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第4話

 急いで東京の事務所に戻ると、入口の前にはマスコミが溢れていた。

 いや、ここ数日のことを考えると、この手の人混みにも慣れたと思っていた。だが、今日の彼らの様子は明らかに異常だった。いつもの取材というより、何かを嗅ぎつけて興奮している、まるで鬼の首でも取ったかのような勢いだ。

「遠山さん! コメントお願いします!」

「リーグとして、どう説明されるんですか!」

 遠山はフラッシュの波に目を細めながら、無言で人波をかき分けた。脇腹にカメラの角がぶつかったが、気にしている余裕はない。ビルの自動ドアをくぐると、すぐに中の空気が一気に静まり返る。その対比に、むしろ背筋が寒くなった。

 エントランスには数人のスタッフがいた。彼らのうち何人かは、遠山の姿を見て、すっと目を逸らした。

(……これは、完全に何かあったな)

 直感が告げていた。廊下を早足で進み、「使用中」の札がかかった会議室のドアを開けると、中には数人の理事と——月島の姿があった。

「——じゃ、この通り、いきますので」

 まるで遠山が到着するのを待っていたかのように、月島は手元の資料をまとめながら立ち上がった。理事たちは気まずそうに目を合わせようとせず、慌てたように退出していった。

 残されたのは、月島と遠山、二人だけだった。

「今日は、新潟の出張では?」

 月島が振り向きもせずに口を開いた。

「何を白々しく」

「いや、まるで遠山さんがとても焦っているように見えたので。急いで戻ってこられたのかなと」

「それを、あなたが言いますか」

 遠山は言葉にトゲを込めた。月島はこちらを振り向き、一瞬だけ驚いたように眉を上げたが、すぐに笑ってごまかした。

「“あなた”って、その言い方、少し失礼じゃないですか?」

 そう言って月島はソファーに腰を下ろし、反対側の席を手で軽く示した。遠山はしばらく視線を外していたが、やがて無言で座った。

 テーブルを挟み、二人の間には張り詰めた空気が流れる。

「で、どうなのですか?」

 月島が探るように問いかける。

「……何が、ですか」

「どうせ、あなたのことだ。私の判断に怒っているんでしょう?」

「否定はしません」

「ふふっ。まるで子どもですね。でも、それがあなたの良さでもあるんでしょう。だからこそ、こういうビジネスチャンスをものにできない」

「……だからって、この試合を観客ありで開催するのは、あまりにも危険すぎます」

「危険、ですか」

「当然でしょう。犯人からのメッセージ、当日の試合に関わることが書かれていた。少なくとも、無視はできない内容でした」

「まさか、遠山さん。あれ、本気で信じているのですか?」

「“信じている”かどうかではない。あれは、警察も動いている情報です」

「でも、それはSNSの投稿でしょう?」

 月島は頭をポリポリと掻きながら、あくまで呑気な口調で言った。

「——あれは偽物ですよ、偽物」

「偽物?」

「ええ。だって、冷静に考えてみてくださいよ。神崎選手が被害に遭ってから、もう一週間は経っている。警察はとっくにSNSの運営会社に照会をかけているはずです。犯人が本物なら、とっくに足がついてる」

 確かに——その点については、遠山自身も違和感を覚えていた。

 SNSの闇は深いが、それでも、日本の捜査機関の技術力を甘く見るべきではない。少なくとも、アカウントの所有者の所在や接続情報くらい、すでに割り出せていてもおかしくはなかった。

「でも、警察は何も発表していない。こちらに共有される情報もない。それってつまり——犯人じゃないってことですよ。あのアカウントは“犯人を装っているだけ”。ただの愉快犯です」

「……それだけで、リスクが低いと断言できるんですか?」

「できますよ。愉快犯は注目されるのが目的です。本物なら、SNSじゃなくて、もっと直接的に脅してくるし、もっと明確な“次”を示すでしょう。でもあのアカウント、やってることは中途半端。煽ってるだけ」

