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第2章:歌人は悩まず、湯けむりは明日を夢見る

翌朝。万葉歌人ギルド『月詠(つくよみ)の庵』は、相変わらずのゆるふわオーラをアストラルディアの大気中に拡散していた。受付嬢・水月(みづき)の「絶対零度フィールド」も健在で、昨晩、面白いほどよく冷える新作の氷枕を試作したとかで、いつもより三割増しほど周囲の温度を奪っている。


「さて、皆様お揃いのようですので、これより『伝説の秘湯・万葉の湯源泉復活任務』派遣歌人選定会議、もとい『誰が行くかジャンケン・春場所』を開始いたします」

水月は、ギルドの中央に据えられた巨大な丸太(かつてギルドの庭に生えていたご神木だったが、落雷で倒れた後、歌人たちの歌の発表ステージ兼会議テーブルと化している)の前で、涼やかな声を張り上げた。その手には、なぜか軍配(どこから調達したのかはギルド七不思議の一つ)が握られている。

丸太を囲むのは、岩鉄(がんてつ)、草太(そうた)、歌仙翁(かせんおう)の面々。三者三様、真剣な(ように見える)面持ちで、この一大(?)イベントに臨んでいた。


「ルールは簡単。通常の手によるジャンケンです。三回勝負、最も勝ち星の少ない方が、今回の栄誉ある(そしておそらく非常に面倒くさい)任務にご出発いただきます」

「おいおい水月殿! 普通は勝った者が行くんじゃないのか!? 負け残りが栄誉ある任務って、どういう理屈だ!」

岩鉄が、熊のような巨体に見合わぬ素早さでツッコミを入れた。

水月は、コクリともせずに答える。

「勝ち残った方は、ギルドでお留守番という、さらに栄誉ある(そして確実に楽な)任務に就いていただきます。なお、負けた方は、カザミ様への道中の報告を、毎日最低三首の新作和歌に認めてカラス便で送る義務が発生いたします。遅延した場合は、罰として厨房のあやめさん特製『超弩級激辛七味唐辛子入りあんころ餅』を一週間食べ続けていただきます」

「ひぃっ! それだけは勘弁だ! あの餅は、味覚どころか魂まで焼き尽くされる……!」

岩鉄の顔が青ざめる。経験者のようだった。

草太も、隣で歌詠みイタチのポンキチと一緒に震え上がっている。「きゅ、きゅきゅるる……(訳:あんころ餅の刑は死活問題!)」とポンキチが悲痛な声を上げた。

歌仙翁だけは、「ほっほっほ、儂(わし)は辛いものは少々苦手でのう。これは真剣勝負になりそうじゃ」と、どこか楽しげだ。


「では、第一回戦! はっけよい、のこったのこった!」

水月の軍配が翻る。なぜか相撲の行司風になっているが、誰も気にしない。

「「「最初はグー! ジャンケンポン!!」」」

岩鉄:グー

草太:チョキ

歌仙翁:パー


「歌仙翁の勝ち! 岩鉄殿は草太殿に勝ち! よって、この勝負、あいこでございます!」

水月が厳かに宣言する。

「いやいやいや! あいこじゃないだろ! 明らかに歌仙翁が一人勝ちで、草太殿が一人負けだろうが!」

岩鉄が再び吠えるも、水月は表情一つ変えない。

「岩鉄様。当ギルドのジャンケンは、古式ゆかしい『三すくみ平等互助の精神』に基づいております。すなわち、一人が勝ち、一人が負け、一人があいことなった場合、それはすなわち『全体として見れば万事滞りなく平和である』と解釈し、結果は『あいこ』とするのが慣わしにございます」

「そんな慣わし、今初めて聞いたぞ!?」

「左様でございますか。では、本日よりそれが新たな慣わしとなります。皆様、異論はございませんね?」

水月が有無を言わさぬ絶対零度の視線で三人を射抜くと、岩鉄も草太も歌仙翁も、なぜか神妙に頷いてしまうのだった。このギルドでは、受付嬢の鶴の一声(あるいは氷の一瞥)が、時としてギルドマスターの言葉よりも重いのだ。


