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タルカ族との出会い

 タルカ平原と呼ばれる土地に、同じ名前の民族が暮らしている。家畜を育て、その肉や乳、毛皮を使って生活しているのだ。


 そんな彼らも、何もかもを自給自足しているわけではなく、時折、ジヅル近傍の村との間で交易を行っている。


 ラハン一行が訪れたのも、そのために用意された交易所だ。貨幣を持たないタルカ族は、物々交換で様々なものを入手する。その一つが、果実を用いた菓子や酒だった。


 色とりどりの天幕が張られ、その下で陶器を売る者。質の高い乳を手に入れるため、ジヅルで仕入れた菓子を売る商人。だが、見るからに世間に慣れていない青年を相手にする者はいなかった。


「どーするよ」


 道端に座り込んでびくともしないラハンに、サーデルが言った。盾は背中から外し、傍らに置いてある。


「何かないか? 呼び込みに使える文句というのは……」


 インサに問うたか、サーデルに問うたか。それもはっきりしない声でラハンが言う。


「私の家も、直接商売してたわけじゃないですからねえ……」


 そんな彼らの背後に、小さな影が忍び寄った。サーデルの盾に少しずつ手を伸ばし、ついに触れた。引っ張ろうとしたその影は、あまりの重さに尻餅をついた。


「重っ!」


 あどけなさが残る声に振り向けば、盾を確と握ったオレンジ色の髪をした少女がそこにいた。


「お前、もしかして──」

「たいさーん!」

「てめっ、待てコラ!」


 少女を追いかけて、遠い夕焼けに照らされる市場へとサーデルが走り出す。


「行くぞ」


 ワイン片手に、ラハンも駆けた。しかし、あまりに人が多い。どうやら、今日は多くの家が一斉に集まる日のようだった。


 人の波をかき分け、暫く。


「攫われるー!」


 という悲鳴が聞こえてきた。騎士としてそれは見過ごせない。


「先にあちらへ行くぞ」


 インサを担ぎ上げて、彼は更に速く走った。


 十五分ほど、忙しなく脚を動かした。ようやく見えてきた誘拐犯の正体は、サーデルだった。小さな体を肩に担ぎ、誰かを探している。


「サーデル、何を……」

「俺の盾盗ろうとしたんだよ。親見つけて謝らせてやる」

「子供だぞ?」

「うっせえ。ガキだろうが何だろうが、盗みは許せねえ。それも盾だぞ⁉ お前が甘いんだよ」


 反駁のしようもないが、それはそれとしてラハンは友人に、少女を下すよう勧めた。


「ガキ、名前は」

「……アネ」


 手を握られたまま、その少女は呟く。腰に片手で保持できるサイズのクロスボウを下げ、背中にはリュートがかけてある。腰背部には矢筒だ。


「盾盗んで何するつもりだった」

「いい素材でできてそうだから、売ろうかなって」

「紋章付きの盾を買い取ってくれるやつはな、まともな商売やってねえんだぞ。いいか、長生きしたきゃ盗みなんざやめろ」


 その後も、サーデルは言葉を変えて盗みをやめろと何度も言う。そうしている内に、これまた小さな家族がやってきた。一番大きい、父らしい男でも百五十センチほど。これが、タルカ族だ。