 月島は自信満々に言い切ると、テーブルの端に置いたコーヒーカップに手を伸ばし、一口すする。

「だから、今週末の試合は予定通り開催すべきです。ここでビビって足踏みしていたら、せっかくのチャンスを逃す。リーグにとっても、選手にとっても、損ですよ」

「……ですが、神崎選手の犯人はいまだ捕まっていません」

「そこなんですよ、遠山さん。仮に——あくまで仮にですが、あの事件が“神崎個人を狙った犯行”だったとしたら? つまり、他の選手には関係のない“個人的な恨み”だとすれば?」

 遠山は言葉を飲み込んだ。

 たしかに、それも一つの仮説ではある。だが——。

「それでも、“仮説”に過ぎません。危険を無視して興行を強行するには、あまりにも根拠が弱すぎる」

「いやいや、それはあなたの見方でしょう。そういうことを言い出したら、あなたの慎重論だって“あなたの見方”じゃないですか」

 月島が皮肉っぽく笑う。

「正直、慎重すぎるんですよ、遠山さん。攻めるべき時に攻めないで、いつ攻めるんですか。あなた、正直勝負を全く分かっていない。今、Wリーグには大きな波が来てるんです。メディアも注目している。スポンサーも、観客も」

 遠山はぐっと拳を握った。

「それでも、安全とお金を同じ天秤にかけるような真似は——私は、したくありません」

「だ、か、ら。それも“あなたの価値観”でしょう。あなたの“美学”が正しいとは限らない。私たちが見ているのはリーグ全体の将来です。現に、理事会は開催に同意し、主要スポンサーからも承認を得ています」

 遠山の胸の奥に、何か冷たいものが落ちていく。

「あなたは……」

「言わせてもらえばね、遠山さん。あなたは確かに数字を伸ばした。入場者は年々増えてる。SNSのフォロワーも増えたし、狙っていた観客層の若い女性だって増やした。でも、それじゃ足りないんです。Bリーグと比べてどうです?え? 観客動員数に、何倍差をつけられているんですか? Jリーグと女子サッカーのWEリーグとの観客動員数の比率を見ても、もっと伸びると思うんですけどね? え?」

「……」

「Wリーグは、正直、もっと伸びる可能性がある。バスケは面白いスポーツだ。攻撃と守りがあれほどすぐに変わるものはないし、何より室内競技だからこそ、臨場感もすごい。バスケのアニメや漫画作品でも人気なものは多いし、作中に出てくる場所が、聖地化だったされている。

 でも、リーグが伸びきれてない。それはね、あなたみたいな“正しさ”ばかり優先して、面白さや刺激を排除するからですよ。スポーツってのは、感情のエンタメなんです」

 月島の目が鋭くなった。

「まったく、ほんとにひどい話ですよ。選手たちがこんなに頑張ってるのに、あなたの怠慢はひどい。そうやって慎重になってばかりじゃ、彼女たちが可哀想でしょう」

「——だからと言って、あなたのやり方はどうなのですか?」

 遠山は静かに口を開いた。その声には、怒りというよりも呆れと哀しみが滲んでいた。

「佐々木から聞きました。スポンサーからの追加支援金で、試合演出をいじるつもりだとか。試合と試合の合間に、犯人を模した男がコートに乱入する……そんなことを?」

「そうなんですよ!」

 月島は、まるで自慢話でもするかのように口角を上げた。

「画期的でしょう? 私が知る限り、こういうサプライズはありません。こういう演出ができるのも、室内競技ならではです。より、臨場感と緊迫感を出せます。まさに、演出とリアルが混ざり合う、スリリングな体験。世界的にも話題になると確信していますよ。SNS映えも抜群ですし」

「……ふざけないでください。それは、この事件をコンテンツの“材料”として消費する、最低のやり方です。不謹慎極まりない。そんな演出、炎上どころか、ファンの心が完全に離れていきます」

