東條は自室に戻ると、どさりと肘掛椅子に身を投げ出した。
「黒岩と言ったか、あの男は何なんだ?」
「なんと言いますか……小夜子君の叔父上です。ですがその、少々問題のある人物でして」
その問題とやらが何なのか、何となく察せられる気がした。脅迫じみた
「そんなことより、今度は君の話を聞かせてくださいよ。死神に会うのは初めてです」
それはそうだ、死神に会ったことのある人間が生きているはずはない。おれはふんと鼻を鳴らす。東條は俺に椅子を勧めると、身を乗り出して好奇心に眼を輝かせた。
「君、壁や扉をすりぬけられるようですね?」
「ああ、死神にとっては障壁など無意味だ。大抵の物質はすり抜けられる」
「大抵?」
「おれが結びついた人間の所有物……そいつが『自分の物』と認識している物には触ることができる」
「へぇ、すごいですね。他の人間からも見えないようですし」
「そうだな。お前以外の人間は俺に触れられないし、声も聞こえない」
東條はふむと考え込んだ。
「それは意外と不便ですね、どうやって私を殺すのですか?」
俺は顔をしかめた。
「お前の身体に触れられるのだから十分だ。おれはお前をぶん殴れるし、体内に手を突っ込み臓腑をつかむことだってできる。お前の身体に病を生むこともな」
「ああなるほど、そういう……」東條はふむふむと頷いている。「できるかぎり痛くない方がいいですね」
おれは脚を組み、すこし考える。
「しかしそもそも”殺す”のは死神の仕事の本質ではないな。死神など介入せずとも人間は老い、患い、殺し合う」
「と、言いますと?」
「死神は『死を許す』存在なのだ。例えば、お前が黒岩に殺されるのを俺が傍観し、お前の死を許せば、それは死神が死をもたらしたことになる」
死神はただ命あるものを殺すものではなく、死によって巡る世界の因果を制御する存在だ。すべての死は死神によって認められ、許される必要がある。そうでない死がこの世界にあってはならない。
東條はおれの説明にふうむと唸る。
「では、私が死んだ後で君はどうなるのですか?」
「人間に死をもたらした死神は、人間に生まれ変わることができる」
「え?!」
東條は頓狂な声を上げた。
「では君は、私を死なせれば人間になれるのですか?」
「そういうことになるな」
そもそも、すべての死神は元々は生きた人間だ。人間が死ぬとその魂は死神になり、未だ生きている人間に死をもたらす。死をもたらした死神の魂は再び人間になり、己の死の運命たる死神を待つ。
こうして生者と死者が延々と魂の立場を入れ替え続ける、それがこの世の理だ。
「ところで……」東條が仔細らしく首をかしげる。
「”生きている”人間とは、どういう意味ですか?」
その問いにおれは呆れてしまう。
「ふざけているのか?人間が生きているとは、そいつがお天道様の下で息を吸って吐いているということだ」
おれは東條を睨んだが、なぜか東條は手を叩いて喜んでいる。やはり分からない男だ。
「人間が死ぬと死神になるとは聞いたことがありますが、ただのおとぎ話だと思っていましたよ」
東條はにっこりと笑う。
「君は私が死ぬまで死神のままなのですか?」
「そうだな、おれは既にお前と結びついている。一度結びついた人間が変わることはない」
「他の誰かを死なせても意味がないと?」
「一人の死神は必ず一人の生者と結びつく、例外はない」
「そうなんですね」東條は大きく頷いた。「運命を感じます」
何を一人合点しているのか知らないが、何かが東條を感嘆たらしめたようだ。
「私の死神が君でよかったです、ありがとうございます」
妙な物言いだ、死神など誰でも同じだというのに。
「勘違いするな。生者と死神の結びつきに理由はない、ただの偶然だ。強い縁のある者は引き合う傾向があるようだが、あいにくとおれはお前を知らん」
「そうですか……」
東條は大げさに落胆してみせる。
「ということは、君も昔は人間だったのですね。どういう人だったのですか?」
その質問に俺は顔を歪めた。
「……分からんな、覚えていない」
「死神は生前の記憶を失うのですか?」
「そんなことはないはずだが……」
おれはゆっくりと己の脳裏を探った。東條に問われて初めて思い至ったが、おれには何の記憶もない。自分の生まれも、職業も、死んだ理由も何一つ。先ほどまで東條に説明していたことはあくまで死神として与えられた知識であり、おれ自身の記憶ではない。
死神は役目のため、死神という存在のほか人間の社会や科学技術、生理について、一通りの知識を与えられる。しかし、個人的な記憶を奪われることはないはずだ。
「……死神は時空を超える存在だ、おれがこの時代に命を落としたとは限らない。死んだときの姿で現れるとも限らんしな」
東條は軽く鼻をならすと、頬杖をついておれを見た。
「では君、自分の名前も思い出せないのですね?」
「ああ」
「では、私が君に名前をつけてあげましょう。死神君と呼ぶのもなんだか不便ですしね」
そして東條は顔を寄せた。悪戯でも仕掛けるような目で俺を見る。
「瑞祥、というのはどうです?良い名でしょう。君は私にとって、まさに瑞祥ですから」
とことんふざけた男だ、到底死神にふさわしい名とは思えない。しかし、なぜか耳になじむ響きだ。
「……好きにしろ」
「決まりですね、瑞祥君」
東條はふふふと笑った。先ほどからこの男は本当に嬉しそうだ。おれを見る眼差しは親しみにあふれ、死神という超自然の存在を前にしてわずかな恐怖も感じ取れない。しかし精神が狂っているにしては、目に宿る光が理知的だ。
「これから子どもが生まれるというのに、なぜ死にたがる?お前、自分の息子を待ち望んでいるのではないのか」
東條はわずかに目を細めた。脚を組み、尊大な態度で椅子にもたれる。
「ああ、君は私が
君が私を死なせるのが楽しみです、東條は頬杖をつくとそう
「おや、どこへ?」
「――お前と話していると疲れる」
おれは部屋を出ようとした。背後から東條が風邪をひかないようにしてくださいね、と声をかけてくる。死神には病も死もないが、それが分からぬ訳ではあるまい。本当に食えない男だ。