リュートは盗賊を見送って二人の事を考えると、ゾッと水を浴びたような気になった。
ファルーンは、ハープが無ければただの子供だ。
その肝心のハープは、自分の背にある。なんてことだ、なんて……
「二人を………戻らねば!救いに行くぞ!」
「なりません!」
身を返そうとするリュートを、馬上で従者が引き留める。
「我ら3人に何が出来ましょう。あなた様に何かあっては取り返しが付きません。ここは我慢なさって下さい。」
「見て見ぬふりをせよというのか!」
憤(いきどお)り、リュートが馬を切り返す。
しかしそれを遮るようにもう一人の馬が道をふさいだ。
「ご婚礼を控えての、この旅もようやく終わるのです。
あちらも関所を構える街なれば、きっと防御も万全なはず。あなたにはまだ、やるべき事が山積しております。
このような所でケガでもなさったら何とされます!」
「うぬう。」
ギリギリと唇をかみしめ、リュートがうつむき手綱を握りしめる。
従者が言うことは、それは自分のため国のためを思っての、ごく当たり前のことだ。
占いでこの旅に出ることになった時のひどく心配をしていた両親の顔が、リュートの脳裏にはいつも浮かんでいる。
だからこそ、危険なことには出来るだけ首を出さず、傍観者として耐えても来たのだ。
「しかし……」
背に背負った彼女の暖かさと柔らかさ
明るく笑い、そして意地っ張りの
彼女の、涙……
「しかし!!」
カッとリュートの胸が熱くなる。
燃える眼で顔を上げたその表情に、従者が気圧されながらそれでも立ちはだかった。
「そこを通せ。」
「なりません、どうしてもと仰るのなら、この身をていしてでもお止めいたします。」
「そこを、通せ!」
その彼の険しく恐ろしいほどの顔を、従者は初めて見た。
それに内心恐れおののきながら、その場を動くわけにはいかない。
2人の従者は絶対に通すわけに行かぬと、彼の前に立ちはだかり首を振る。
それは心から彼の身を案じての気持ちからであることに、変わりはなかった。
「なりません!」
「リュート様、隣国の王女との婚礼をどうなさるおつもりか!あなたのお身体は、あなた一人の物ではありません。それはおわかりのはず!」
「くっ!」
唇をかみながら、それをわかっているからこそ、心で葛藤しているのだ。
しかし、彼の心には彼女の存在が大きく膨らんでいる。
それはこうして距離を離せば離すほど、刻み込まれて胸が張り裂けそうになる。
「こんな、ハープなど……この私に盗賊まがいの事をさせておきながら、何が王家に幸運だ!
見たこともない王女を誰が愛せようか!私には、もう心に決めた人がいるのだ!」
声を張り上げた瞬間、背中のハープが小さく震えた。
…………ポロン…………ポロン……
「なに?!」
ポロロロロンポロンポロンポロン
ポロロンポロンポロン
リュートの背中でハープが激しく鳴り響く。
ビクンと馬が、せわしく足踏みし始めた。
ヒイイイン!!ヒヒンヒヒヒヒンン!
馬たちが、いきり立つようにいななきを上げ、突然街へ向けて走り出す。
「うおおお!一体これは!どう!どう!」
「まさか、ハープの呪いか!馬が止まらん!」
必死で御者が押さえ込むが、馬はまったく言うことを聞くふうもなく、一目散に街へと向かう。
今は振り落とされないように、必死でしがみつくので精一杯だ。
「……はは、ははは!ファルーンよ、これもハープの力なのか?!頼むぞ!急げ!」
リュートは助かったと心から礼を言うと、サラの無事を願いながら彼女の危機に間に合うことだけを祈って馬を急がせた。
昨日は初めての外食に落ち着かなかったサラも、今日は勝手が違った。
ファルーンに頼っていた自分が、今度は頼られる立場なのだ。
しっかりしていないと、本当のファルーンはボウッとしてボタボタと食事を落としてしまう。
心ここにあらずの彼は、手が空けば何かにつけてピンピンとコップを弾いて音を奏でていた。
「あなたは本当に、音が好きなのね。まるで楽器みたい。そうね、楽器だったんだものね。」
「はあ」
口元を汚して、話しかけるサラに首をかしげる。
「ほら、口をおふきなさい。」
タオルを差し出しても、ボウッとそれを見つめてはポンポンと叩いて遊ぶ。
サラはため息をついて立ち上がると、身を乗り出し彼の口を拭いた。
「うっぷ、うぷ、は、はあ。」
ふにふにと顔を拭かれる間、呼吸を妨げられて苦しそうに眉をひそめ、ため息をつく。
何だかその様子が可愛くて、サラがキャッと笑った。
「ウフフ、あなたって、手はかかるけどハープのファルーンより可愛いかもね。
だって、あっちのファルーンったら、こーんなにキリッとしちゃって、ちっとも子供らしくないの。
たまにはポワッとしてもいいと思うのよ。」
「はあ」
「はあって気の抜けた返事でも、一応返事はいいのよね。まあ、聞いてるのかわかんないけど。」
クスッと笑い、サラも食事を続ける。すると突然、外の方が騒がしくなった。
「きゃああっ」「誰か、助けてくれ!」
「逃げろ!」
外で、ワアワアと人々が声を上げ、食堂の中の人々も一斉に立ち上がる。
「どうする!」
「逃げろ!」「どこへ?!」
皆バタバタと食堂を右往左往しはじめた。
「なあに?」
ピンと来ないサラが、外を見ようと立ち上がる。その手を突然ファルーンがグッと掴んだ。
「なりません、さあ、逃げるのです。」
その顔は、戻ってきたハープの精のファルーンの顔だ。
「まあ!やっと戻ってきたのね?ひどいわ、私一人残して!」
「それは後ほど。早くこちらへ!」
彼はグイグイと店の奥へと腕を引く。しかしサラは、とにかく様子を見ようと店の表へと身を乗り出した。
「どうして逃げる必要が?何故皆慌てるの?騒ぎがあるのは外でしょう?」
「なりません!」
たまらず、ファルーンが彼女の前を遮り、そして抱きつくように押す。そして、厳しい顔を上げた。
「あれは、盗賊です!」