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表と裏

 アネがクロスボウを構える。ホルルンの上でゆっくりと息を吐き出し、止める。開ききった目で水辺に停まる野鳥に狙いを定め、太く短い矢を放った。見事、命中。


 僅かに地面から浮いているホルルンで滑るように移動して、獲物を回収する。青い羽の鳥だ。タルカ族の間ではスドルと呼ばれている。雉くらいの大きさのもので、その肉は大変美味だという。


 三羽目の獲物を鞍に提げ、彼女はテントに戻った。


「獲れたよー!」


 そう言って家に入ったアネは、母のシンローに頭を叩かれた。


「まずは血抜きって、何回言ったらわかるんだい。処理するまで帰ってくるんじゃないよ!」

「ちえっ!」


 彼女が慌ただしく駆けていくのを、ラハンは眺めていた。


「どうしたんですか?」


 その顔に、何か悲しみのようなものを浮かべているのを見たインサが、テーブルを挟んだ向かいの椅子から問うた。


「俺たちが食らう肉も、魚も、ああやって得るものなのだな、と思ったんだ」


 彼女はあまりピンと来ていなかった。飼育していた鶏を絞めて、捌いて。それは当たり前の日常だった。


「そりゃそうじゃないですか」

「そう、なんだが」


 サンチマンタリスムに浸るような、愁いを帯びた表情。


(騎士様って、変な人なんだなあ)


 口に出さないデリカシー。客人として扱われ少し居心地の悪いまま、彼女は乳酒を一口飲んだ。甘さの中に確かな酸味があって、後味はすっきりしている。


「これ、美味しいですね」

「ん? ああ。そうだな」


 ラハンはどこか、心此処にあらずといった態度だった。


「……違和感があるんだ」


 気取られたことを悟って、彼は口を開く。


「何かいる。そう遠くないところに」

「そうなんですねぇ。じゃ、私はお手伝いしてきます」


 エキゾチックな世界を楽しもうとする少女の背中に、彼は不安を向けていた。





 聖導官とは、ヴセール教会の、十五人から成る最高権力者である。主要な五柱の神の声を聞き、大陸全土の信徒を指導する──それを役割とした彼らは、世俗の権力からは距離を置いているはずだった。


 しかし、今ではカマ王国出身者と、ジヅル出身者がいがみ合ってしまっている。ここ数年、両国の間には緊張が走っているのだ。


 その原因は、交易所におけるトラブルだった。ジヅルの民兵がタルカ族のキャラバンを護衛してカマ王国側の交易所に連れてきた際、引き渡しに当たって賄賂を求めたとカマ政府が主張している。


 それ故、カマ王国出身の聖導官は、ジヅル出身者に対してその地位の返上せよと身を乗り出して要求しているのだ。


「まあ、その程度になさってください」


 円卓の上座に着いている首席聖導官サグアは、そう諫めた。


「我々は国家を超えた協調を生み出すための存在。両国の間に疑念があるのは理解できますが、ここはそれを確かめる場でも、況してや深める場所でもないのですよ」


 睨み合いながら、両者は青い椅子に戻った。


「ジヅルの騎士館から連絡がありました。ラハンとサーデルは、ジヅルの勇者の左腕を手に入れたようです。この調子で集めれば、七つの聖骸が揃うのもそう遠くはないでしょう」