水月は、満足そうに(見えないが、たぶん満足しているのだろう)頷き、手元の木簡に何かを書きつけた。


じゃんけんぽん あいこで平和と 嘯(うそぶ)けば 熊もイタチも 翁も頷く


(……なかなか味わい深い戦況ね)

心の中でそんなことを呟きつつ、第二回戦へと進む。

「第二回戦! 歌の道もジャンケンも、精神統一が肝要! のこったのこった!」


「「「最初はグー! ジャンケンポン!!」」」

岩鉄:チョキ

草太:パー

歌仙翁:グー


「……またも三すくみ。あいこでございます」

水月の声は、もはや北極の氷原を渡る風のようだ。

岩鉄はがっくりと肩を落とし、草太は「ぽ、ポンキチ……僕たち、もしかして永遠にジャンケンし続ける運命なのかも……」と弱音を吐く。ポンキチは「きゅー!(訳:諦めたらそこで試合終了ですよ!)」と主人を励ますが、その声もどこか震えている。

歌仙翁は「ほっほっほ、これはなかなかの難産じゃのう。まるで傑作の歌が生まれる前の苦しみのようじゃ」と、相変わらずマイペースだ。


水月は、再び木簡に筆を走らせた。


二度(ふたたび)も 石(いし)はさみ切り 紙(かみ)包み 決着つかぬ 春の昼下がり


(……今日の私、冴えてるわ。歌の神様が降臨しているのかもしれない。あるいは、単にお腹が空いてきただけかもしれないわね。今日の厨房の新作、何だったかしら……『宇宙ぜんざい・ブラックホール風白玉添え』だったかしら)

水月の思考は、万葉の湯の未来よりも、自らの胃袋へと華麗にテレポートしていく。


「では、運命の第三回戦! この一戦で、アストラルディアの温泉文化の未来が……決まるかもしれませんし、決まらないかもしれません! のこったのこった!」

水月の煽りとも言えぬ実況に、三人の緊張感は微妙なレベルで高まる。


「「「最初はグー! ジャンケンポン!!」」」

岩鉄:グー

草太:グー

歌仙翁:グー


「……全員グー。これもまた、あいこでございます」

水月は、もはや感情の起伏を表現する筋肉が完全に退化したかのように、淡々と告げた。

丸太の上には、三つの巨大な拳が、奇妙なオブジェのように突き出されている。

シーン……と、ギルド内に奇妙な沈黙が流れた。

「……あの、水月殿」

おずおずと岩鉄が口を開いた。

「これは、その……どうなるので?」

「左様ですね……」

水月は軍配をあごに当て、しばし考える(ように見える)ポーズを取ったものの、その切れ長の瞳は、窓の外を飛んでいく蝶々の軌跡を寸分の狂いもなく追いかけていた。

「ギルド規定・ジャンケン編、追記事項その72『三連続あいこ、かつ全員同一手の場合の裁定について』に基づき、今回は……」

水月は、一同の視線が集まる中、厳かに宣言した。

「審判であった私、水月が、最も『面倒くさくなさそう』という独断と偏見、今日のラッキーカラー(たぶん濡羽色)、昨晩見た夢(巨大な団子が空を飛んでいた)などを総合的に勘案し、派遣歌人を決定いたします」

「そ、そんな理不尽な!」

岩鉄と草太が同時に叫ぶ。歌仙翁は「ほう、それは面白そうじゃ」と目を輝かせ、ポンキチは「きゅきゅきゅ!(訳:もはや何でもアリですね!)」と半ば呆れていた。


水月は、三人の顔を順番に見回した。その深海の瞳は、それぞれの魂の奥底まで見透かすかのようであり、実際には何も見ていないかのようにも静かに揺らめいた。


(岩鉄様は……力強すぎて、湯船を割りかねないわね。歌で。物理的に。そうなったら温泉どころの話ではなくなるし、修理費用がギルドの経費で落ちるかどうかの判断がまた面倒くさい)

