても強い武神でもあることから、源頼朝や徳川家康も戦の前に勝利を祈願した事にも由来がありまして…。


 それが故に、武神であって勝利の神様である武甕槌神は、何かを始めようとする時に願をかけると御利益があるとされ、武甕槌神がいる鹿島神宮から東国三社参りを始める人が多い理由になっています。


 次に、息栖神社ですが、主祭神が岐神くなどのかみでして、同時に天鳥船神あめのとりふねのかみも祀られています。


 天鳥船神は、大国主命の国譲りの時に、武甕槌神を案内したと言われていて、言わば『繋ぎ役』という意味が強く、息栖神社は『海上・交通安全』に御利益があると言われています。


 この神社は、鹿島神宮や香取神宮と比べると小さい神社ですが、きちんと整備もされていて、とても心地の良い神社でした。


 これは余談ですが、息栖神社は、なぜか、境内や駐車場の周辺に猫が数多くいますから、猫好きには、たまらないかも知れません。


 話が再びそれる前に本題に戻すと、江戸時代まで『香取海』と呼ばれるほど、霞ヶ浦が大きかったことや、利根川水運の発達により、参拝客の多くは船を利用していました。


 その名残が大きくあって、息栖神社の一の鳥居は、船着き場らしき場所に建てられいて、そのそばには1000年間も湧き続けている井戸があるのですが、それが日本三大霊泉の1つであるようです。


 船着き場の鳥居の名残は、息栖神社以外にも、鹿島神宮や香取神宮にもあって、鹿島神宮から離れた川の中に一の鳥居があったり、香取神宮も川沿いの土手に鳥居があったりします。


 そして、最後に残った『香取神宮』ですが、香取神宮の主祭神は『経津主神』ですが…。


 古事記では武甕槌神と経津主神は同一視されているので、物語には出てこないのですが、日本書紀では武甕槌神と経津主神は一緒に、大国主神に国譲りを迫ったと言われています。


 だからこそ、香取神宮の経津主神は武甕槌神と共に、とても強い武神でして、私の勝手な憶測では、東国三社参りの最後に『経津主神』のお力で、ビシッと厄を祓って開運を切り開く、なんて、イメージを持っている私がいまして…。


 私の自分勝手な解釈はともかく、武甕槌神と経津主神は、対として祀られている神社が多いですし、特に鹿島神宮と香取神宮は要石かなめいしが置かれて、それも対になっているように、切っても切れない神様なのです。


 そして、3つの神社を参拝する際のネックとして、息栖神社はともかく、鹿島神宮も香取神宮も、大きな神社であるため参拝客が多いので、落ち着いて参拝できるかは運次第でして…。


 それに加えて、鹿島神宮も香取神宮も、各主祭神の荒魂を祀る『奥宮』があるのですが、個人的には、香取神宮の奥宮が肝だと思っています。


 鹿島神宮の奥宮は常に列をなしていますが、香取神宮は、本殿から少し離れて民家も目立つ立地から『隠れ家』的な存在になっていまして、空いていること多く、落ち着いて参拝が可能でした。


 極めて個人的な感覚として、香取神宮の奥宮を好んで参拝しているのですが、話が長くなりそうなので、次話にて、3つの神社にて、私が是非…と、思う場所をチョイスして、勝手なエゴで紹介をしようかと思います。

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