「サグア首席聖導官、なぜ新人なのです。セオドランのような熟練の者が適任なのでは」


 テンゾ砂漠連合という、砂漠の民がそう声を上げた。肌の黒く焼けた女だ。


「此度叙任された者たちは、皆将来有望です。経験を積ませてあげたい。それではいけませんか?」


 聖導官たちは顔を見合わせる。首席がそう言うのなら、彼らも強くは出られない。


「彼らには世界を見てもらいたい、というのもあります。各地に足を運び、自らの五感で世界を感じ、交流してもらいたい。それが、私の願いです」


 至って穏やかな表情だった。子を想う父親のそれだ。


「……確かに、紛争の調停といった役割を教会騎士が担うこともあります」


 北方の国、サナ連邦の出身である白い肌の男が言った。


「そのために、大陸を旅させるというのも、わかります。ですが、やはり師を同行させるべきだったのではないでしょうか」

「彼らはもう一人の騎士です。子供がやがて親元を離れるように、彼らもまた、師から離れなければならない」


 サグアはそこで一度言葉を切って聖導官らを見渡した。


「更に言えば、師となった者たちには、次の弟子を育ててもらう必要があります。魔王復活が現実となろうとしている今、騎士を一人でも多く用意することが、最優先事項です」


 筋は通っている。反論はなかった。一人を除いては。


「封印を強めることこそが最優先事項だ。違うか」


 ニバイ帝国の聖導官が、真っ赤な髪を揺らしながら言う。


「教育を後回しにしてでも、熟練の騎士を派遣するべきだった。交渉も、実績がある方がうまくいくだろうに」

「仰ることは、よく理解できます。これは私の我儘なのですよ。可愛い可愛い新人たちを、育ててあげたいのです」

「我儘? つまらんことを言うのだな。献金を減らしてもいいのだぞ」


 それで困るのはあなた方でしょうに、とサグアは視線を向けた。各地に駐在している騎士の給金は、献金から出ている。それが減らされれば、騎士の数を減らすことに繋がるのだ。


「時に、首席聖導官。魔王の封印はどうやって強める心積もりかね?」


 立派な顎髭を蓄えた男が問う。


「私が対応いたします。理由としては、二つ。一般の騎士を封印の神殿に入れるわけにはいかないことと、私自身が長く魔王の封印を見守ってきたことから、そう判断いたしました」

「ふむ……単独でかね?」

「一人、信頼できる者がおります」

「灰色の聖導官、だろう?」


 老人の追及に、サグアは答えなかった。皆一様に青いローブを纏っているその部屋の外に、灰色の鎧に身を包んだ騎士が立っていた。


「馬鹿馬鹿しい」


 そう言って赤髪の帝国人が立ち上がる。


「遺体の引き渡しを要求する騎士には、我々から試練を与える。それでいいな」


 返事を待たずに立ち去った聖導官の後を追うように、次々と席を立つ者たちの姿。やがて一人になったサグアは、深い溜息を吐いた。


(魔王復活は近い)


 その確信を持って、ほくそ笑んだ。





「ン太陽は~ンたまに西から昇る~」


 乳酒を片手に、外れすぎて逆に合っているようにさえ思える音程で、アネが歌う。


「そんなわけないだろ」


 ラハンも慣れてきて、冷静に指摘をする余裕があった。


「いやいやわからないぜ? 明日この世界がひっくり返っちまうかもしれねえんだぞ」

「酔ってるのか?」


 隣のサーデルが肩を組んでくるので、彼はそう冷たくあしらった。


「こんなもんで酔うわけないだろ。ま、堅物にタルカ族流のユーモアはわかんねえか!」

「お前だって出会って数日だろうに……」


 熱唱するアネに即興で合わせる友人に呆れて、彼は干し肉とチーズを主軸とした食事を終えた。


「少し風に当たってくる」


 テントから出れば、満天の星が彼を迎えた。近くの岩に腰掛け、静かな草原の中で小さな輝きを見上げる。


 タルカ族は、カラザムと呼ばれる二つの大陸にある他の国家とは違い、聖導官を教会領に派遣していない。未だ土着信仰の残るテンゾ砂漠連合でさえ、選出しているというのに。


 その理由は、定住していないため、と言える。主要な都市は城壁に囲まれ、首都は勇者の遺体を利用した結界に覆われるのがこのカラザムという土地だが、彼らは移動し続ける。守られる必要がないのだ。


(いつかは、タルカ族も一所に留まるようになるのだろうか)


 人が村を作り、街となり、街を纏めて国としてきた歴史。タルカ族とて、それの例外ではないかもしれない。だが、今の彼に、そこに確信を抱くことはできなかった。


 明くる日も、家族は移動し続けた。

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