(草太さんは……繊細すぎて、温泉の精霊(いるのか知らないけど)の機嫌を損ねて、逆に呪詛の歌でも詠まれたら、帰ってきてからが面倒くさい。ポンキチ君の通訳も、最近妙に詩的になってきて解読が面倒くさいし)

(歌仙翁は……そもそも現地に辿り着けるかどうかが怪しいわね。途中で見かけた珍しい苔について一日中歌を詠んでそうだし、報告の和歌も『道端のタンポポ 我に語りかける 明日天気になあれ とかそんな感じ』とか、抽象的すぎて解読以前の問題になりそうで面倒くさい)


結論は、一瞬で出た。

「決定いたしました。今回の『万葉の湯源泉復活任務』には……歌仙翁、あなたにご足労願います」

「おお!儂か!これはまた、光栄なことじゃ!」

歌仙翁は嬉しそうに白い髭を撫でた。

岩鉄と草太は、ホッと安堵の息を漏らすと同時に、「え、歌仙翁で大丈夫なの……?」という、より根源的な不安に襲われた。


水月は、迅速に筆を取り、派遣命令書(もちろん木簡)を作成する。


神籤(みくじ)引く 心持ちにて 選ばれし 翁(おきな)ひとりは 湯治(とうじ)の旅路(たびぢ)へ


(うん、完璧だわ。これで少なくとも、ギルドが物理的に破壊されるリスクは減った。あとはカザミ様からのクレーム対応がどれくらい面倒くさいか、それだけが問題ね)

水月は、内心でそっとガッツポーズをした(もちろん、表情は一切変わらない)。


***


その頃、王都魔術アカデミーの研究室で、カザミは落ち着かない様子でソワソワしていた。

(万葉歌人ギルド……本当に大丈夫なんだろうか。受付の人はすごくクールビューティーだけど、何かこう、次元が違うというか……)

昨日、水月から「結果が出次第、カラス便にてお知らせいたします」と言われて以来、彼は空を見上げる回数が格段に増えていた。ついに、その時が来た。

バサバサッという羽音と共に、一羽のカラスが窓枠に止まった。足には、小さな巻物が結び付けられている。

「き、来た!」

カザミは慌てて巻物を解くと、そこには流麗な筆文字でこう書かれていた。


ジャンケンの 激闘の果て 選ばれし 翁の歌声 湯に響くらん

追伸:派遣は歌仙翁に決定。なお、明日の天気はところにより団子時雨(だんごしぐれ)の予報。洗濯物は早めに取り込むべし。 水月


「お、翁……? 歌仙翁……? だ、大丈夫なのか!? それに団子時雨って何だ!?」

カザミの悲鳴は、研究室のフラスコを微かに震わせた。彼の『万葉の湯』復活への道のりは、まだ始まったばかりにもかかわらず、すでに前途多難な暗雲(あるいは団子雲)が立ち込めているようだった。


数日後。いてもたってもいられなくなったカザミは、再び『月詠の庵』の扉を叩いた。

「あ、あの……! 歌仙翁様は、もう出発されたのでしょうか……? 何か、こう、進捗など……」

出迎えたのは、もちろん水月である。彼女は、巨大なそろばん(ギルドにはなぜか古今東西の計算器具が揃っている)を弾きながら、顔も上げずに応じた。

「カザミ様、ようこそ。歌仙翁でしたら、三日前に意気揚々と旅立たれました。『若返りの秘湯で、わしもピチピチになって帰ってくるわい』などと、意味不明な供述……いえ、抱負を語っておられました」

