星を見上げていたラハンの隣に、インサがやってくる。ちょこんと座り、師の顔に視線を飛ばした。精悍な顔立ちだ。きりりとした目は、何かを睨んでいるようにも思える。
「ラハン様は、どうして騎士になろうと思ったんですか?」
「それしか、人の生き方を知らないんだ」
呟くような声だ。
「俺は、孤児だ。十年ほど前……俺が八歳の頃。神聖教会領の端で、クーデターがあった。独立派の、武装蜂起だ。それに巻き込まれ、両親が死んだ。蒼い炎を扱えるということで小姓になり、首都ヴンダで暮らしていた俺は、先生の下で騎士になる以外に身を立てる方法がなくなった。それだけだ」
聞いてはいけないことを聞いたかと思って、インサは黙ってしまう。また沈黙が訪れた。風の鳴く声。草の擦れる音。リリリ、と虫。故郷の夜に似ている、と彼女は感じた。
もう戻らないあの故郷。きっと、元通りになるまでは何年もかかるだろう。そして、元通りになったとて、家族という拠り所を失った少女に居場所はないだろう。精々地主の妾になる程度。それなら、このまま旅をしていたかった。
「少し、稽古をしよう」
そう言って彼は立ち上がり、盾を構えた。
「魔法にはいくつか属性がある。火、水、土、風、雷が五大属性だ。君のものは雷に、俺のものは火になるな」
インサは両掌の間に雷を生み出す。
「魔法は、何かのイメージ──槍、剣、矢などの具体的な物体を思い浮かべることで扱いやすさが格段に向上する。インサの馬力なら、槍を投げるイメージで使うのがちょうどいいだろう」
「槍? うーん……」
右手を掲げ、棒状の物体を掴む様を思い浮かべる。なるほど、赤い稲妻は収束し、一つの棒となった。
「筋がいいな。それを投げるんだ」
「えいっ!」
真っ赤な槍は盾にぶつかり、ラハンを押す。
「そうだ、その調子だ。何発か撃ってみるんだ」
「怪我しても知りませんよ!」
インサは五回ほど赤い槍を投擲した。コントロールは見事なもので、どれもしっかりと盾の中心に着弾する。
「私天才かも!」
「ああ、逸材だ。教会領に戻る頃には、一線級になっているかもしれないな」
だが、彼女の顔にはじっとりとした汗が張り付いていた。
「そうだ、ラハン様の魔法見せてくださいよ」
「俺の? そうか、わかった」
ラハンが掌に蒼い火の玉を生み出す。ゆらゆらと揺らめくそれを、彼女はじっと見つめていた。
「私にもそれ使えますか?」
「無理だな」
がっくしと、インサは肩を落とした。同時に炎も消える。夜の静寂が戻ってきた。
「蒼い炎は、先天的な才能に左右される。七人の勇者の血が齎す、胎児の内に何かしらの霊と接触する、等々色々説があるが、まあ、今から使えるようにはならないぞ」
「ちえーっ」
頬を膨らませた彼女は、急に膝から崩れ落ちる。呼吸が浅くなり、滝のように汗が流れる。
だが、戸惑うこともなくラハンはその小さな体を持ち上げた。
「魔力の限界が来ただけだ。死ぬわけじゃない」
ベッドに置かれた彼女はすぐに眠りへ落ちた。
「見てたぜ」
客人用のテントから出た所で、サーデルがラハンに声をかけた。
「インサ、なかなかいい感じじゃねえか」
「ああ。成長していけば切り札の一つになるかもしれない」
「ずいぶん買ってんだな」
「先生が言っていた。教会騎士は守るための存在だと。攻めるには魔術師の力が必要になる、とな」
それを聞いて、サーデルが笑い出す。
「一人でドラゴン倒しといてよく言うぜ」
「あれも、サーデルが怪我人を守ってくれるから攻められたんだ。本当に孤独だったら街の騎士を呼びに戻っている」
本当にそうしただろうか、と銀髪の騎士は疑った。好意的な疑いだ。きっと、ラハンは単独で遭遇しても戦っただろう、と。
◆
夕焼けの中、アネがホルルンに乗って数十頭の群れを誘導していると、突如、その動きが止まった。理由は考えるまでもなくわかる。
