…さて、前話からの続きですが…。
おみくじが凶だった話は、私たち家族が新型コロナに罹患したことで決着がつきましたが、お盆の際に母が面倒くさがって端折っていた事案の1つに、『盆棚に
お盆になると、先祖はもちろん、様々な霊がやってくると言われていますが、この時期になると、多くのお寺で
日本の仏教では、宗派によって様々な解釈がある部分がありますが、生前に罪を犯し『餓鬼界』に落ちた霊に食べ物を施すことを『施餓鬼』と、申しまして、施した者に功徳があるとされています。
今まで母親が、その手の行事を面倒くさがって端折った事を考えると、今すぐにでも、檀家に入っているお寺の施餓鬼に私たちが参加をすべきなのでしょう。
しかし、私たちは新型コロナに罹患していますから、この状況でお寺の行事に参加をするのは感染リスクを考えると、あのような場は、年寄りや子供が大勢いますから、なおさらに危険です。
私たちは、施餓鬼に関してお寺には行かずに、『盆棚』にて施餓鬼を行うことをしました。
これは、厳格に盆棚を作る家庭にとっては、ごく普通の事ですが、うちの母は、これすら面倒くさがって、私たちがやろうとしても、それを止めたのです。
だからこそ、色々な不幸なしっぺ返しが起こった…とも、考えられるのです。
もしかすると、親族の中には餓鬼界に落ちた者もいるかも知れませんし、これだけの不運の連続が続いていてれば、何らかの功徳を積むのは悪いことではありませんからね。
愚痴はこの辺にしておいて、餓鬼界に落ちた『餓鬼』は、普通の食べ物や水を飲もうとすると、それが炎に変わってしまうために、物が食べられません。
そこで、施餓鬼でも盆棚でも、餓鬼に供える物として、餓鬼が食べようとしても炎に変わらない乾物や調理していないモノを供える訳ですが…。
今までは、うちの母が、とても面倒くさがって、盆棚での『
『水の子』は、胡瓜や茄子をサイコロ状に小さく切って、といだお米と混ぜて、水分を少し含ませて供えたものです。
これも、宗派や地方によって作り方が全く異なりますし、ミソハギなどで清めた水に、水の子を浸すような宗派や地方の風習もあります。
だからこそ、宗派や地方でやり方が全く異なりますし、同じ地方や宗派でも家ごとに異なったりするから、キッチリとした拘りなんて、私にはありません。
ちなみに、この手の風習は、宗派や地方によって随分と異なりますし、あくまでもこれは『宗派(うちは曹洞宗)と私が住んでいる地方の風習や、私の家の風習』として捉えてください。
再び話を本題に戻すと、炊いていない生米なら餓鬼も食べられるでしょうから、盆棚に水の子を備えるのは、施餓鬼を目的としているわけです。
それに加えて、先祖や亡くなった身内の霊が、家に帰ってくる事を考えて、ご飯を作らなければいけません。
御霊供膳を作ることは、忙しい家族にとって、とても負担がかかるので、母親が端折るのは分かりますが、ある程度の妥協しながら供えることができます。
本来なら精進料理にて一汁三菜で供えるのですが、精進料理となると、肉や魚はダメだし、鰹節や煮干しなど動物性のダシも含めてダメなのですが…。
そこに拘っていては、私や妻、家族へ大負担になるので、ダシに関しては一切を無視して、料理に肉や魚を入れる姿勢を保ちつつ、スーパーの惣菜で間に合わせることにしました。
このようにして、新型コロナに家族が罹患したり、色々とドタバタが重なって大変でしたが、今年のお盆の準備を整えた私は、この日は仕事がろくにできずに、時はすでに夕刻になって、犬の散歩の時間を迎えたのです。
◇
うちで飼っている、柴犬の『みかん』(雌犬)ですが、とても散歩が好きな犬でして、散歩に行くと、家になかなか戻りません。
それこそ、みかんは、1日に5~6kmは当たり前のように歩くのですが、今は8月ですから、酷暑が続いていて朝でも暑いので、散歩をする時間を夕暮れ時に切り替えました。
私の時間の都合によっては、散歩が夜になることも、しばしばあるのですが、その時は『七色に光る首輪』を首につけて散歩をさせます。(いわゆるゲーミング柴犬)
この日の散歩は、夕暮れ時だったので、光る首輪は不要な状況でした。
私のコロナ療養期間が明けた直後の散歩ですから、みかんも歩く気になっています。
この日は夕刻から曇っていたし、風もあったので、夏の散歩には丁度良い感じだし、散歩途中で、提灯を持ちながら、お墓からご先祖様を迎えている人を、幾人か見かけました。
ウチは、亡くなった父が眠るお墓から3km以上あるために、迎え火は、いつも家の入口付近でやることにしています。
お墓まで歩いて提灯を持って行くのは、時間の浪費と体力の消耗が激しいですからね…。
提灯を持った人たちと、たまにすれ違いながら散歩をしていると、みかんは何時もと違う道を突き進んでしまいます。
慌てて引き返そうとしますが、来た道を戻ろうとすると、その場に座ってしまって、家に帰ろうとしません。
私は色々な意味で諦めがついて、しばらくの間、みかんが行きたい道を歩かせてやると、父が眠っている、お墓の入口付近まで来てしまったのです!。
みかんは、そのお墓の入口に繋がる道をチラッと見たかと思ったら、今度は歩いてきた道を引き返しました。
『お前は…、死んだ父を迎えたかったのか??』
父が存命のころ、父はよく、みかんの相手をしていましたし、みかんも、父の顔や匂いを忘れないで覚えている筈です。
そんなみかんが、お盆の迎え火の日に、父が眠るお墓の近くまで何食わぬ顔で歩いてしまったのには、吃驚しました。
この道は、距離も長い上に、滅多に通らないコースなので、みかんがお墓の入口の道まで来たのは偶然とも思えないのです。
『みかんは、送り火の時も、お墓までの道のりを歩いてくれるのだろうか?』
私は、久しぶりに長距離を歩いたこともあって、疲れ果ててしまい、途中で妻が車で迎えに来るのを待ちながら、そんなことを考えていたのでした。