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いざ、戦いへ

 サーデルは静かな草原の只中で目を閉ざして立っていた。


(邪気は遠い……いや、間に壁があるのか? 洞窟の中──そう、山の洞穴に潜んでいるんだ)


 彼は教会騎士の中でも祈祷騎士と呼ばれるものである。味方に強化や治癒を施し、時にはこうして索敵も行う、支援任務を主とするのだ。


 そんな彼は今、魔力の痕跡を探していた。魔物は人間以上に魔力を漏らす。何かあれば、それは“流れ”として認知することができる。そして、大まかな位置を特定した。


(距離があるな。それに数も……)


 タルカ平原から北に進めば、山地が広がっている。魔窟とさえ呼ばれる山々だ。


(楽には行けねえ、か)


 大まかに状況を掴んだ彼は、客人用のテントに戻った。


「だから! タルカ族出身の勇者がいたの!」


 何やらアネとラハンが言い争っている。アネの方は頭の辺りで角の仕草をしていた。


「勇者は七人だ。タルカ族は魔王討伐に参加していない」


 アネが一方的に睨みつけても、ラハンは何も感じていないようだった。


「本当に八人目の勇者がいたのなら、その遺体はどこにある?」

「ぐぬぬ……」

「何がぐぬぬだ」


 言い返せない彼女を見ながら、サーデルは親友の隣に座った。


「八人目の勇者、ねえ」


 顎を撫でながら彼は言う。


「ま、この世にいる勇者の末裔集めたら、勇者がとんでもない数の妾を抱えた絶倫ってことになるからな、そういうもんさ」

「そんなんじゃないって! もー!」


 会話も嫌になってきた彼女は、リュートを膝の上に乗せた。また最悪の歌が流れてくることを予期したサーデルが声をかける。


「調弦してやろうか」

「できるの?」

「ちょっと齧ってんだよ」


 棹の端にあるペグを回し、音を鳴らしながらチューニングしていく。随分と様になっていた。慣れた手つきで基本的な調弦に合わせた彼は、楽器を返した。


「これで多少はマシになってるはずだ。弾いてみな」


 ダウンストロークで奏でた彼女は、その音の整っていることに驚いた。


「めっちゃいい感じ! ねえ、教えて教えて!」

「音叉ってのを買うといい。それに合わせりゃ、何時でも調弦できる」


 ラハンに音楽の教養はない。ただ讃美歌を幾らか歌える程度だ。故に、この親友がどこで技術を手に入れたのか──そもそも騎士に必要ない知識まで蓄えているのは、一体どんな魔法を使ったのかと質したくなる。


 するとサーデルはこう言うのだ。夜は長いんだぜ、と。


「サーデル、明日動けるか」

「これから次第だな。シンプがほかの家に協力を呼び掛けてるからその結果と、インサが回復するかどうか」

「そうか……」


 ベッドの上で静かな寝息を漏らすインサ。アネが弦をかき鳴らし、少しは音が合うようになった歌を歌っていても、起きる気色はなかった。


「それなりに数がいそうだ。俺もできる限りの支援はするが、油断すんなよ」

「わかっているさ」


 アネが家族のテントへ戻っていく。大きく手を振ってきたので、サーデルは振り返した。


「風喰いは、特別賢い魔物じゃねえ」


 机の上で指を組み、真面目な表情で言う。


「それが戦術的な判断──撤退を選択したってことは、何か糸を引いているのがいるわけだ。楽な仕事じゃねえぞ」

「だとして、魔物から逃げ続けるわけにもいかない。やるしかない」


 微笑み合って、二人は手を握り合った。





 朝が来た。ホルルンが近づきたがらない以上、徒歩で魔物の巣まで向かうしかない。総勢十五人。先頭にサーデルが立ち、ラハンやアネらを案内していた。


 タルカ族の主な武器はクロスボウだ。かつては短弓を使っていたとされるが、非力な彼らは、より容易に威力を発揮できるクロスボウが入ってくるとそれをメインウェポンにするようになった。


