大きな外輪船が、桟橋に舷梯を下ろした。実用化されて十数年の蒸気機関は、こうして教会領とジヅルとを結ぶ定期便に使われている。
中継地点であるジヅルで降りたラハンとサーデルは、ボルトアクションライフルとサーベルを装備した衛兵の間を通り抜けて港を進む。
「さーて、どこ行く?」
「市長に挨拶をするべきだ。暫く世話になるだろうからな」
「あいよ。とは言っても、この街のこと何も知らねえからなあ。まず道聞かねえと」
盾をマントの上に背負い、剣を左腰に佩く。街中で武装するに当たって、教会騎士のような外部の人間は、国ごとに認可を受けなければならない。左手に提げたトランクを調べられ、その取手に結わえてある、教会発行の身分証に魔法の印が押される。
麻薬などの禁制品がないことを確認した上で、武器の所持が認められ、街に迎えられるのだ。
上質な白いシャツに黒いスラックスを合わせ、それらを青いマントで覆った彼らは、大通りを進む。まだ朝早いこともあって、街は静かだった。
ジヅルは水の都と呼ばれている。少し歩けば水路に出て、ボートに出会う。その上で煙草を喫んでいる船主に、ラハンが話しかけた。
「五ジャカ」
船主はぶっきら棒に言った。
「五ジャカで市長の屋敷まで連れてってやる」
パン一斤が一ジャカであるから、大した額ではない。若い濃紺の騎士は何も疑わずに銀貨を五枚渡し、船に乗った。サーデルが俺も俺も、と乗り込もうとすれば、止められる。
「一人五ジャカだ」
斯くして出発したボートは、朝の静寂に包まれた水路を進んでいく。
「兄ちゃんたち、教会騎士だろう」
「そうだが、なんだ」
「ホントは荷物の重い奴は十五ジャカくらい吹っ掛けるんだが、騎士様にンなことしたら罰が当たっちまうんでな」
「何なら五十ジャカ払ってやろうか?」
サーデルが調子のいいことを言うので、船主は硬い表情を僅かに綻ばせた。
「兄ちゃんたちはなんでこの街に来たんだ。ドラゴンでも出るのか?」
「あー……」
二人の騎士は、出発直前に言い渡された言葉を思い出す。市民に無用な不安を与えないために、魔王復活の兆しアリ、という情報は伏せよと告げられていたのだ。
「俺たちさ、こないだ叙任──騎士になること叙任って言うんだけど、まあ、それはいいか。まだまだ新米だからさ、武者修行って言うか? そんな感じのことしてんだよ」
早口でサーデルが捲し立てた。
「そうか、何か良くないことが起きているんだな」
若人たちは苦い顔を向け合った。
「少し、市長と話したいことがあるんだ。すまない、詳しいことは言えない」
ラハンがそう言って頭を下げる。
「いいんだ、オレみたいな馬鹿は聞いてもわかんねえだろうからな」
学校に出かける子供の列が見えた。
「銀髪の兄ちゃん、名前は」
「俺? サーデルだよ。十八」
「いい名前だ。オレのガキも兄ちゃんと同じくらいでな。今度算数の先生になるんだとさ。金勘定しか計算なんてできない奴のガキなのにな」
水が船体を打って、微かな音を立てる。それを聞きながら、三十分。政府庁舎前の船乗り場に到着した。
「長生きしろよ、紺色の兄ちゃんもな」
庁舎は、高い尖塔を有する宮殿といった外観だった。大理石と瑪瑙で飾られ、正面玄関には時計塔が立っている。その足元のアーチを潜り、ラハンは硝子の向こうで座る受付嬢に声をかけた。
「教会騎士ラハンだ。市長と話がしたい」
港で判が押された身分証を見せれば、それだけでアポイントメントがなくとも通される。嬢は青燐盤にも似た魔導具で市長に一言二言連絡した。
「市長の執務室は四階です。こちらの札を見せれば、衛兵も素通りできます」
硝子の下にある穴から、二枚の札が差し出される。
「ありがとう、それでは」
二人は足早に事務仕事をする者たちが集う空間を通り抜け、奥の階段へ向かった。
