ぼくたち三人は、50メートルを全力疾走し、少し疲れたので校庭の端に行き休憩をしていた。
すぐ近くで走り幅跳びをしていたので、なにげなくカイトや山田と話をしながら眺めていた。あ! ナギだ!! 気がついたら砂場の周りに結構生徒たちが集まってきていた。みんなナギが気になっているんだな。人型ユニットといってもかわいい女子には違いない。
◯
ナギは助走路に立つと、スッと息を吸う。
特に気合いを入れる様子はない。
合図と共に走り出したナギの動きは、軽やかで全くぶれがない。踏切板を正確に踏み込み、宙に舞うそのフォームは、体操選手の演技のように美しかった。
砂場に着地したナギの記録が読み上げられると、周囲から小さなどよめきが起こった。同級生の中でもかなり良い記録だったのだ。
その流れるような、完璧な動きに、校庭にいたみんなが注目し、驚きや感嘆の声を漏らしている。山田は、口を開けてナギの動きに見とれていた。
咲良の番になった。
ナギの見事なジャンプを見たからか、咲良はすうぅぅっと、深く息を吸い込んで気持ちを落ち着けていた。いつもの癖だ。
「よしっ! いくぞ、わたし……!」
咲良のやつ……なんだかずいぶんと気合い入ってるみたいだな。
タッタッタッタッタッ――
助走のスピードを上げ、勢いをつけて踏切板に向かう。
「あーーっ! 高野さん、足! 足!」
計測係の先生が声をかけるも……。板の少しの手前のあたりで、何もないのにつまずいて身体が前のめりにそのまま進んでいった。
おいおい。
ずるるーーーっ、すってーーーん。
足をとられ、砂の中に深く頭から突っ込んでしまった。手足が不自然な方向に跳ね上がり、顔が見えない……。すぐさま咲良は起き上がって、「うわっ、ぺっぺっ!」ととりあえず口の中の砂を吐き出した。
「やだぁ……もうっ!」
周りが注目している。
「あーあ」という少し笑い気味な声がそこかしこから聞こえてくる。
「ぶふっ!」
一瞬静まりかえった後、ナギを見に集まっていた周りの生徒たちから一斉に笑いが起こった。咲良らしいというか、何というか。
「あちゃー……。やっちゃったよ、咲良……」ぼくは顔を手で覆いながら言った。これまでに何度このセリフを吐いたことか……。咲良はわりと運動神経もいいんだけど、どこかポンコツなんだよなあ。でも、まあそんなところもあいつらしい。砂まみれになっている咲良を見て、ちょっと可哀想になったし、何だか放っておけない気持ちになった。
◯
咲良とナギは、最後の計測として体育館の中でやっている立位体前屈ブースに向かった。砂まみれになった咲良のことが気になったのもあったが、そういえばぼくら三人もまだ計測していなかったので咲良たちを追いかけて体育館に向かうことにした。地味な感じで山田も興味なさそうだったから結局最後まで残ってたんだよなあ。
立位体前屈は、身体の柔軟性を測る種目だ。
咲良の番がきた。さっき体育館の入口付近で、一所懸命に砂を払い落としてた。ナギも一緒になって砂を落とすのを手伝っていた。ナギってそんなこともするんだな。
さっきの走幅跳びの失敗を引きずっているかと思いきや、咲良は「今度こそ!」と気合いを入れて、ゆっくりと体を倒していった。いや、気合とかでなんとかなる種目か? と思ったが、ぼくはしなやかに曲がっていく咲良の背中の曲線をじぃぃっと眺めていた。
――咲良は顔を真っ赤にしながら指先を伸ばすと、測定器のメモリは平均よりもかなり良い数値を示した。
「おおー!」という声が周りから上がった。
「えっへん!」と咲良はちょっと得意げな顔をした。
そして、ナギの番だ。ナギは何の力みもなく、ただスッと立ち位置についた。
そして、呼吸と共に、まるで折り畳み人形のように滑らかに、淀みなく上半身を前へと倒していく。その動きには一点の揺らぎも無駄もない。ナギと比較すると咲良の背中って妙に柔らかそうだったな。
――記録が表示される。
ナギの数値は、咲良ほどではないが、やはり平均的な範囲内だった。走幅跳と同じく、完璧な動きなのに記録は「平均」。
「ナギ、すごい柔らかいね!」
咲良が声をかける。ナギは、測定器から離れると、静かに口を開いた。
(ナギの思考ロジック:咲良の筋肉量を測定――分析を開始)
「――解析完了。女性の個体は、男性と比較して筋肉が和らい構造をしているため、一般的に柔軟性が高い傾向にあります。特に咲良さんの個体は、体幹部の筋肉量が他の個体より少なく、これにより平均を上回る柔軟性を発揮したと分析します」
