東條の部屋は二階のホールに面していたようだ。すぐ左手に階下への階段が伸びている。おれたちはその階段に足を向けた。
食堂は広く、天井の真ん中から小ぶりなシャンデリアが下がっている。その下に白布のかかった長い食卓が置かれていた。食卓の中央にはみずみずしい林檎と蜜柑が、銀の鉢に山と盛られている。
完全な洋間だが、卓の上に並んでいるのは白飯や味噌汁、焼魚といった和食だ。三人の男が卓につき、周囲をよく躾られた女中たちがくるくると立ち働いている。部屋の奥には暖炉が勢いよく炎をあげ、窓から広がる雪景色が冗談に見えるほどの暖かさだった。
マントルピースには色とりどりの果物の絵が飾られ、なおのこと冬を嘲るようだ。天井には精緻な花模様の細工の施された廻り縁が巡らされ、同柄の見切りが若草色の腰壁と共にぐるりと部屋を取り巻いている。
うるわしの初夏を模したはずのこの部屋が、どうにもこの場にいる人間を馬鹿にしているような居心地の悪さを感じるのは、この部屋にいる人間たちに原因があるのだろう。既に席に着いていた彼らは一様に暗い色の服を着膨れており、ここには場違いに見えた。
上座に座る男は黒い両前の背広を着ており、黙々と箸を口に運んでいた。久世と同い年くらいなのだろう。きっちりとポマードのすりこまれた髪には一分の乱れもない。よい身なりだが、かれの趣味と断じるには職業的な冷たい隙のなさだ。周囲に一切頓着しないその態度は、厳格なようにも不機嫌なようにも見える。
その隣に座る眼鏡の男はまだ若く、東條と似た年齢に見える。かれは痩せぎすの身体に白いシャツと厚手のセーターを着込み、食事もそこそこに何かを早口でまくし立てている。どうも医学に関する内容のようだが、それを聞かされている側の男は困惑顔だ。
眼鏡の男の横でかれのご高説を聞かされている男は更に若く、まだ少年と言ってもいいような年齢に見える。優しげで丸みを帯びた顔立ちは女性的で、上品な身なりと相まっていかにも良家のお坊っちゃま然としている。かれは隣人の話に相づちを打つため飯を食う暇がないらしく、周囲に助けを求めるような視線をちらちらと走らせていた。
「あ、東條子爵! おはようございます」
若い男が嬉しそうに声を張り上げた。もう二人の男も振り向く。
「内藤君、先生方、おはようございます」
東條は微笑みながら彼らの向かいに座る。すかさず女中がその前に膳を置いた。
「皆さん、申し訳ありません。大晦日をこんなところで迎えさせることになって」
東條は苦笑しながら箸を取り上げた。眼鏡の男が不機嫌そうに眼鏡を直す。
「全くだな。我々はいいが、小夜子夫人のお身体に障る」
「雨宮先生には本当にご足労をおかけし」
「だから、我々は構わないと言っているだろう? あなた、もう少し奥方に気を遣ってはどうなんだ」
雨宮の隣に座った男が咳ばらいをする。
「雨宮先生。前にもご説明しましたが、その件は忠明様のご遺言でどうしても。善麿様の所為ではありません」
「死人に気を遣うあまり、これから生まれてくる人間に面倒をかけるとはな。三笠先生、弁護士は融通を利かせるのが仕事だと思っていたが」
三笠と呼ばれた弁護士は不愉快そうに片眉を上げて黙った。再び黙々と箸を口に運び始める。
「ぼ、僕は気にしてないです! ほらあの、小夜子さんには
内藤を雨宮が睨みつけた。
「あなた、人の話を聞いていなかったのか?」
内藤がひっと息を飲んだ瞬間、朗とした声が響いた。
「あら、あたくしがなんて?」
一同は振り向いた。食堂の入り口に、洋装をまとった若い女が立っている。
彼女は肩までの髪を緩やかに巻いていた。二重瞼の目が大きく、鼻がつんと高い。華やかな装いの美人だ。肌は色白だが血色がよく、小夜子が日本人形だとすれば、こちらは西洋人形のような女だ。
「珠名さん!」
内藤が嬉しそうな声を上げて手を振る。珠名もにこやかに手を振り返し、一堂に軽い挨拶をした。
珠名は食堂に入ると、傍らの女中に声をかけた。
「小夜子さんのお膳ですが、あたくしが持っていきます。あたくしの分も一緒にしてくださる?」
そして珠名は卓の中央を指さす。
「そこの林檎と、ナイフもくださいな。小夜子さんは果物しか食べられないこともありますから」
珠名の指示を受け、女中たちは速やかに盆の準備を終えた。
「ありがとう。小夜子さんはお休みになっていますから、何かご用がありましたらあたくしに言ってくださいね」
珠名は食事の乗った盆を持ち上げた。東條にも何かを言いかけたが、不意にちらりと背後に目をやると表情を曇らせる。
「――それでは皆様、ごきげんよう」
珠名が足早に去っていった。それほど間を置かず、二人の人間が戸口に立った。
「これはこれは皆様、おそろいで。おはようございます」
それは不気味な雰囲気の初老男だった。総白髪を伸ばして後ろに撫でつけ、細い口髭を生やしている。両の口角を
その男はもう一人、胡乱な若い男を連れていた。細い目が狐のように吊り上がり、眉が剃り落されている。かれらはどことなく目の辺りが似ている、親子かもしれない。どう見ても堅気の人間ではあるまい。なぜ、彼らが子爵家の邸宅の客人となっているのだろうか。
彼らが現れた途端、食堂内は静まり返った。客人たちは会話をやめ、女中たちは目を伏せて忍び足で歩く。
「……黒岩さん、おはようございます」
東條が箸を止めてかれらに挨拶した。懸命に笑みを浮かべようとしているようだが、頬が引きつっている。
「失礼する」
三笠が口を拭って立ち上がった。黒岩と呼ばれた男の方を見もせず、反対側の扉から足早に去っていく。
内藤と雨宮は視線を己の膳に落とした。先ほどまでの騒がしい口論を忘れ、黙々と飯を食い始める。露骨なまでの嫌われようだが、黒岩たちはまるで気にしていない素振りで悠然と卓につく。黒岩が飯碗を持ち上げた拍子に、袖口から腕を覆う見事な刺青が覗いた。
「子爵、すみませんね。久世殿からはお忙しいと伺ってはいたのですが」
「ええ、誠に申し訳ありませんが本日は時間が取れず。おそらく、少々込み入った話なのでしょう?」
「然様ですな、皆さんの前でお話しすることにならなければよいのですが」
一瞬、東條の表情から笑みが消える。
「……とにかく、明日までお待ちいただければと」
「お時間ができましたらいつでもお知らせくださいよ、こちらはお待ちしていますから」
黒岩は鷹揚に飯を掻きこんだ。
「……では失礼」
唐突に雨宮が立ち上がった。その直後に内藤が僕も、と立ち上がる。二人は返事も聞かず、すたすたと部屋を出て行った。東條は二人の客人の背を見送ると、笑顔を取り戻して席を立つ。
「私も失礼いたします、どうぞごゆっくり」
黒岩は軽く片手を上げただけで東條を見送った。