「なあ、宿に荷物置くのが先だったんじゃねえか?」
「これで終われば宿に泊まる必要もないだろう」
「大層な自信ですねえ、ラハン様」
この時、ラハンは信仰とは万人に普遍的なものであると思っていた。それはある意味では正しい。誰もが何らかに縋っているのだから。だが、それ以上の実利というものを、まだ計算できていなかった。
「お断り申し上げます」
禿頭の市長は、黒革のソファに腰掛け、向かい側の騎士にきっぱりと言い切った。
「ジヅルが都市国家としてやっていけるのは、偏に勇者様の聖骸を保管している聖地であるから。手放せば、カマ王国との対等なやり取りはできなくなります」
「一部でもいいのです」
ラハンが迫る。
「遺体が欠損していると民衆に知られれば、政府としての立場も危うくなるやもしれない。どうかご理解ください」
三つ揃いの黒い背広で、市長は暗い顔を見せる。
「魔王の復活。それは由々しき事態です。ですがね、千年前にはなかった技術が我々にはある。わざわざ都市を危険に晒す意味もないでしょう」
「聖なる力が必要なのです」
「どれだけの銀貨を寄付したか、教会も知らぬわけではないでしょう。その上で、最も大切な聖骸を寄越せと強請る。聖骸は何より強力な魔除けです。魔物がこの街を襲わないのは、それがあるから。ご理解いただけますかな?」
結局、交渉はそれ以上進まなかった。また来る、とだけ言って二人の騎士は庁舎を去る。騎士館の一室を借りて、荷物を下ろした。質素だが綺麗な、ベッドが二つと机があるだけの部屋だ。
「どーするよ。あの態度じゃ、代わりの魔除けでも用意しなきゃ渡してくれねえぜ?」
「そして、聖骸の代替品など存在しない」
「そういうこった」
腕を組んで、ローテーブルを挟む。
「何か、実績があればいいのかもしれない」
「実績ィ?」
「そう。恩を売る……と言うと聞こえが悪いが」
「よし! じゃあ、ここら辺の魔物退治して、遺体を少しだけ貰おうぜ」
勢いよく立ち上がったサーデルは、右の拳で左の掌を叩いた。特に異論を挟むこともなく、ラハンと二人で一階に下りた。
騎士館は、騎士に対して任務を斡旋する役割も持つ。受付の新聞を読んでいる男に訊けば、この一帯の魔物被害について教えてくれる。
「ドラゴン、ねえ」
男が見せた、とびっきりの依頼だ。数年に一度ドラゴンが目覚めて、農村を襲うというのだ。撃退こそできているが、本格的な討伐は難しいと判断され、もう十五年が経つと。
「何故討伐できないんだ」
「ドラゴンというのは、そんじょそこらの魔法じゃ傷つかない。聖なる炎が必要なのさ」
「なら、ちょうどいいじゃねえか。ここにその聖なる炎の使い手がいるぜ」
サーデルに肩を組まれ、ラハンは頷いた。
「この依頼、ラハンとサーデルが受けた。すぐにでも出発する」
二人の騎士を見送って、男は呟く。
「若いねえ」
騒がしさを持った街を抜け、地図を頼りに北の門へ向かう。入り組んだ水路をボートで進み、一時間ほど。すっかり太陽も昇って、暖かくなってきた。
衛兵に身分証を出して、門を通過。乗合馬車に飛び込んで、ドラゴンが出るという農村へ。だが、村が見えた頃、馬車が止まった。
「出、出やがった!」
御者が叫ぶ。
「引き返しますんで! すんません!」
なんだなんだと騎士が窓から顔を出せば、赤い鱗のドラゴンが空を舞っていた。村に向かって鱗と同じ色の炎を吐き、黒々とした煙を生み出している。
「いや、ここで降りる」
下車したラハンは剣を抜き、盾を構える。盾の裏に刻まれた魔法陣が輝いたと思えば、彼の体を青白い鎧が包んだ。最後に現れたヘルメットが、顔を隠す。
「俺は、あれを倒しに来たからな」
カシャン、と踏み出す。
「サーデル、怪我人の救護を」
「あいよ。手早く片付けてくれよな」
ラハンの剣身を、蒼い炎が包む。魔を祓う、神聖なる蒼い炎だ。