「そ、そうですか……。で、何か連絡は……?」

「はい、本日早朝に、第一報となるカラス便が到着いたしました」

水月はそろばんから手を離し、一枚の和紙をカザミに差し出す。そこには、非常に達筆だが、どこかミミズが這ったような(失礼)文字で、一句詠まれていた。


旅すがら 猫に出会ひて 道草を 食ひて日暮るる 湯はまだ見えず


「……えっと」

カザミは絶句した。これは、進捗報告なのだろうか。ただの猫好き日記なのではないだろうか。

「解読いたしますと、『道中、大変愛らしい三毛猫と運命的な出会いを果たし、そのあまりの可愛らしさに時を忘れて愛でていたら、すっかり日が暮れてしまいました。目的地の温泉はまだ発見できておりません。追伸:この猫、ポンキチ殿に似て賢く、私の膝の上で大変心地よさそうに喉を鳴らしております。飼いたい』とのことでございます」

水月の淡々とした解説が、カザミの精神をさらに削っていく。

「か、飼いたいって……! いや、それ以前に、任務は!?」

「ご安心ください、カザミ様。歌仙翁は、自由を愛する風のようなお方。道草もまた、歌の肥やしとなることでしょう。彼が湯に辿り着くのは、おそらく星々が特別な配置を描く日、あるいは厨房のあやめさんが究極のモンブランを完成させる日、そのいずれかかと」

「ぜ、全然安心できませんっ! もっとこう、具体的な進捗は……!」

カザミの懇願に、水月はほんの少しだけ(本当に目薬一滴分くらい)同情的な視線を向けた……ように見えたが、気のせいだろう。

「では、本日、ギルドより応援……という名の催促部隊を派遣することにいたしましょう。ちょうど手が空いている者がおりますので」

「ほ、本当ですか!? どなたが……!?」

カザミの顔に、わずかな希望の光が差した。屈強な岩鉄か、意外と鋭い草太か。


水月は、奥の部屋に向かって声をかけた。

「岩鉄様ー、草太様ー。ちょっとお使いを頼まれていただけますでしょうかー。内容は『迷子の翁の捜索と、温泉までのナビゲート、および道草の阻止』でございますー。成功報酬は、あやめさん特製『虹色わたあめ・雲海仕立て』でございますー」

「「おおーっ! 虹色わたあめ!! 行きます、行かせていただきます!!」」

奥から、野太い声とやや高い声が、食い気味に返ってきた。ギルドメンバーは、甘いものに本当に弱いらしい。


水月は、満足げに(見えないが、気配で分かる)カザミに向き直った。

「と、いうことでございます。これで、歌仙翁が万葉の湯に辿り着く確率は、3パーセントほど上昇したかと存じます」

「さ、3パーセント……!?」

ツッコむ気力も失せたカザミは、ふらふらとギルドを後にした。彼の背中に、水月はまたしても心の中で(おそらく)エールを送った。「頑張れカザミ、負けるなカザミ、アストラルディアの明日は君の胃痛にかかっている(かもしれない)」と。


水月は再び受付の椅子に深く腰掛け、手元の木簡(今日だけで5枚目)に筆を走らせる。それは、カザミへの同情の歌でも、歌仙翁の道中を案じる歌でもない。全く関係のない、ただ目の前のインク壺の美しい濡羽色にインスパイアされただけの、そんな歌だった。


墨染めの 壺の深みに 映りたる 我が面(おも)影は 今日も眠たし


(……ああ、眠い。こんな日は、いっそ受付で歌でも詠みながら昼寝でもしたいものだわ。そうだ、次の依頼人が来たら、『あなたの人生の悲哀を五七五七七で表現できたら、今日はギルドお休みします』キャンペーンでもやろうかしら。成功率は限りなくゼロに近いでしょうけど)