「あははは」

 月島は声を上げて笑った。まるで何か滑稽な冗談を聞いたかのように。

「滑稽だ。本当に滑稽ですよ、遠山さん。あなた、それでよくリーグ運営してきましたね? いったい誰が、そんな“道徳”に満ちた運営を本気で支持すると? 消費者が、そんな高尚な倫理観を求めてると思いますか?」

「……え?」

「いいですか。たとえばYouTubeやTikTok。あそこで使われている音楽や映像素材、著作権的にグレーどころか真っ黒なものだって山ほどあります。でも、それでも再生数は伸びるし、人は“それを観る”。“面白い”と感じたら、違法かどうかなんてどうでもいいんですよ」

「……」

「炎上発言をした配信者だって、最終的に残るファンは必ずいるし、かえってカリスマ的存在になっている。過激な演出のテレビ番組だって、視聴率さえ取れれば、いくら問題になっても黙認される。生産地で違法労働があったとしても、“かわいい服”であれば買われる。消費者って、そういうものです。彼らは学級委員じゃない。“正しさ”より“おもしろさ”を求めてる。それが現実です」

 遠山は言葉を詰まらせた。

「だったとしても……それは、選手たちの努力を、無駄にする行為です」

「本当に、そう思いますか?」

 月島が、急に声を落とした。

「なにを——」

「Wリーグは、プロリーグではない。形式上、実業団も入ったアマチュアリーグです。しかも、スポーツだからこそ、選手たちには、選手寿命がある。引退しても、バスケに関われる人間はごく一部でしょう。結果、大半の選手が、キャリアの後に残る“居場所”を見つけるのに苦労します」

 遠山の心臓が、ひとつ脈を打つ。

「だったら、我々がやるべきは“安全に守る”ことじゃなくて、“価値を作る”ことだ。リーグ全体がメディアとして、コンテンツとして跳ね上がれば、選手の市場価値が上がる。引退後もスポーツに関われる道が広がる。企業が名前を覚え、講演やCMのオファーが来る。インフルエンサーとしての力もつく。また、リーグが成長すれば、スポンサー企業も増え、就職先の選択肢だって増えますよ。……それが、努力を“無駄にしない”ってことじゃないですか?」

 その言葉に、胸の奥が、ずんと重くなる。

「あなたのようにバスケを知らずに、なぜこの世界に関わったのか、正直、理解できません。ですが——」

 月島は声の調子をほんのわずかに低くし、語尾に冷たさを忍ばせた。

「もっと“現実”を見てください。あなたの理想論や空想で、世界を語らないでいただきたい」

 その言葉に、遠山は目を伏せた。

 反論する気持ちはあった。喉元まで言葉がこみ上げてきていた。だが、不思議と、言い返す気にはなれなかった。そんな自分に、ただただ唖然としてしまっていた。

 そのとき、不意に会議室のドアがノックもなく開いた。

「何?」

 月島が振り返って鋭く言うと、スタッフは少し怯えた表情を見せつつも、勇気を出して口を開いた。

「次の試合の演出の件で、確認事項がいくつかありまして……」

 そう言いながら、スタッフは視線を宙に泳がせた。月島と遠山、どちらに指示を仰げばよいのか判断がつかないのだろう。空気が凍りついたまま時間が流れた。

 月島がふっと笑った。

「ああ、その件ね。今後の全体統括は私が担当することになっている。遠山くんは……うん、ちょっと休んでいてもらっていいよ。出張でお疲れだと思うし」

 言葉は柔らかくとも、その声色には明確な“排除”の意図があった。

 遠山は立ち上がらなかった。だが背筋を伸ばし、目だけはまっすぐに月島を見つめていた。

 月島は、会議室を出る直前、振り返りもせずに言った。

「——あ、そうだ。暇なら、自分の“理想”探しでもしておいたらどうですか?」

 その声には皮肉たっぷりの笑いが混じっていた。

「今、みんなクソ忙しいんです。けど、あなたみたいな人が“妙な正義感”を振り回して余計な障壁になるくらいなら……その方がよっぽど“邪魔”なので。あははは」

 バタン、とドアが閉まる音が重く響いた。

 残された空間に、深い静寂が落ちた。


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