「んもおっ、もうっ! ナギってば、わたしの体を調べすぎィ」
「ぷよぷよってことなのぉぉぉぉ?」
「お願いだから、柔らかいとこを刺激しないでよぉぉ」
「
は?! ナギが咲良の腹をつまんだ!! それも体操着を
「ちょっ!! またぁぁぁぁ、やめてってば!!」
と、少し困ったような、でも怒っているわけではない苦笑いを浮かべていた。いやいやいや、ぼくは今とんでもないものを目撃してしまった……女子トークと女子のスキンシップ……。見ているだけで恥ずかしい……。
周りの生徒たちも、ナギの冷静すぎる解説と、咲良の腹……もとい
……ナギって、本当に人間を「データ」として見てるんだな……。ぼくは、ナギの非人間的な正確さと、データ分析能力をまざまざと見せつけられた気がした。同時に、どんなに完璧な分析でも、ああいう風に言われたら咲良みたいに困っちゃうのが「人間」なんだな、とも思った。
◯
全ての体力測定が終了した。生徒たちは皆、疲れ果てていた。校庭のあちこちに座り込んだり、地面に寝転がったりして、互いの記録について話したり、ただ息を整えたりしている。身体能力の限界まで体を動かした後の、独特の疲労感と達成感、あるいは悔しさが入り混じった空気が漂っている。
そんな中、カイトとナギは、まるで何もなかったかのように立っていた。顔色一つ変わらず、呼吸も全く乱れていない。汗をかいている様子もなければ、疲労の色も全く見えない。疲れ切った人間たちとの対比が、あまりにも鮮やかだった。
「体力測定の結果について、データ分析を行います」
カイトが、近くにいた先生と研究員らしき大人に向かって、淡々と報告を始めた。
「人間の個体は、身体能力の限界に達すると、感情的な反応を示しました。これはパフォーマンスにどのような影響を与えるデータでしょうか?」
ナギもそれに続く。
「特定の個体に見られたパフォーマンスのばらつきは、心理的要因と肉体的限界の相互作用によるものと推測されます。疲労度と感情表現の相関関係について、さらなるデータ収集が必要です」
二人は、まるで教科書を読んでいるかのように、自分たちの記録や人間たちの反応を「データ」として冷静に分析している。彼らにとって、今日の体力測定は、感情や努力の結果ではなく、単なる観測データでしかないようだった。
「はー、疲れた……。カイトとナギ、マジすげえな。全然疲れてねえじゃん。さすがアンドロイドだな……」
山田が地面に座り込みながら息を切らしている。
「ナギの動きもすごかったけど、なんかこう、滑らかすぎて気持ち悪かったっていうか……。ちょっと怖かったかもな」
ぼくも隣にしゃがみ込む。
「カイトもな。50メートル走のフォームとか完璧すぎたけど、あのタイムって……。あんなに綺麗なのに普通って、なんか変だろ」
他の生徒たちからも、人型ユニットに対する様々な声が聞こえてくる。
「カイトカッコよかった!」
「ナギの動き、芸術的だったよね」
「でもなんか、やっぱりロボットみたいで怖かった」
「うちらの頑張りって、カイトたちから見たらデータでしかないのかな」
◯
放課後。疲れ果てていた生徒たちは、解散の合図を聞いて、ホッとしたような、名残惜しいような顔で体育館や校庭を後にし始めた。皆、下校準備をする。
「タケル、お疲れ。一緒に帰ろ」
「咲良もお疲れ。頭から砂に突っ込んでたけど、あれ大丈夫だったか? 首とか……」
「もう! 見てたの? 恥ずかしいなぁ……」
咲良はぷぅっと頬を膨らませる。
「でも、ナギもすごかったねー! あんなに綺麗に跳べるんだなってびっくりした!」
「ああ、ナギすごかったな。カイトもだよ。なんか、人間離れしてるっていうか……」
咲良の腹が見えてたことは黙っておこう。全男子生徒たちの秘密だ……。
「だよねー。なんか、全然息も乱れてなかったし、疲れてる様子なかったもん」
咲良は少し首を傾げる。まぁ、ロボットだから、機械だからな……。
「綺麗だし、すごいんだけど、なんか……なんだか、やっぱりどこかロボットとしか思えなかった、かな」
来週は健康診断だ。人間の健康診断に加えて、カイトとナギは研究所の人が診断するらしい。体の外側は平均的な中学生でも、その「中身」はきっと、ぼくたちの想像もつかないほど複雑で、秘密に満ちているのだろう。もしかしたら、健康診断で、汎用人型人工知能ユニットの内側に、もっと踏み込むことになるのかもしれない。
―― 第5話 おわり ――