水月の脳内では、そんな非生産的かつ斬新なアイデアが、春の野のつくしのように次々と頭をもたげては消えていくのだった。


***


一方、歌仙翁捜索隊として旅立った岩鉄と草太(そしてポンキチ)。彼らは、出発早々、最初の試練に直面していた。

「なあ草太殿、どっちの道が近道だと思う?」

岩鉄が、二股に分かれた道の前で首を捻る。片方は鬱蒼とした森へ、もう片方はキラキラと輝くお花畑へと続いている。

「ええと……地図によれば、森の方が直線距離は短いですが……お花畑の先には、伝説の『歌う蜜蜂』の巣があるとか……」

草太が、古ぼけた地図(歌仙翁が忘れていったもの)を広げながら答える。

ポンキチが「きゅきゅきゅ! きゅー!(訳:蜜蜂の歌は創作意欲を刺激しますぞ!回り道でも行く価値あり!)」と、目を輝かせている。

「よし! ならばお花畑だ! 歌う蜜蜂と歌合戦としゃれこもうではないか! きっと新しい代表作が生まれるに違いない!」

岩鉄は、早くも目的を忘れ、創作モードに突入していた。

「ええっ!? い、岩鉄さん、僕たちは歌仙翁を探しに……」

「大丈夫だ、草太殿! 歌仙翁も、きっとこの美しい花々と蜜蜂の歌声に誘われて、この道を選んでいるに違いない! 我々の歌人としての魂がそう告げている!」

根拠のない自信に満ち溢れた岩鉄の言葉に、草太は(またか……)と思いつつも、結局逆らえない。

かくして、捜索隊は開始早々から華麗に道草を決定。その様子は、数日後、水月の元へカラス便(なぜか非常にデコラティブな装飾が施されている)で報告されることになる。


カラス便の内容(一部抜粋):

岩鉄作:

花園に 勇み足踏む もののふは 翁忘れて 蜜蜂と舞う

草太作:

ポンキチの 導きあらば 迷うとも 甘き蜜吸う 夢路なりけり


水月は、その報告書を読みながら、無表情のまま、眉間に一本、見えないシワを刻み込んだ(ように周囲の者には感じられた)。

「……このギルドの人間は、どうしてこうも簡単に目的を見失うのかしら。ある意味、非常に一貫性があって素晴らしいとも言えるが……はあ」

小さなため息と共に、水月は新たな木簡を用意した。そこに書かれたのは、もはや諦観の境地すら感じさせる一句。


迷子の子 見つける旅も また迷子 果てなき道は アストラルディア


(まあ、いいわ。どうせ万葉の湯の源泉も、誰かがうっかり栓を閉めちゃっただけ、とかそんなオチなんでしょう。アストラルディアの伝説なんて、だいたいそんなものよ)

水月の脳内データベースに蓄積された、過去の数々のゆるふわ案件が、その推論を強く後押ししていた。

例えば、かつて「国を滅ぼす呪いの歌」と恐れられた歌が、実は「寝起きの悪い王様を起こすための、やたらとリズム感の良い子守唄」だったとか、「凶暴なドラゴンが村を襲う」という依頼で出動したら、ドラゴンはただ歯痛で苦しんでいただけだった(歌人たちが歌で治療し、その後ドラゴンはギルドの熱狂的なファンになった)など、枚挙にいとまがない。


そんなことを考えていると、ギルドの扉がギギギ、と重々しい音を立てて開いた。

現れたのは、意外な人物だった。

「た、頼もう! ここに、歌の力を試したい者がいると聞いてまかりこした!」

立っていたのは、全身を鎧で固め、腰には巨大な剣を佩いた、見るからに歴戦の騎士といった風情の男だったが、その表情はなぜか不安げで、瞳は小動物のように揺れていた。

「……どちら様でございましょうか。本日は、騎士団の慰安旅行のご相談でしょうか、それとも愛馬へのラブソング代筆のご依頼でしょうか」

水月は、いつもの絶対零度ボイスで応じる。内心では(また面倒くさいのが来たわ……今日の私のノルマはもう達成したはずなのに)と、盛大にため息をついていた。


「わ、私は、王国騎士団・第三遊撃部隊隊長、ライオネルと申す! 実は……我が部隊に、どうにもこうにも士気の上がらぬ兵士が一人いてな……」

ライオネルは、意外にもか細い声で語り始めた。

「先日、あまりに覇気がないので理由を問いただしたところ、『隊長の兜の飾りが、どうも左右非対称なのが気になって、夜も眠れないのです』などと申すのだ! 馬鹿な! 我が兜の飾りは、初代国王より賜りし由緒正しきグリフォンの羽! アシンメトリーこそが、その斬新な美しさの秘訣だというのに!」