「お父さん! 風喰いだ!」
群れの後方にいたシンプたちに呼びかける。だが、紺髪の騎士と金髪の少女は首を傾げた。
「ホルルンってのは、こぶの中に魔力の結晶を作るんだ」
サーデルが説明を始めた。
「風の魔力を持っていて、それを使って長距離を楽に移動する。だが、風喰いって魔物はその結晶を餌にする。だから、こうしてホルルンは風喰いの気配を感じ取れるのさ」
「つまり、その魔物を斬ればいいんだな」
「そういうこった。頼んだぜ」
家畜から降り、ラハンは鎧を纏う。
「インサ、実戦だ。体が魔力に慣れておらず負荷がかかるだろうから、慎重に使うんだぞ」
呼ばれた彼女もまたホルルンから飛び降りて、地平線から昇ってくる黒い狼の群れを認めた。
風喰い。その輪郭は安定していない。狼のような形をある程度維持しているが、まるで風に吹かれた炎のように、一瞬たりとも静止していないのだ。
「ああいうのは自分で蓄えられる魔力が少ないからな。魔力を外から取り込んでいかないと、やがて肉体を維持できずに消えてしまうんだ」
説明を終えたサーデルは、ホルルンの上で指を組んだ。
「戦神ゼルドナウスよ、かの者に加護を与え給え。その恩寵を以て、戦士の行く末に光を投げかけ給え──」
絶えることない詠唱。インサは、腹の底から何か力が湧き出てくるのを感じていた。
「戦神の加護で魔力や身体能力を向上させているんだ。サーデルの魔力が尽きる前に終わらせるぞ」
彼女は右手の中に雷の槍を生み出し、大きな動作で投げた。接近しつつある風喰いの一体を打ち抜き、消し去る。死んだ魔物は灰のようになって、風の中に吹かれていった。
その間にラハンも斬り込んでいた。二体三体と蒼い炎を纏った剣で切り咲き、数を減らしていく。
飛び掛かってきたそれの口に剣を刺し、内側から焼く。左から走ってくるものは盾で殴り、怯んだところを断つ。勝てる戦だ、と彼は確信した。
だが、インサが次弾を撃つまでの僅かな間隙に、風喰いが騎士の背後に回り込んでいた。そのことを伝えようと彼女が声を出す前に、一つの矢がその狼に突き刺さり、爆ぜさせた。
「私だって戦えるんだから!」
アネだった。タルカ族は、魔力を乗せた矢を扱うのだ。身体強化を使ってもクロスボウに矢を番えることで精一杯な彼らにとって、その術は極めて重要だった。
戦いながら、ラハンは違和感を覚えていた。確かに、何かがいる感覚の正体はこの風喰いだったのだろう。だが、もっと大きなものを漠然と感じるのだ。曖昧だが、いる。
十五分ほどかけて、風喰いの半数が倒された。魔物の群れは北へ去っていく。追いかけようとしたラハンだが、インサが随分と疲れているのを見て、やめた。鎧を消し、ホルルンに跨る。
「サーデル、助かった」
「おうよ。ま、俺にかかればこんくらい余裕だけどな」
サーデルがラハンの背中を叩いた。そこで、気づく。群れが進んでいない。
「アネ、どうした?」
「動こうとしない! まだいるのかも!」
パニックを起こさないだけよかったが、こうもじっとされると、何もできなくなる。
「サーデル、何か感じるか」
「少し離れたところに、でかい邪気を感じるな。このままじゃどうしようもねえが……」
「今すぐには難しい、か」
魔法を扱える状態にないインサを連れていけば、確実に死ぬ。だがここに置いてアネたちに護衛させた場合、戦力の分断を招く。加えて、サーデルも魔力に余裕があるわけでもなかった。速戦即決で終わらせられなかった場合、怪我の治療ができないかもしれない。魔物の巣に飛び込んで、無傷で帰れる保証はどこにもないのだ。
「シンプ、一旦ここは出直そう。それから魔物の首領を倒しに行く」
「そうですね、もうすぐ日も落ちますから、そうしましょう」