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第6話

 おれは東條の部屋を出た。廊下の左右を見回し、どこに行ったものかと考える。

 そういえば、小夜子はどこにいるのだろう。朝、彼女は離れた部屋から来たように思う。寝室の違う夫婦はいるが、せめて隣り合う部屋を使うものではないのだろうか。東條は変な男だが、それでも二人は仲睦まじい夫婦に見えた。なんとなく違和感がある。


 おれは廊下を歩き回った。階段ロビーに差し掛かった時、傍らの部屋から女の話声が聞こえた。ここだろうか。


 おれは部屋に入った。女主人の部屋らしい、優美な調度の揃えられた部屋だ。右手には鋳鉄の花格子のはまった白い小ぶりな暖炉があり、ぱちぱちと炎がはぜている。奥のフランス窓には薄い窓帷カーテンがかかっており、それを透かして真っ白な雪景色が見える。窓の前に大きな寝台が据えられ、小夜子が身を起こして座っていた。


 小夜子の姿に、おれの胸は再び締め付けられる。心奪われる横顔だ。今すぐ彼女に駆け寄り抱きしめたい。小夜子には美しいだけではない、理性を狂わすなにかがある。

 馬鹿げている。おれは頭を振って妄念を追い出した。曲がりなりにも死神が、妊娠中の人妻に対して持つべき感情ではない。


 小夜子の向かいには珠名タマナが座り、二人はなにやらおしゃべりをしているようだ。当然ながら、二人はおれに気づかない。


「――それで、あのねぇ、小夜子さん」

 珠名が声を潜めた。小夜子の膨らんだ腹にそっと手を当てる。

「この子……本当に善麿ヨシマロさんのお子なの?」

 珠名は真剣な顔をしている。こころなしか目が潤んでいるようだ。二人は何か深刻な話をしていたのだろうか。


「まぁ、何を言うの?」

 小夜子は苦笑して珠名の手に手を重ねる。

「お願いよ、本当のことを言ってほしいの。あたくし、どうしても……」


 この二人は何の話をしているのだろうか。藪から棒に持ち出された話題に、おれはひどく驚いた。まさか、珠名は小夜子の不貞を疑っているのか?珠名の顔を見る限り、冗談で尋ねているとは思えない。女同士、何か察するところでもあるというのだろうか。


 小夜子はうつむいて、胸の十字架を握りしめている。珠名は言い募る。

「ねぇ、善麿さんはなんて仰ってるの?」

「……善麿さんは、私たちを愛してくださっているわ」

「小夜子さん……」


 小夜子はしばらく黙っていたが、やがて顔を上げた。

「ねぇ、珠名さん。あなたにはいつかきっと全部お話しするわ。大事なお友だちですもの」

 だからお願い、どうか信じてくださいな。小夜子は珠名にすがる。

「……分かったわ。大丈夫、あたくしたち親友ですものね。あたくし、きっとあなたの味方よ」

 珠名は小夜子の肩を抱いた。


 おれはしばし呆然と二人を見ていた。積もった雪のごとく冷えていたはずのおれの心臓が早鐘を打つ。この二人の話は本当なのだろうか、信じられない。


 小夜子はそんな女には見えないと思っていたが、あの黒岩の姪だ。聖母の外面を貼り付けた毒婦なのだろうか。おれが小夜子にあらぬ感情を抱くのも、小夜子が秘めた魔性のしわざなのだろうか。

 黙れ、おれは自らをひっぱたく。小夜子は断じてけがらわしい魔女ではない、おれは彼女を信じていたい。

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