美意識に関する個人的な悩みのようだった。なぜそれを歌人ギルドに?


「そこで! お主たち歌人に、その兵士の心を奮い立たせるような、こう、魂を揺さぶる戦いの歌を詠んでもらいたいのだ! 我が兜の飾りの素晴らしさを、宇宙の真理として脳髄に刻み込むような、そんな圧倒的な歌を!」

ライオネルの剣幕は凄まじいが、言っている内容はやはりどこかズレている。

水月は、一瞬(本当にコンマ数秒)、虚空を見つめてから、ゆっくりと口を開いた。

「承知いたしました。では、まず隊長殿の兜の素晴らしさを、私が一句詠んで差し上げましょう。それをその兵士の方に聞かせれば、あるいは一発で解決するやもしれません」

「お、おお! さすがは月詠の庵の受付嬢殿! 話が早い!」

ライオネルは期待に目を輝かせる。

水月は、すっと息を吸い込み、鈴を振るような、しかしマイナス二百度の冷気を伴った声で詠いあげた。


兜の羽 非対称(アシメ)にぞ鳴る 風の音(ね)は 右か左か 主(あるじ)のみ知る


「…………」

ライオネルは、ポカンとした顔で水月を見つめている。数秒の沈黙の後、

「……えっと、つまり、どういう……? 私の兜は、カッコいいということでいいのかな……?」

「解釈はご自由に。ただ、その兵士の方が納得されるかどうかは、私にも分かりかねます。なにしろ、美意識というものは、宇宙に存在する星の数よりも多様で、かつ厄介なものでございますから」

水月は、そう言って肩をすくめる(ように見えたが、実際には微動だにしていない)。


「そ、そうか……。ううむ、歌とは、なんと奥深いものなのだ……!」

ライオネルは、何やら一人で深く納得したかのようにうんうんと頷くと、やおら懐から大きな革袋を取り出し、カウンターにドンと置いた。

「これは手付金だ! 残りの兵士への説得歌も、引き続き頼む! 最も効果的な歌を詠んでくれた歌人には、我が秘蔵の『熟成干し肉一年分』を進呈しよう!」

そう言い残し、ライオネルは嵐のように去っていった。残されたのは、カウンターの上の革袋(中には結構な額の金貨が入っていた)と、呆然とする水月(に見えるが、実際は『今日の夕飯、干し肉を使った何か新しいレシピをあやめさんに提案してみようかしら。干し肉と白玉の甘辛炒めとか、斬新でいいかもしれない』などと考えていた)。


やれやれ、と本日何度目か分からないため息(の代わりに無表情でまばたきをする)をついた水月は、その革袋を掴むと、おもむろに木簡に新しい一句を書きつけた。


騎士来たり 干し肉賭けて 歌合戦 次の騒ぎは 兜か干し肉か


「……本当に、このギルドは退屈しないわね。いろんな意味で」

その呟きは、午後の陽光が差し込むギルドの中に、静かに溶けていった。

万葉の湯の源泉がどうなるのか、歌仙翁は無事帰還できるのか、ライオネルの部下の兵士の悩みは解決するのか。

そんなことは、アストラルディアのそよ風だけが知っているのかもしれないし、誰も気にしていないのかもしれない。なにしろ、このギルドでは、今日も今日とて、意味のない歌が生まれ、ゆるふわな時間がただただ流れていくのだから。

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