「えっと、うちのアネが、何か?」

「俺の盾を持っていこうとしたんだ。全く、ちゃんと教育してんのか?」

「なんと! 本当に申し訳ございません。どうお詫びすればいいか……アネも普段から盗みをやるわけではないのです、ほんの悪戯心と申しますか……」


 次の句を吐き出そうとしたサーデルを、ラハンが止める。そして、こう言う。


「一つ、提案がある」

「はい、何なりと」

「カマ王国に行きたいが、そのために草原を抜ける必要がある。案内してくれ」

「おいおい!」


 銀髪の騎士が大声を出す。


「盗人を信じるのかよ!」

「交易で約束を交わすのは難しいと判断した。使える貸しは使うべきだ」

「……ああそうかい。俺は反対したからな」


 彼は頭を掻いて了承した。


「北ルートであれば、問題なく。少々厄介な魔物も出ますが……」

「その程度なら対処できる」

「わかりました。お手伝い致しましょう。私はシンプ。こちらは妻のシンロー」


 アネとよく似たオレンジ色の髪の女性だ。


「それで、こっちはアーニーです。長女となります」


 シンプは真っ赤な髪をしており、アーニーの方も同じ色だった。


「ラハン。教会騎士だ」


 握手を交わして、交渉が成立した。


「教会騎士の方は、以前ご一緒させていただいたことがあります」


 テントに向かう道中、シンローが言った。


「セオドラン様、だったでしょうか。大変誠実な方でした」

「セオドランは俺の師だ」

「なんと! これも風の導きでしょうか」

「風の導き?」


 段々と、テントとこぶのある家畜が密集する場所が近づいてくる。


「我々は、風に導かれる民です。全ては世界を巡る、“流れ”が齎すのですよ」

「そう、なのか……」


 教会に一生を捧げると誓った身である以上、ラハンから見てタルカ族は異教徒だ。肯定はできない。だが、否定するべきでもなかった。


 話もそこそこに、円形の大きなテントに入る。中の直径は八メートルほどだ。食卓、椅子、ベッド、竈を兼ねたストーブと必要なものは揃っている。春先の暖かくなった空気に合わせて、裾を上げて風が通るようにしてある。


「ところでそのお手にあるのは……」


 シンローがチラチラとラハンの持つ酒を見た。


「ああ、葡萄酒だ。いるか?」

「ぜひご一緒──いや、セオドラン様のお弟子であるのなら、飲酒はしませんか」

「ああ、そうだ」

「葡萄酒あるの⁉」


 アネが声を張り上げた。


「飲む飲む、飲ませて!」

「アネ、お客様なんだから、もっと遠慮というものをだね……」

「いいんだ。喜んでくれるなら」


 すぐに食器棚からグラスが出され、葡萄酒が注がれた。一気に飲み干した彼女は、リュートを弾き始める。あまりに酷い音だった。


「役に立つ蛆虫は~蛆虫じゃない~」


 歌詞も意味が分からない。耳を塞ぎたい気持ちを抑えるラハンと、それに忠実な後の二人。


「調弦、しているのか?」

「チョーゲン?」


 彼の問いに、アネは首を傾げる。


「よくわかんないけど、音が鳴ると楽しいじゃん」

「ああ、うん、そうだな……」


 諦めて、ラハンはそれ以上追及しなかった。少なくとも家族は笑顔であるし、余所者がどうこう言うべきでないな、ということを弁えていたのだ。


 そこから、コンサートは長く続いた。途中からラハンは半分意識を飛ばすことにした。拍子なんてものはない。讃美歌の洗練された音楽に慣れていた彼は、ガタガタに崩れたリズムに即興の歌詞を合わせていくそのスタイルに翻弄され、疲ればかりが溜まっていく。


 三十分ほど、そうした。


「ありがとー!」


 とアネが言うので、彼は意識をこの世に帰還させた。


「どうだった?」

「あー……いいと思う。町の音楽祭に出てみるといい」


 お世辞を言うことに慣れていない彼の態度を、アネは見抜けなかった。


「しかし、どこでそんな楽器を手に入れたんだ」

「セオドラン様ですよ」


 シンプが言う。


「伝統の楽器もあるのですが、私の一族には製法が伝わっておらず……セオドラン様が偶々持っていた楽器を譲っていただいたのですよ」

「先生が……」


 気がつけば、テントの中は暗くなっていた。魔力灯を点ければ、パッと照らされる。


「さて、乳搾りをしなければなりません。ご覧になりますか?」

「そうだな、興味がある」


 騎士と少女の一行はテントから出て、シンプがホルルンという家畜の一頭に近づくのを見ていた。背中には大きなこぶが一つある。全体的な見た目としては牛に近い。頭には短い角が生えており、月光を受けてほんの少し輝いていた。


「ホルルンは、夜にしか乳を出さないのです」


 バケツに乳白色の液体を注ぎながら、家長が語る。


「ですから、こうして日没後に搾るのですよ。やってみますか?」

「はいはーい! やる!」


 インサが進んで向かう。


「乳頭の付け根を握り──、そう、全体を掴んで、搾り出すのです。上手ですね」


 ある程度溜まり、シンプがホルルンから離れる。


「後はこれを発酵させて、乳酒にするのです。酒といってもほとんど酔いませんから、騎士様にもどうか飲んでもらいたいところです」

「ホルルンの乳酒はうまいって評判だぜ。せっかく会ったんだからよ、飲んでみろって」

「なら……わかった。貰おう」

「では、夕食としましょうか」


 一家との交流は、そう長いものではなかった。だが、ラハンにとってかけがえのない時間となったのは、事実なのだった。

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