きぃ、と小さく扉が開き、白い手が覗いた。
「善麿さん……?」
遠慮がちな声の後でその主が姿をあらわす。若い女だった。
女はかすかな衣擦れの音とともに、おずおずと部屋に入ってきた。絹糸のごとき長い黒髪が輪郭を覆った、人形のようにきれいな女だ。
濡れた黒曜石でできた黒い瞳、ほんのりと丸い線を描いた、少女めいたあどけない頬、苺のようにぷっくりと赤い唇、折れそうに細い首には真鍮製の小さな十字架がかかり、なだらかな線は華奢な肩に続いている。
しかしその
おれは女の姿を一目見て、強い衝撃を受けた。絵本から抜け出た雪姫が、聖母の姿をとって顕現したような女だ。肋骨が大きな力で掴まれ、ぎりぎりと締め付けられていく。懐かしくも甘く、無性に胸苦しい。おれはこの感覚をはじめて知るようにも、ずっと昔から知っていたようにも思える。彼女の美しさはこの世界でもっとも尊い、とても特別なもののように見えた。
女は薄い寝間着にショールをひっかけただけのすがたで、ゆっくりと東條に近づいて行った。彼女におれは見えていない。おれに頓着せず、女は静かに歩いていく。
「お声が聞こえたものですから……」
心配そうに言う女に、東條は愛想よく立ち上がった。こうしてみれば、存外に背が高い。かれは先ほどまでの狂った哄笑で上がった息を瞬時に整え、別人のようにやさしげに微笑みかける。
「小夜子君。すみません、驚かせてしまいましたか」
愉快な夢を見たもので。東條はおれに小さく目配せしてみせた。おれはその顔をにらみつける。
「調子はどうですか?無理をしてはいけませんよ」
東條は女のショールを取り、しっかりと巻きなおしてやった。女も東條に微笑み返す。
「ええ、ありがとうございます。今朝は具合がいいの」
「よかったです、身体を冷やさないようにしてくださいね」
「はい、それでは休ませて頂きますね」
女は入ってきた時のようにしずしずと出て行った。東條はその背を見送ると、ふうと息をついて寝台に腰を下ろす。
「……妻です。見ての通り身重でして」
東條はどこか弁解がましく説明した。
「小夜子君が君を見て驚いたらどうしようかと思っていたのですが、どうやら君の姿は見えないようですね?」
「そうだな、おれはお前に結び付いた死神だ。おれの存在は、お前以外に認識できないはずだ」
東條はなるほど、と呟いている。
慈愛のこもった眼差しを見る限り、妻に対する愛情は本物のようだ。おれは鼻を鳴らす。
「正気に戻れ。妻子が可愛くないのか?」
おれは苛立った。あんな女を置いて死にたがる夫の気が知れない。
「可愛いですよ、もちろんね」
東條は投げやりに答えた。