 山間の細い道を行き、一歩間違えれば断崖の下に落ちるような箇所も通る。背丈の低い草に覆われた平原に慣れていた者たちには、少しそれは酷でもあった。


 半日かけて岩山の奥までやってきた一行は、そこにぽっかりと口を開ける洞窟を前に尻込みした。祈祷騎士でなくても感じる、凍てつくような殺気が溢れていたのだ。


「今から帰りたいなら、帰ってもいいぜ」

「こいつらを倒せばホルルンを守れるんだろ? 今更逃げるなんてこと、できねえよ」


 威勢のいい若い男がそう言ったのを皮切りに、同調する声が挙がり始めた。


「よし! 行くぞ!」





 神聖教会領、ヴンダ大聖堂地下、封印の神殿。常にかび臭いここで、一人、蒼いローブを纏った男が、布で包まれた棒状の何かを寝台のような岩に乗せた。


「ダズルサードの左腕……どうか、お受け取りください」


 石の祭壇の奥に、巨大な袋のようなものがある。青い鎖で厳重に縛られたそれの表面には、一つ目が描かれている。その周囲に八本の剣が放射状に広がり、ぼんやりとした光を放っていた。


 袋から黒々とした、実体のない腕が伸び、左腕をその中に放り込んだ。ドクン、と何かが脈を打つような音がその場に響き、男は口角を上げる。


「ああ、魔王様……あなたの復活は、日に日に近づいていらっしゃる。どうか、暫しお待ちを……」


 恭しく頭を下げ、男は神殿から出た。灰色の鎧を纏った者と共に、地上へ。





 蒼い炎が洞窟で輝き、風喰いの群れを焼き払った。だが、その奥からまた姿を見せる。


「次から次へと……!」


 さしものラハンも息が上がってきた。後ろでサーデルが祈祷をしていなければ、この一時間に亘る攻防の最中で命を落としていたかもしれない。


 タルカ族の矢も減った。長期戦はできない。そこで、ラハンは決意した。


「俺だけで突破する」

「ラハン様、それでは祈祷が!」

「ああ。だから、できるだけ早く追いついてくれ」


 インサは承服しかねた。だが、そうでもないとじりじりと削られて終わりになる。


「私も行きます」


 彼女もまた決意して、そう告げた。


「……そうか。わかった」


 ラハンは弟子を担ぎ上げ、走り出す。斬るのは最小限だ。正面から来るものだけを倒す。蹴り飛ばし、飛び越え、とにかく奥へ向かった。


 十五分ほど、襲歩のような速度で駆け抜けると、途端に広く静かな空間になる。だが、ラハンの第六感は、途轍もない邪気を感じ取っていた。


「なんか、嫌な感じがします」

「いるな」


 インサを降ろし、彼は冷静に周囲を観察した。日の入るはずのない洞窟の奥だというのに、ふんわりとした明るさがこの空間を満たしている。その中心に、石の寝台めいたものがあった。


「聖骸……?」


 そう、その上にはまだ瑞々しさを保った肉体が横たわっていたのだ。だが、胸は切り裂かれ、心臓が持ち去られていた。それ以外にも、両脚が乱暴に引きちぎられた痕跡がある。


 背丈は百五十センチない程度。灰色の顔に、蒼い角が生えている。


「まさか、タルカ族の勇者? いや、しかし……」


 思わず呟いていた。灰色の肌と角は、タルカ族にはない特徴だ。


「そうだゾ」


 背後から声がする。振り向けば、風喰いとは違う、明確な黒い人型の肉体に、蒼いラインの走った存在がそこにいた。


「魔物……いや、魔族か」


 人に近い知性を持った魔物を、特別に魔族と呼称する。


「正解。驚けヨ、これを見ナ」


 魔族は右手の上に蒼い炎を生み出した。神聖な力。魔物を焼く、神の力だ。


「なぜ、使える」

「さあテ、なんでだろうネ」


 ラハンは地面を蹴り、相手を盾で殴った。相手の背丈はおよそ二メートル。強化をかけた肉体なら十分戦える。彼はそう判断した。


 魔族は右腕を剣の形に変え、斬り掛かる。幾度か打ち合った両者の間を、赤い稲妻が駆け抜けた。怯まない魔族は、左手でラハンの頭を掴んで放り投げた。そして、口を開く。黒い炎が放たれた。


 魔の用いる黒い炎は、魂そのものを焼く。故に、治癒魔法では治せない傷を相手に与えるのだ。しかし、ラハンの纏う教会騎士の鎧は、それに対抗できる魔導合金で作られているがために、熱を感じた以外にダメージはなかった。


 着地した彼は、インサに近寄る。


「炎には触れるな。治せない」

「はい、ラハン様!」


 彼は盾で体を隠し、剣を強く握り込んだ。

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